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Q8 お彼岸とは?
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お彼岸は、日本仏教独自の法会といわれています。文献上の初見は「日本後記」で
大同元年(806)に諸国の国分寺の僧に「春秋の中日分かつ七日」(お彼岸をはさんで七日間)
「金剛般若経」を読ませたといわれています。この法会は崇道天皇を養うために営まれました。

平城京から長岡京への遷都のさいの陰謀事件で、非業の死と遂げたのが早良親王(崇道天皇の息子)でした。
その後、宮廷内のあいつぐ病死や疫病の流行は、早良親王の怨霊のせいだとして、都をさらに平安京に
遷すいっぽう、親王が殺害された淡路島へ供養僧を派遣したり、全国規模でこの法会が営まれました。
このように、怨霊の追善法要をルーツとする彼岸会が、やがて末法思想とむすびつきます。

末法とは、仏教の歴史観です。釈尊の滅後二千年もすれば、仏教はすたれ、それを実践修行する人すら
いなくなり、ただ教えのみのこるというのです。日本が末法の時代に入ったのは平安末期です。おりしも
世は武士の台頭により、戦乱にあけくれていました。人々は、こうした末法の時代に入って、浄土に
あこがれ、来世の浄土往生を強く願ったのです。
このようにして浄土教がひろがっていったのです。

とりわけ四天王寺の西方信仰が有名です。西門の鳥居は極楽浄土の東門のあたるとされることから、
日想観を行ずるとされることから、日想観を行ずる聖地となりました。日想観とは、極楽浄土を観想する
ための行法です。西方沈む夕日をながめがら、ひたすら浄土を想いめぐらすというものです。

しかし、親鸞聖人はこのような往生浄土のための自力の行をいっさい否定され、誓願によってお浄土を建立され、
このお浄土にいっさいの人々を救いとらずにはおれないという阿弥陀如来のおはたらきに、すべてをおまかせする
という他力信心のいわれをあきらかにしてくでさったのです。

彼岸とは、迷いの世界を此岸というのに対して、悟りの世界をさす言葉で、お彼岸とか彼岸会という場合の
彼岸は「到彼岸」の略。つまり「迷いの世界から悟りの彼岸へ到る」という意味です。

浄土真宗では、お彼岸は「先祖の墓参りをする期間」でなく、
「悟りの世界へ到らしめて下さ如来さまのお徳を讃え、そのお心を聴聞させていただく仏縁」として大切にしています。