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Q1 四十九日法要は三月超しになってはいけない?
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亡くなられて7日おきにお参りする事を中陰と申します。本来は、
仏教(インド思想)で命あるものが現世での生を終え、再びこの世に
生まれ変わってくる「輪廻転生」(りんねてんしょう)のサイクルが、
7日おきに7回あり、その7回のどれかに生まれ変わりの機会があり、
7×7の49日経過すると、必ず生まれ変わっているという事から
49という数字が出てきました。

輪廻転生→復活→不死→永遠の生命

と考えがちですが、浄土真宗では、その命が一生を全うすることで、
無限の存在(阿弥陀仏の国土)へ解放されると考えますので、
輪廻転生という事とは矛盾します。

お浄土への往生は、輪廻転生のサイクルからの脱出とも言えます。
従って、49日以内ではなく、即往生なのです。
しかし、一つの命が一生を終え、浄土に解放されるとしても、
その命を見送った我々のこの世界は、
一瞬たりとも止まってくれない時間の流れがあります。
亡くなられた方にとっての49日であると同時に、私にとっては、
生かされた49日でもあります。

49日、約一ヶ月半あるわけですが、先の一ヶ月半を考えれば、
まだたくさんあるようにおもえるのですが、経過した一ヶ月半で考えると、
それほど長い時間でもありません。未来の49日と過去の49日。
時間の長さでは全く同じです。我々は、その時間の経過、一瞬たりとも
止まることのない時間の流れのなかで、精一杯命を咲かせるという
務めがあります。

よく「始終、身(四十九)に苦につく(三月)」という語呂合わせで
3月超しになってはいけないとか、喪に服する期間が3月に
渡ってはいけないので2月に収める、などの事から、3月越しに
なってはいけないと言われるケースが良くありますが、
単純に数字の問題で、月の前半が命日で無い限り、現在の暦では、
必ず49日後は3月超しとなります。

なってはいけない、ではなく、計算上そうなるのです。