http://www5.nkansai.ne.jp/users/kusatani/

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草谷山荘民宿草谷山荘藤原睦幸のホームページアクセスindex10.htm草谷山荘 TEL079-667-8502

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藤原文男。ホームページhttp--www5.nkansai.ne.jp-users-kusatani-草谷山荘電話番号。079、667、8502番。
漸くホームページが正常にもどりました。ファイルクリック開いてサイトビュークリックするとフォルダが出る。リンクが出る。トップページ引きずる。

2月20日
今日は八鹿病院に糸を抜きに出る。八鹿病院診療支払すべておわりました。家に帰り風呂に入り頭を洗う。

2月18日
 今日から二日間兵庫県スキー連盟準指導員検定会。氷の山国際スキー場で開かれている。あまり参加人数少ないようである。草谷山荘が本部である。

2月17日
金曜日。気温上昇。屋根の雪落としほぼ終わる。やれやれである。明日から準指検定である。

養父市奈良尾文さんです。十一日夜中気が付いたら「頭部外傷」の手術完了と八鹿病院が言う。その夜泊り十三日もう帰れ」と言う、べつびんさんが世話してくれる八鹿八鹿病院、食物語の料理美味い。酒と焼酎飲まれたら毎日泊りたいが、二十日に糸を抜くらしい。車に乗れない。大雪狭いガレージバックしたらミラーを壊した。古い車で部品がないらしい。頭の怪我。飲まれない。また連絡します。

 文さんです。十日突然、気が付いたら八鹿病院夜頭の怪我を手術、十一日夜中から泊めてくれました。
十三日もう帰れというからせめて一週間泊めてくれと懇願しましたが、僕が食いたい食物語の料理を食わせてくれる。栄養士が僕の嫌いなものは食わせない。関東煮と櫛刺しの煮た料理に酒や焼酎を注文出来たらこんに良いところはない八鹿病院。だから田淵君が度々ゆくのだろう。酒の飲みすぎか、原因不明、二十日糸を抜きます。狭いガレージバックしたらミラーを壊した。古い車でミラーがないから当分車に乗れない。「「頭部外傷後の注意」八鹿病院。の文書読んだか」と息子が怒鳴りつけた。「こんな大雪死んだらお父さんは良いけれど、村中親戚屋根の雪落としが出来ないから」と嫁が言う。死ぬに死ねない。豪雪である。毎日テレビ、が耳が遠くて聞こえない。温泉にも行けない、焼酎も飲めない。面白い本も読みたくない。


但馬食物語

おはようございます。
>
> 食物語の瓦版(仮称)の創刊号を発行する!と言うことで、前回の打ち合わせの際に決まり、内容は簡単に但馬の食の裏話を!と言うことになりました。
>
> グループメンバーに、食の現場のプロがいらっしゃるので、先ずは創刊号をご担当いただくのは村瀬さんになりました。
> 皆さんに確認を。と言っていたのですが、地域夢会議に間に合えば。と言うことで、添付した内容で取りあえず発行しました。
> 内容、現在仮称の名前について、何かございましたらご連絡下さい!
>
> 名前は、ぜひ良いネーミングがありましたら宜しくお願いしますm(__)m
>
> 予想以上の大雪になり、中々集まれませんが、近々集まりたいと思いますので、それぞれのご都合をお聞かせ下さい!
> 雪掻き疲れなど、寒さ厳しい時節柄ご自愛下さいね。
>

2月14日
大変な大雪である。今日はハチ北オオササに行く。貸しスキーをしている。鉢北温泉に入る。息子たち屋根の雪おろしをしている。

2月13日
10夜突然倒れた。救急車で八鹿病院ゆく、頭を強く打ち手術。今日13日退院しました。

大変ですね!雪の為延期になりましたうか大事にされてく元気になってくださいMMはもう少し先で開催します日程が決まり次第連絡させていただきます

自然工房 熊田得男

 熊田様

藤原文男です。この間突然たおれ頭を強く打ち救急車で八鹿病院入院しました。今日退院しました。が大雪と入院後運転はむりです。

今回は欠席します。あしからず

----- Original Message -----

From: 自然工房 熊田得男

To: '藤原 文男'

Sent: Tuesday, February 07, 2017 12:25 AM

Subject: RE: 江野トンネルの手前でしょうか野です野に向かう江野トンネルの手前の集落です

地図上です

From: 藤原 文男 [mailto:f1230@mxc.nkansai.ne.jp]
Sent: Monday, February 6, 2017 3:08 PM
To: sizenkobo@leto.eonet.ne.jp
Subject:
江野トンネルの手前でしょうか

熊田様養父市奈良尾の藤原文男です。場所河野と聞きました。が地図には江野と書かれています。178号線、江野トンネルの手前でしょうか。地図上のところでしょうか?

