蔵元便り   2008年1月

新年 あけましておめでとうございます。
本年も何卒よろしくお願い申し上げます。

 2007年はいろいろな事件がおこり、「食の安全」という言葉もよく聞かれました。「本当のことをそのまま表示する」という当たり前のことが、当たり前でなくなっていることに驚きました。普通(正直)にやっていたら、こんなこと絶対に起きないはずなのに、私たち人間はどこかで「欲」や「ウソ」がでてしまうものなのでしょうか。「ウソをつくな」とかって子供のころに教わるものなんですけどね。
 暗いニュースばかりが目立った昨年でしたが、自動車好きにとっては大きな、そして夢のようなニュースもありました。伝統の丸型テールランプに赤いエンブレム、「NISSAN GT−R」が私たちの目の前に姿を現したことです。スカイラインの名前がはずれたとはいえ、やはりGT−RはGT−R。手は出せないけれど、気にはなります。お正月も、いとこたちと「VR38(エンジン)って触るとこあるの?(すぐにイジることを考える)」とか「エキマニとタービンが・・・」などなど、ディープな「GT−R談義」となりました。それぞれみんなあの「名前」に対する思いがあって、同じように熱い思いで見ていることが感じられました。

 でも、なぜ「GT−R」ってクルマはこんなに特別なんでしょうか?

 私は、「そのクルマが背負っている歴史」がそうさせていると思います。
 1964年の第2回日本グランプリで、見た目はフツーのセダン「プリンススカイライン2000GT」が世界中で活躍するスポーツカー「ポルシェ904」を抜いて(たとえ一瞬でも)トップに立った瞬間にサーキットで戦うことを宿命付けられ、その後は「スカイラインGT−R」として50連勝やGr.Aを席巻するなど、神話のように語られ続ける歴史を持っているからだと思います。
 イタリアのアルファロメオは、経営難に陥り国営企業となったときもレースを止めませんでした。自分たちの税金でレースを続けることにイタリア国民は(国民性もあるだろうが)文句を言いませんでした。それはアルファロメオという会社は常にサーキットで存在感を発揮し、「レースをやっていなければいけない会社」として認められていた証拠です。私はGT−Rというクルマもそんな存在だと思っています。いつの時代もその名を聞いてサーキットが連想されるクルマはそうそうあるものではありません。
 
 名前にはそれぞれ歴史があり、伝統があります。しかし、今度のGT−Rはその伝統を越え、制限を取っ払い、もっと高いところへ踏み出しました。このクルマの相手は世界に名だたるスーパーカーたちなのです。私は伝統とされた長く、重いエンジンで苦しむ姿を見るくらいなら、V型でも水平対向でもなんでもいい(同じ理由でポルシェは水冷エンジンでも構わない主義の私)と思っています。それに変な馬力の自主規制の呪縛からも解き放たれた今、半世紀近く前に日本中の人が見た夢が、やっと実現したのだと思います。メーカーから買ってきた、そのままの状態でポルシェと戦えます。日本人として私は胸を張って言えます。

 世界にはフェラーリがあるしポルシェもある。でもニッポンにはGT−がある。

 書いている私が熱くなってきたところで、そろそろ結論。 なぜここまでGT−Rを(私の勝手な主観で)語ったかというと、伝統の名前を守り続けるために、新しい技術を積極的に採用し、全てにおいて「妥協」がないからです。
 私たちの「綾小町」も長い歴史があり、先人たちが守り続けた「味」があります。そこにあぐらをかくのではなく、もっともっと良いものを目指すことこそが、今ここにいる私たちの役目であると考えます。そしてその役目の「重さ」「大変さ」は理解しているつもりです。毎日のつらい(主に寒い、冷たい)作業だって、「綾小町」が「綾小町」であり続けるためのことと思えば何てことありません。それに、GT−Rという最先端のスポーツカーでさえも生産工程の一部で「人の手」「感性」が重要だということを知ったことで、私は勇気をもらいました。「やっぱり、どんなことでもいいモノを造ろうと思ったら、最後に頼るのは人の手、人の心が重要なんだ」「『匠』の技にはまだまだだけど、酒造りの世界に飛び込んだ以上それを目指そう」と。
 年の初めにいとこたちと熱く語り合った「GT−R談義」はそんなことまで考えさせてくれました。
 最後に、名機RB26DETTという直6エンジンにこだわり、34型GT−Rを買ったいとこのにいちゃんの一言。

 なんか、GT−Rって遠いところに行っちゃたね。

 ああ、そうだね、簡単に(いや絶対に)手を出せる金額じゃなくなっちゃったね。息子は「GT−Rカッコいいね。お父さん、買いな!」って言うけれど、私には結局「夢のクルマ」で終わりそうです。

名前の重さ