梅雨が明け、本格的に夏がはじまりました。蔵の前を日焼けした子供たちが楽しそうに笑いながら通って行きます。夏休みですね。終業式の日、成績表の中身におののき、その成績表を見て怒る母の顔を想像しながら、重い足どりで帰ったなぁ・・・。がっかりされ、ひとしきり叱られてから、やっと私の夏休みはスタートしました。
長いはずの夏休みも、気がつけばあっという間に一週間が過ぎ、二週間が過ぎ、すぐお盆が来ます。今月は、あるお盆に見つけた、あの時以来お盆になると毎年必ず起きる、ちょっと不思議なできごとをご紹介します。
お盆になると、叔母たちが帰省し、一気に賑やかになります。当然いとこたちも一緒に来ますから、我が家は合宿所のような騒がしさとなります。これは、そんな賑やかになるお盆の1〜2日前の話です。
当時小学生だった私は、夏休みに入れば弟や友達とカブトムシを取ったり、セミを捕まえたり、毎日野山を走りまわっていました。しかし、「お盆には、ご先祖さまがいろいろなものに姿を変えて帰ってくるから、無駄な殺生をしてはいけない」という祖母のことばに(こういうことには何故か素直に)従い、お盆の間はムシ取りを我慢するようにしていました。ですから、お盆に入る前にはここぞとばかりの勢いでムシ取りに走ったものです。ただし、この時期は友達の家にも親戚が来たり、親戚の家に行ったりでなかなか遊べず、1人で遊ぶことも少なくありませんでした。この日がまさにそんな日でした。昼食を終えた私は、家の軒先で大きなトンボを見つけました。オニヤンマでした。生まれて初めて見たオニヤンマは堂々として、とてもカッコよく見えました。珍しいトンボの姿を見たのですから、当然捕まえたくなるはず(まだお盆の前だし)が、このときは見ているだけで満足しました。そのオニヤンマは、不思議なことに家の周りから離れず、縁側から家に出たり入ったりし、人の姿を見ても逃げることもなく、2日ほどしたところで姿を消しました。
私は、「おじいちゃんだ。」 直感でそう感じていました。
祖父は私が3歳になる前に亡くなりました。だから私には祖父の記憶がほとんどありません。でも、ひとから聞いた、祖父が私に対して注いでくれた愛情は(どこでもそうだとは思いますが)「とても真似できないほど」だったそうです。それに、祖母は何かあるたび、「困ったときには手を合わせなさい。あなたにはおじいちゃんがついているから大丈夫。」と私に言い続けていました。(祖母がそんなことを言うのですっかり調子にのった私には、高校時代、テストになると「おじいちゃん、助けて!」と心の中で叫び、仏様の知恵を乞うたものの、テスト勉強などしていない私に、当然祖父は救いの手など差し延べるはずもなく、赤点を連発した記憶がある)
そんな話を聞いていたからかもしれません。
こう考えました。
「きっと、おじいちゃんはお盆まで待ちきれなかったんだ。ボクや弟や妹、家族のみんなに早く会いたくて、悠長にキュウリの馬やナスの牛になんて乗っていられずに、トンボになって飛んできたんだ。」
おまけに、当時の私たち兄弟は、取っ組み合いの(ハンパじゃない)兄弟喧嘩はするわ、危険な遊びも(親の目を盗んでは)平気でやるわの、とんでもない暴れん坊のイタズラ小僧たちでしたから、
「おじいちゃんは心配で、見ていられなかったのかもしれない。」とも思いました。
だから私は、弟に言い聞かせました。「あのオニヤンマは、おじいちゃんのような気がするんだ。捕まえるなよ。」
弟もなぜか素直に(こういう話には兄弟揃って素直)頷きました。
その後も毎年、お盆の時期になるとオニヤンマは姿を現します。そして、何日か滞在しては、またどこかに行ってしまいます。オニヤンマがなぜこの時期になると来るのか、私にはわかりません。彼らの習性がそうさせるのか、それとも本当に・・・。
私は「見えないもの」が見えたり、「感じられないもの」を感じたりすることはできません。ただ、この時期になるとあの大きなトンボが姿を見せるのは本当の話で、何故かあの悠々と飛ぶオニヤンマの姿に、私たち「家族」と「ご先祖様」の絆を感じることができるのも確かなのです。
ね。ちょっと不思議でしょ。
今年も、きっと姿を見せてくれるであろうオニヤンマ。その時には、私に負けず劣らずとびきりイタズラ小僧の息子にも見せてあげようと思います。そして、「あのトンボはひいおじいちゃんだよ。君やお父さん、そして、ここにいるみんなに会うために、トンボになって飛んできたんだ。」と、教えてあげようと思っています。
待ち望んでいた夏の太陽が輝き、梅雨のじめじめした空気がうそのように晴れわたったこの日、蔵の屋根のペンキぬりをしました。手先が器用で、マメな人が多いこの会社、こういうことも全部自分たちでやってしまいます。ときには左官屋さんのようなことも、ときには土建業のようなことも自分たちで。どうのこうの言っていても、いざやり始めると中途半端では終わらせないのがここの人たち。暑い中での作業ですが、どれもこれも冬場の酒造りに備えてのこと。自然と力が入ります。