2月7日
2月14日

夢テーブル委員会.。豊岡市江野畑野実さま。江野区長。江野トンネル手前。江野村で会合。2月14日11時集合。但馬空港を経て国道178号線。江野。家9時発。

25日 たじまユメトークに参加のみなさんお疲れ様でした井戸知事を迎えて無事に完了しましたさて活動報告と次回活動の案内を添付します次回MMは 214日 場所は いかそうかいの砦(ができました)です


お昼を食べながら今後の活動について話し合いますぜひ参加ください準備の都合状m参加される方は12日までに熊田まで連絡下さい

熊田様養父市奈良尾の藤原文男です。場所河野と聞きました。が地図には江野と書かれています。178号線、江野トンネルの手前でしょうか。地図上のところでしょうか?

 

**************************************************

低燃費幸福住宅 (Q1.0キューワン住宅)  自然工房    熊田得男〒667-0102兵庫県養父市十二所190TEL      079-664-0179X      079-660-1069

携帯      090-8122-7814MAIL  sizenkobo@leto.eonet.ne.jp

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3月4日
明日は五日、但馬県民局豊岡夢会議、アイティ七かい。午前10時着。したがって九時には家を出なければならない。午前中の会議らしいから宿泊せずに家に帰るか・

2月3日
 奈良尾老人会に菓子を買ってきた。10人に配った。約8300円。雪が降り老人会が出来ない。せめて菓子でも買ってきてと、ミカンバナナパン。じゆうす、など買ってきた。
今日は節分、豆マキの日である。が子供がいないので撒かない。昔は節分には「鬼は外、福は内」と豆を撒いていた。子供たちは大喜び。がそんなこといまはしない。

豆まきで「福は内、鬼は内」!?節分の由来と鬼が表すもの

鬼
 
毎年2月3日は節分。季節の恒例行事として豆まきをします。最近では大阪が発祥と言われる恵方巻を、その年の恵方(その年に歳徳神、歳神様がいる方位)に向かって食べる、ということも行われたりしますね。

2月1日
 皆さんこんばんわ。僕は毎日午前中温泉。養父市内の温泉。午後は帰ってから毎日飲んでいます。今午後10時半。焼酒にチリの果実酒、カマレド、シヤるドネ。12、5%を入れる・そこに小岩井牧場の純水リンゴ水をいれる。と美味い酒が出来る。
 但馬地方は節分冬中。熱海地方は桜満開。小さな雪が今日も降る。屋根の雪落としはなんとか息子たちがやってくれた。何もしない高齢者。生きているのが悪いような。ありがとう。どんどん家を増築したつけが降りかかる。固定資産税。家の雪おろし。家の補修費。が僕には何もできない。可愛想に。2000平方メートルを超す家を増築した。建てなければよかった。隣のふるさとの屋根も雪を落としていた。雪落としは大変である。スキー客は来ない。可愛想に息子たち、が、いたしかたない。

僕の葬式代の年金や積立金。少しずつ出してやるしか方法はないだろう。水戸黄門。文さん。うわつはっはっはーー。

節分冬中。と言う。まだまだ油断できない。

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こんにちは!事務局より郵送でご連絡があったと思いますが今週末2/5(日)  アイティ7F10:30〜12:00
但馬夢テーブル委員会の大イベント(?!)である『地域夢会議』が開催されます。少しでも多くの方にご参加いただき、盛り上げていきませんか。

