箱船前夜

前夜前白

 以前からずっと気になっていたのである。工事が始まってから完成までの経緯は既に「箱船への道」で述べたとおり。しかし、建設の思い立ちから着工決定までのことはまったく触れていない。さらに言えば、箱船とは一体全体ナンゾヤ、ということもほとんどマトモに書いていないのである。これでは拙webサイトを初めて訪れてくださった方には、何のことやら全くおわかりいただけないだろう。

 気になっていたのならばさっさとページを作って書けばよい。その通りである。生来のグズが災いし、とうとう今になってしまった。成り立ちをきっちり書いておくことが、理解協力と努力をくださった方々への最低限の礼儀でもある。それを忘れては遺憾。感謝の意を込めて、ここに箱船前夜ページを新設する。

稀有の幸い

 思い立ちは、1992年の年末である。もう11年以上前にもなるわけだ。御近所様への迷惑も顧みないまま、遮音状態の悪い部屋にもかかわらず大音量再生していたその頃、こういう状況は長続きしないと常々思っていた。ならば部屋に応じた音量で聴けばよい。普通はそう思うし、またそうするのが常識である。僕はどうしてもそれが我慢できなかった。ワガママなのである。このままでは何時かきっとトラブルを起すに違いないと感じ、それなりの危機感を持って新しい部屋の建設を考え始めたのである。

 建築物そのものの設計施工はプロに任せる他にない。これは当たり前である。そこへ辿りつく前、最も大きな問題は建築費用をどのように用意するか、である。本格的な設計に入る前、まず資金限度を決める必要があったのである。全ての話はそこからだ。自己資金100%、上限無し、ならば何ら問題ないわけだが、そんなことが可能なはずはない。分相応に限度を設け、しかも当然ローンを組むことになるのである。

 これは難問だった。返済能力の限界もある。加えて、僕の業務の関係上、非常に煩雑な手続きが必要になったのである。この辺りはプライベートな事柄が絡んでくるので、あまり詳しくは書けない。結果的には、多くの方々の深い理解と協力によって、この難関をクリアできたのだった。稀有の幸いだったと言える。常識的に考えれば、一笑に付されてもおかしくないような計画だったのだから。

 僕はこの時のことを一生忘れないだろう。もし、関係者諸氏からのゴーサインが無ければ、箱船建築は絶対に実現していなかったのである。かかる諸氏とのご縁とは、誠に以ってありがたいものである。滅多に得られるものではないと思っている。今も、これからも、僕は心からの感謝を忘れないでいたい。

 「箱船」は、僕の手前勝手な言い分を、何も言わずに呑んで下さった方々の理解に寄りかかって、建っている。毎日好きな音楽を好きな音量で好きな時間に聴けるのも、オーディオ仲間と楽しい時間を持てるのも、全てそのおかげさまである。

 僕はオーディオが好きである。オーディオの無い生活は考えられない。だが、最も大切なことは、業務を完遂してこその趣味だということ。拠り所を忘却しては遺憾のである。

 今、「箱船」で音楽を聴く。そのこと自体、稀有の幸いであると感じるのである。