蔵元便り 7月
今年も梅のヘタ取りです
小さな身体に大きな優しさ
先日、メダカの池に緑色のカエルを見つけました。モリアオガエルでした。トンボ達も飛び回り、気温の上昇と共に、様々な生きものが生き生きと活動し始めました。そんな生命が溢れるこれからの季節、私の行動は子供の頃とまったく一緒で、条件反射のように川をみれば網を入れたくなり、クヌギの木を見れば揺すってみたくなってしまいます。いくつになっても田舎育ちの元イタズラ小僧の性格は直りません。
息子や娘も川に行くのが大好きで、まだまだ下手な手つきでビショビショになりながら魚を追いかけています。
先日みんなで川に行ったときのことです。娘が川を覗き込み、何かを探しています。そして、「お父さん、カメさんの手見つからないよ。流されちゃったのかなぁ?」と言いました。私は一瞬で彼女が何を探しているのかを理解しました。そして嬉しくなりました。
それは昨年の10月のことです。めずらしく娘と二人きりで川に行きました。春にはまだ小さかった魚たちも大きくなり、獲れる魚の種類も今までとは違っていました。私は這いつくばるように川を覗き込んでいました。そして、石のようなものが動くのを発見し、すぐに手を入れました。イシガメの子供でした。久々の大物に嬉しくなり、娘を呼んだときにあることに気づきました。イシガメの子供の右の手足がありません。娘に見せるのを一瞬ためらいました。3歳の娘にはショックが大きいと思ったのです。でも、娘はもう私の隣にいました。
「カメさんがいたよ。まだ子供のカメさんだよ。」
「お父さん、持って帰ってお兄ちゃんに見せようよ。」
「ねえアヤ、よーく見てごらん。このカメさん、手と足がないんだよ。大怪我したんだよ。このまま逃がしてあげようよ。」
「かわいそうだから、お父さんが怪我を治してあげて。」
娘はなかなか頷きません。私も「娘の言うとおり、このカメを連れて帰って面倒を見てやったほうがいいのかも。」とも思いました。ただ、我が家にはもう飼育できる水槽はなく、カメにとっても環境を変えてしまうことによって、どんな影響が出るのかも分かりませんでした。それに、娘には少し早いけれども、野生の生き物が生きていくことの大変さを解って欲しいという思いもあり、説得を続けました。
「アヤ、お父さんにはこの怪我を治すことはできないんだ。お医者さんでも治せないんだよ。手とか足って生えてくるものじゃないんだ。
ちょっと考えてごらん。もしこっち(右)の手がなかったらどうなる?」
「ご飯が食べられない。」
「でも、アヤにはお父さんもお母さんも、お兄ちゃんもいる。お母さんはご飯を作ってくれるし、もしアヤに手がなくても、食べさせてもらえる。このカメさんはね、そうやって守ってくれる家族がいないんだ。全部一人でやって、がんばって生きてるんだよ。このカメさんは強くておりこうさんだから、ここまで大きくなれたんだ。カメさんは、お父さんやアヤが『かわいそう』なんて思ってるって知ったら怒ると思うよ。」
さまざまな言葉を投げかけやっと説得し家に帰る途中、私と手をつなぐ娘が
「ねえお父さん、わたし、カメさんのお手伝いする。今度川に行ったらカメさんの手を捜してあげる。お手伝いなら、カメさん怒らない?」
「そうだね、きっとお手伝いならカメさん喜ぶよ。絶対『ありがとう』って言ってくれるよ。」
3歳児らしい言葉で、とっても優しい心を表現した娘の手を握り締めました。
あれから半年以上が経っているのに、あの日の約束を娘は覚えていてくれました。でも、探し物が見つからず残念そうな娘。
大丈夫。カメさんはこの川のどこかで、きっと元気にしているよ。君の優しさに『ありがとう』って言っているよ。
私は娘が生まれるまで、自分が「女の子」の父親になるなど想像もしたことがありませんでした。生まれてからも、どう接していいのか分からないこともありました。でも、息子と違う「優しさ」や「甘え方」、それに叱られたときの「泣き顔」を見ても、正直「かわいい!」と思ってしまいます。どうせ、もう少ししたら「くさい」だの「うるさい」などとしか言われなくなるのは覚悟しています。せめてそうなるまでの間、娘との楽しい時間をたくさん過ごそうと思います。
「アヤ、いつまでも今のように、優しくて、いつもニコニコしている人になってね。顔や容姿だけじゃなくて、ココロもかわいい人になってね。」
川で遊び疲れてぐっすり寝ている娘に、心の中で語りかけました。