まだ出席のご連絡をされていない方や、検討されている方、欠席と出したけど少し覗けるぞ!という方もぜひご参加いただきますよう宜しくお願いしますm(__)m

私の方でも結構ですし、直接事務局へご連絡いただいてもご都合の良い方でご連絡下さいね。どうぞ宜しくお願いしますm(__)m

但馬地域夢会議を下記のとおり開催します。
但馬地域夢会議は、但馬夢テーブル委員会と但馬県民局との共催で行う一大イベントです。参加につきまして、よろしくお願いいたします。

本日、チラシをメール便にて発送しましたので、お知り合いの方にもお声かけいただき、できるだけ多くの方に、ご参加いただけたらと思います。

【日 時】 平成29年2月5日(日)10:30~13:00【場 所】 豊岡市民プラザ ほっとステージ      (豊岡駅前です)
【テーマ】 『たじまユメトーーク~夢を語って“ええんだで”~』



※このメールは一斉送信のためBCCで送っています。(See attached file: 28夢会議チラシ.pdf)

1月28日
今日は但馬県民局夢テーブル委員会。浜坂松の湯。宿泊研修。今九時半もうすぐ出発します。また書きます。

newpage3.html へのリンク

自然ゆめ探検隊。冒険隊。松の湯一泊餅つき、魚の料理、などご馳走。一泊二食でたったの2250円。部屋は二部屋。十数人来ていた。県民局からも栂井さんが来ていた。餅つき、魚の作り。おいしい料理がでました。松の湯

 

index.htm へのリンク

http://www5.nkansai.ne.jp/users/kusatani/index.htm

草谷山荘
 藤原睦幸のページ冬のスキーシーズン。新年会。のご案内。

氷の山「ワイワイ、ガャガャ共同体」奈良尾民宿村

http://www5.nkansai.ne.jp/users/kusatani/index.htmhttp://www5.nkansai.ne.jp/users/kusatani/index.htm

sub3.htm氷の山奈良尾民宿村草谷山荘の起源
氷の山登山は一泊2食。大人7500円。御一人様でも受け付けます。
新年会ビール一本焼酒飲み放題、8000円。以下の中から選択してください。

八鹿氷の山インター開通、播但道和田山、豊岡方面で降りないでください。養父でも降りないでください。終点は舞鶴道。八鹿氷の山インターです。特に土曜日には国道9号線関宮の信号が混雑しますから。八木の三叉路、三宅の三叉路の信号左折。万灯の湯、から氷の山方面に、中瀬鉱山から県道。ハチ高原、氷の山方面にお進みください。大阪、神戸方面から来られます方は北近畿自動車道春日から高速、八鹿、氷の山終点まで無料です。地図をしっかり見て道に迷わないように、草谷山荘にお越しください。播但道は和田山から八鹿氷の山インター。無料です。降りてから通常は約30分でこれます。

但馬牛の本場。すき焼き、カニの炭火焼。ご注文により。


鍋もの料理。その他、料理各種。山の山菜料理。ご希望により受付ます。何なりとご用命ください。

すき焼き、味噌たき、鴨鍋、水たき、鉢伏せなべ、カにちり、ぶたしゃぶ。キムチ鍋。チャンコ鍋、炭火焼きカに、自家生産のしいたけ炭火焼き。ご希望の料理致します。以上の中からご指定ください。すべて手づくりの料理です。夕食は鍋料理専門です朝食も手づくりの料理です。
年末忘年会。年始新年会、一泊二食7500円でok 
ビール一本つき、焼酒のみ放題。約8000円。ご予約ください。電話079667.8502
草谷山荘養父市奈良尾130番地。藤原文男。ホームページhttp--www5.nkansai.ne.jp-users-kusatani-

兵庫県養父市奈良尾草谷山荘TEL079-667-8502番。人数の多少に関わらず電話下さい。
下記地図参照。
兵庫県養父市奈良尾草谷山荘TEL079-667-8502
スキーは一人様でも受け付けます。
 合宿の宿泊料金は、ご相談に応じます。人数、宿泊日、などご連絡ください。



