蔵元便り 12月
新酒 できました!
今年も待ちに待った新酒ができあがりました。まだまだ酒造りは続き、気の抜けない日々は続きますが、この日ばかりは心の底から嬉しさがこみ上げてきます。冷えきった蔵の中、たれ口(搾った酒が落ちてくるところ)からちょろちょろと流れ出す新酒を見ると、やっぱり特別な気分になり、自然と涙がこぼれます。「せっかちで、少しも目を離せない子」「おとなしくて、マイペースな子」などなど仕込んだタンクの数だけ醪の性格が違います。そのどれもを我が子のように手をかけてきているのですから、そんな気分になっても当然かと思います。
今年の新酒は、例年以上にやわらかく、やさしいお酒になりました。酒はその味に「造り手の心」を映すと言われます。このお酒に関わったみんなが、いったいどんな思いで造ってきたか、どんな気持ちで見守ってきたか、この新酒をお飲みいただければきっと理解していただけると思っています。
ボクとキンタの話
朝晩の冷え込みが厳しくなり、ここ綾部でも先月は初雪が降りました。肌を刺すような寒さの中、夜空を見上げると必ず思い出すことがあります。
キンタは私が中学生の頃、我が家にもらわれてきた犬の名です。遊びに来ていた従兄弟がそう名付けました。その当時はどこにでもいた雑種で、特に芸ができるわけでもありませんでした。ただ、たぶん柴犬がベースであろうその顔立ちには愛嬌があり、人懐っこい性格とあわせてみんなに「かわいい」と言われました。
キンタの思い出はたくさんあります。「私が面倒を見る!」と大見得を切った妹に最初の1週間しか散歩に連れて行ってもらえず、それ以来アスファルトや車が恐くて外に出られなくなったことや、甘い物が大好きで、私が面白がってまんじゅうを毎日与えていたらとんでもなく太ってしまったこと、などなど。でもそれは家のみんなが知っていることで、これから書くことは「ボクとキンタ」だけの秘密です。
私は高校生になると、家の離れを勉強部屋(実際に「したか、しないか」は別として、世間ではそう呼ばれている)にしていました。その部屋を一歩出れば、そこにはいつもキンタがちょこんと座っていました。中学から高校という多感な時期(ボクにもあったのさ!)です。少しのことで落ち込んだり、衝突したりしていた私は、嫌なことがあった日の晩は、夜空を見ながらキンタの頭を撫で、「今日なあ、大好きだった女の子にフラレたよ。」「数学、赤点取っちまった。こんなの燃やしておこう。(実際に燃やした)」などと愚痴をこぼしていました。キンタは私の愚痴のあいだ、ずっとおとなしく撫でられていました。
大学に受かった時も、一番に報告したのはキンタでした。でも、私が東京に向かう日の朝、キンタを撫でたときの目は悲しく見え、彼はしばらく会えないことを理解しているようでした。
キンタが我が家に来て15年程が過ぎ、私は結婚し、息子が生まれました。私はまだ生まれて数ヶ月の息子を抱き、キンタに語りかけました。
「なあキンタ、ボクたちの子だよ。かわいいよなぁ。ずっとずっと元気で育って欲しいよな。ボクはこの子を守りたい。この子を守るためだったらダークサイドに堕ちてもかまわない。ボクは喜んで赤いライトセーバーを起動するだろう。だからキンタ、お前も地獄の番犬ケルベロスのように、どんな醜悪な姿でもいい、どんな時もこの子から離れずボクと一緒にこの子を守ってくれ。」
キンタは、もうほとんど見えていないであろうその目で息子を見つめ、一生懸命匂いを嗅いでいました。
そして私は、そんな言葉が出てきたことでも分かるように、もう二度とキンタには会えないことが分かっていました。
今、私の実家にはミニチュアダックスの「エラン(かのロータスの名車から拝借)」、甲斐犬の「ジョナ」の2匹の犬がいます。彼女達は、息子や娘が尻尾を引っ張ろうが乗っかろうが、何をしても絶対に怒りません。特にエランは初めて見た赤ん坊が息子だったためか、はたまた母親かお姉さんのつもりなのか、息子のことがとても気になるようで、息子がお風呂に入っている時など風呂場の扉の所から離れようとしません。子供たちは2匹が大好きで、2匹も子供たちのことが大好きになってくれました。私には、子供たちと遊ぶ2匹の向こうに茶色くて、片方の耳が前に垂れている、あの元気なときのキンタがそっと寄り添っているように見えます。キンタ、ボクとの約束、守ってくれてるんだね。
息子も娘も、どんな動物でもかまわないから本当の友達をつくり、その生死を見つめることによって「生きること」ってどういうことなのかを知って欲しいと願っています。