プロフィール


オイラはドラマー




 始まりはロックだった。
音そのものは、どうでもよかった。ただ大きな音でロックを聴きたかったのだ。はじめはシングルEPばかり買っていたが、兄がLPをどんどん買うのを見て、自分も欲しくなった。
 1976年2月7日、中学2年生の僕は、初めて"自分のLP"を買う。それが左の「QUEEN/オペラ座の夜」だった。当時でも1枚2,500円、思い切った買い物だったと記憶する。

 今から思えば、これが泥沼への第一歩だったんだろうなあ.....。



 「BOSTON」のデビューアルバムである。このレコードはバカ売れしたし、長岡先生の「レコード漫談」でも取り上げられたので、長岡派の中にもご存知の方が多いだろう。発売は確か、外盤が'76年初夏、国内盤が同年秋だった。
 この頃の僕は、オーディオマニアでもなんでもなく、ただのロック小僧だった。音を聴くのではなく音楽、それもドラムとベースを一生懸命聴いていた。

 いつかはこんなバンドを組んで演奏できたらなあと、ひそかに思いながら。



 高校生になって、ロック好きの仲間とともにバンドを組む。オイラはドラマー。
この頃になると趣味も少し玄人っぽくなって、知る人ぞ知る、イギリスのロックバンド「FREE」などを聴くようになる。組んだバンドがたまたま4人(ギター、ボーカル、ベース、ドラム)だったので、「FREE」をコピーすることにした。
 「FREE LIVE」。このグループ最高傑作といわれるこのアルバムから、「ALL RIGHT NOW」、「MR.BIG」の2曲を選んだ。理由は、カンタンそうに聴こえたから。無知は強いが、怖い。
 勿論、ド下手のどうしようもないバンドだったが、自分で演奏する面白さに味をしめた僕は、急速にそっちへ傾いていく。

 オーディオと、最も無縁にすごした時期である。



 20歳前後、病膏肓に入る。気持ちはプロ志向、入れ揚げ方もシャレでは済まなくなってきた。当時はバンドブーム前夜、ライブハウスが隆盛を極めていた。関西圏、京都では「拾得」「サーカスアンドサーカス」、大阪では「BURBON HOUSE」などが有名所。そういったところの常連バンドにもぐりこみ、ドラム三昧の日々をすごす。
 右の写真はその頃入っていた、「三十三間堂」というバンドのシングルレコード、EP盤である。当時京都ではかなり鳴らしたグループで、ここでドラムを叩けることになった時、夢ではないかと思うほど嬉しかったのを覚えている。

 やがて、この世界と別れを告げるときが来るのだが、オーディオになだれ込んでいくのはもう少し後のことになるのだった。

 僕のオーディオ原初体験は、これである。アイワ TPR-101。ラジカセのご先祖様だ。もちろんモノーラル、FM、AM、SWの三つが受信可能、カセットテープ録再、外部マイク付き。本体には「3BAND RADIO CASETTE TAPE RECORDER」と銘打ってある。1970年当時、現金正価¥25,900、定価¥27,500。この写真は実家に残っていた当時のカタログから。
 これは楽しかった。FMやAMからいろんな音楽を録音したり、外部マイクで自分の声を録ったりして、小学3年生には最高のおもちゃだった。録音した自分の声が全く違って聴こえることを知ったのも、一本のテープを何度も使うとだんだん音が悪くなることに気付いたのも、この時である。
 この後、ごみ捨て場のテレビから引っこ抜いてダンボール箱に突っ込んだスピーカーをつないでみたり、学校のふる〜いアンプにつないで大きな音を出してみたりと、中学生に至るまで酷使した。幾度かの修理を経て天寿をまっとう、今も実家には現存しているはずだ。
 考えてみれば、やっていることは今でも似たようなモンである。


以降鋭意準備中

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