奈良尾民宿村。ここから40M。ふるさとの民宿右折すぐ、草谷山荘。看板あり。左、奈良尾民宿街。右、向こう右折草谷山荘

 
この看板見えたら左折
国道9号線関宮信号さ折。

ここから左に進む。氷の山国際スキー場の方向にお進みください。

信号から左折。氷の山を目指して進んでください。
JR山陰線八鹿駅下車全但バス鉢伏行き奈良尾バス停留所下車。車の来た方に下る50メートルを左折。草谷山荘
ハチ高原登降リフト乗り場。看板あり。左、奈良尾民宿街。右、向こう右折草谷山荘 

                             

     

1月23日
但馬史研究会提出論文。養父市奈良尾130番地。藤原文男。
ホームページhttp--www5.nkansai.ne.jp-users-kusatani-
 僕は但馬史などには興味はない。が歴史には興味がある。から書いてみたい。
昔、昔のその昔。奈良尾村に生まれた僕は毎日歩いて奈良尾村の共有山に柳作りに行っていた。あるいて30分。柳つくり。わさびの栽培。秋から冬、雪がつもると春になると氷の山の山林から木を伐り、雪の上を滑り落としてマキを作っていた。秋になると朝五時に起きてマキを家に運んだ。冬になると男はみんな出稼ぎに出ていた。家には老いた老人の年よりと嫁が留守番をしていた。僕も15歳のころから風呂屋の釜焚きに出稼ぎした。百姓の長男は家の跡継ぎである。だから小学校を卒業すると出稼ぎしていた。

 女は牛を飼っていたから毎日入り口を入ったところに牛の資料を入れる桶に藁を切り牛に与えていた。「もう」と牛は食べていた。牛か゜いなければ田んぼが作れない。牛は耕運機だ。
時代は移った。今頃は牛は居ない。田んぼなど造っても生活できない。出稼ぎもしない。出稼ぎするなら都会に出た方がよい。ここまで書いたが今日はもう寝ます。また明日書きます。

 昭和三十年頃からスキー客がき出した。毎年毎年家を増築した。僕は最初の頃五人の布団で民宿を始めた。母の嫁入り布団。妻の嫁入り布団である。毎日近くの山に炭焼きに行っていた。妻が炭焼きの僕を呼びに来た。「お客さんが八人来た、はよう帰れ」それが初めてのスキー客であった。布団は八人前。が、ゴバンの布団が有った。全部出して寝させた。それから毎年増築、また増築。昭和60年だいまで増築を続けた。収容人員90名。一人前の布団に二人寝かせた。それでもお客さんはどんどん押し寄せた。僕は百姓で儲けた。柳つくり1000かん造った。わさびをつくった。氷の山山わさび生産出荷組合、大阪市場に出荷。お祖父さんのおかげで氷の山の清水の出るところはみんな僕の家の土地だつた。農業収入100万円。サラリーマン1800円の月給のころである。

 今年は豪雪、どんどんと雪が降る。1200平方メートルか、体育館を合わせると2000平方メートルの民宿である。雪落としが大変である。こんなに家を大きくしなければよかった。が後の祭り、固定資産税に息子は苦しんでいる。屋ねの雪落としも大変だ。去年は暖冬、雪が全く降らなかった。今年は豪雪というより大雪。世の中は狂った居る。といっても誰も助けてはくれない。息子は屋ねの雪落としで、嫁は道の雪を水路に捨てている。こんな家立てなければよかった。固定資産税が大変だろうなー。

 但馬史とはなんなのか?民衆の生活の本当に生きてきた生活の歴史。それが但馬史である。と僕は思う。有名な神社がなんだあーカンダあー言ったって、但馬に生きて生活した百姓の税金を絞りあげて、大きくなったのだろう。どこの殿様だろうと、百姓が働いた汗と油の結晶を搾り取って、生活できたのである。と、僕は思う。
が僕は共産主義者ではないよ。本当のことを書く小説家である。まあ今日はここまで。

一月14日
 雪がどんどん降ってきました。一メートル以上つもりました。まだまだ降ります。氷の山国際スキー場。全部滑れます。ありがとう。
新年明けましておめでとうございます。今年は八十八歳。まだまだ元気です。
index.htm へのリンク
ハチ高原にて


桜満開の熊次小学校。                   右葉桜の小学校と残雪

アクセス    

魚つかみ。奈良尾飯ごう炊飯場。小さな木が大きくなった。わさび田のあったところ。氷の山奈良尾炊飯場。

                     

