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Q5 浄土真宗では「霊魂」とか「魂」をどうみるか?
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日本では慣習として、死後の精神的存在を「霊魂」や「魂」という言い方で
表現していますが、浄土真宗ではどう解釈するのでしょうか。浄土真宗では、
お浄土に往生する、仏様にならせていただくという事は、死後にそのような形で
生まれ変わるという事ではありません。私たちの生命の元の状態に還る、それを
「お浄土に還らせていただく」といい、浄土に往生する事で、一つの生命の完結と見ます。

では、一般には、我々の身体は、肉体的生命と精神的生命の2つで構成されていると考えられて
います。これは西洋の人間観に基づくものです。この精神的生命を「力のような存在」として死後に
それが分離し、単独で継続するという考え方それが、「霊魂」の考え方です。

浄土真宗で「浄土に往生する」という場合、往生していくのは「私」ですが、「私」という肉体でも
精神でもなく、そういった枠組みを離れた「私」が「自我」を離れて無限の存在へ開放されていく事を
言います。順って、私の魂や霊魂がお浄土へ旅立つわけではありません。

「幽霊を見た」、「なにか自分についていると言われた」。そういう話は良く聞きます。
生命活動の停止後に、意志が電気的な力として残留するような事は、あり得るかもしれませんが、
これはいずれ科学が解明してくれるはずです。

困っているとき、悩んでいるときに、だれかが入り込んでくるかもしれません。
一番怖いのはそうやって人を惑わせる人間なのかもしれません。
例え化けて出ても、幽霊になってでも、亡くなった者に会いたいという願い、これはだれもが
思うことかもしれません。会いたいとおもう切なる願い、どんな形でもよみがえって欲しいという
願い、死後も在り続けてほしいという願い、それが幽霊という形として、一つの「不老不死」の姿を
生み出したり、見えたように思う事があるのかもしれません。