文さんの日記

但馬を映像で発信する会
「但馬遺産を巡る」そこに残したい但馬がある。

著者プロフイール

「但馬に生きて、遥かなるロマンを求め、駈け巡る

続。文さんの日記10月21日

     


index.htm へのリンク

 

Subject: 8期一泊研修のご案内自然ゆめ探検隊・冒険隊の皆様今年も残すところ数日となりましたね。委員の皆様には師走を迎えて毎日忙しくされていることと思います。

さて、次回の活動ですが来年度128日(土)に一泊研修として皆様の顔合わせと振り返り、そして、今後の活動計画など和気あいあい鍋を囲んで行いたいと思ってます。場所は浜坂海岸レクレーションセンターの「松の湯」です。予約済み。



雪が降りました。ハチ高原にもふりました。

 但馬県民局夢テーブル委員会と中播磨地域ビジョン委員会との交流会。姫路城周辺の町歩きの交流会終わりました。今日は一日ゆっくりしています。午前中但馬楽座温泉。補聴器の調整に行く。周囲の雑音聞こえなくなる。テレビも見られる。ハチ高原まで雪が降っている模様。明日は積もるだろう。もう少し積もったらスキーに行きたい。今年の最大のイベントが終わった。16日には村の老人会。すべてのイベント終わる。今日関宮歌舞伎があったが申し込まなかった。毎日出かけることは疲れる。


姫路城の周辺を散策しました。

12月10日
但馬県民局夢テーブル委員会。姫路にゆきます。夢会議午後は姫路城周辺の散策します。

ここから下のページは。草谷山荘のおじいさん藤原文男の創作です。批判精神。ますます政治評論。行政評論を書いて行きます。がすべて小説です。このホームページはフィクションです。営業のページは上のページクリックしてください。

最新文さんの日記5月27日。今年の日記。すべて収録しました。ここに日記書きます。

indax5氷の山ワイワイガヤガヤ共同体奈良尾民宿村.html へのリンク

但馬に生きて遥かなるロマンを求め、駈け巡る  80歳誕生日に集大成の回想録白鳥正夫講演会。

著者プロフイール 。ニックネーム文さん。ペンネーム水戸黄門

(小説。天理教。大本教の時代考証。藤原喜三郎。藤原文男研究論文。山田風太郎の世界。

氷の山国際スキー場の経営を考えるページ合併10年養父市合併の功罪

文さんの日記。newpage29.html へのリンク

シリアヨルダンレバノンシリアとはどんな国か。私の旅行記。シリアとはどんな国なのか?詳しくかいています。日本の政府の情報より、私は詳しく調査しています。中東地方。約10年間旅行しました。文さんの調査記録。このホームページに詳しくかいています。水戸黄門の記録。

アメリカスキーの旅アメリカの旅東海岸。ニューヨーク、ワシントン世界の国々の旅
 二回目はアメリカ東海岸。関空からサンフランシスコ空港経由。東海岸。二―ウヨーク、ワシントンを訪れた。とはなした。
今日の夜、関空からアメリカに飛び立つらしい。二度と会えない。三宅の中嶋君。お元気で。また「日本に帰ってこいよ」と二回伝えた。が帰るとは言わなかった。中嶋家長男らしい。帰って来ても仕事がない。子供たち、元気で活発に動いていた。13才の背の高い女の子、今日、関空からアメリカに飛び立っただろう。いろいろな世界がある。お元気で、三宅の中島君。「関宮町に帰ってこいよ。」と最後の別れを惜しんだ。

小説 九州横断、山口島根の旅


文さんの日記1月2日。
年末、27日以後の新しいページです。イベント多数の画像です。

 newpage1.htm へのリンク文さんの日記7月中頃までの日記です。続に更新しました。

(小説。有本倶子と山田風太郎の世界と水戸黄門の思い)

但馬探訪。神社仏閣。観光地を訪ねて。 ふるさとづくり大学提出論文。平成26年10月藤原文男

       indax5氷の山ワイワイガヤガヤ共同体奈良尾民宿村.html へのリンク

小説活弁やと村芝居都会の片隅で小説初夢

sub3.htm草谷山荘の昔の歴史。
<IMG SRC=`/c&i-bin/webcnt/counter.exe?kusatani.htm">[6.]
氷の山
奈良尾民宿村草谷山荘の起源
藤原睦幸のページ

但馬地域遺産。氷の山、熊次村。奈良尾村の由来



 藤原家の祖。久空智光信士(1670-1730死)享保15年死。従って350年間の歴史がある。何代だろうか?人間の一代を30年とすれば、藤原睦幸で12代目。である。

 氷の山奈良尾村、藤原一族の先祖は少なくとも三百三十年前に生まれた藤原三平貞長、即ち山名家の江戸詰め定府士の子孫である事が歴史上証明されている。『但馬世継記』によれば氷の山の村は鳴尾のましらが住んでいたことにちなむとするが、風の鳴る尾根、平尾、『なるお』から変化したものか、元弘年間、奈良尾眼人というものがいたという、後醍醐天皇の時代、元弘年間には楠正成が挙兵した頃である。      氷の山の村の藤原一族は美方郡史によれば天明年中藤原三平貞長代官となり、天明年中藤原三四郎祐筆にて山名家定府『江戸詰め』となる。藤原家の家の上に墓がある。 久空智光信士享保十五年死『千七百三十年死』である、従って推定千六百七十年生まれ徳川吉宗の治世である。 後世のために藤原家の家系図をここに記録しておく
民宿草谷山荘。昔の歴史。
草谷山荘の昔の歴史。明治12年建築の木造建築です。中心の建物は一度も改築していません。

 永正年間八木但馬守の臣にも奈良尾眼人盛貞と言う者がいて、藤原の祖になったとも言う、永正年間とは戦国争乱の足利時代から室町時代の頃である、八木但馬守は秀吉の但馬攻めで滅びている。 天明年中には、藤原三平貞長代官となり、天保年中には藤原三四郎祐筆にて山名家定府士となりその子孫が住せりと書いてある、参考文献は『美方郡史、関宮資料集、兵庫地名辞典、但馬世継記』何れにしても奈良尾の村は旧村であり藤原一族の祖は家の上の墓である。奈良尾の村は日当たりの良い旧村である。丹戸村は奈良尾の出村であり、梨ケ原、草出はその出村であるといわれている。神社は荒御霊社で祭神は素盞鳴命天文十四年勸請寛永四年再建といわれる。

 久空智光信士(1670-1730死)享保15年死。久空智光信士、享保十五年死『千七百三十年死』である、従って推定千六百七十年生まれ徳川吉宗の治世である。現存する遺跡。家の上の墓が証明しています。藤原文男は奈良尾村の墓を調査。村の遺跡調査しました。藤原家のルーツをここに記しておきます。
善林信女文化2年死。篤養自現信士源兵衛(安政3年死)市郎左衛門五岳平定信士(別名五平1814生まれ、天保五年五月二十日相続。文化14年-明治16年3月16日隠居死亡日時不祥)三男藤原文次郎(安政元年生まれー昭和11年12月4日死)明治13年3月31日独立藤原喜三郎ー藤原文男ー藤原睦幸。12代目である。
その後の継承者。林明美の子。孫の林まきに選定したいと考えて居る。この稿藤原文男記。

  五平、子、兄藤三郎家出につき家督を次男伊七継ぐ別名常太郎。其の子小一郎。三郎、光男で家督消滅。
 奈良尾村の部落有土地について、永代耕作権。
藤原の家の部落有、土地はすべて藤原文次郎が相続している。祖父文次郎は明治12年独立したが、兄が家でしたのでその後の資産すべて継承した。従って藤原の家は祖父文次郎が継承者である。
では藤原の家は藤原文男で何代目になるのだろうか?久空智光信士(1670-1730死)享保15年死。
従って350年間の歴史がある。何代だろうか?人間の一代を30年とすれば、藤原睦幸で12代目。である。
 源兵衛弟初衛門-弥助は五平の弟で初衛門別名五郎兵衛の養子となる。其の子源太郎、判造。美代志 寿彦平成24年死亡。妻のこるが子が生まれず、藤原系統は継嗣が滅亡。藤原系統はなくなる。
従って久空智光信士。一族の後継者は藤原睦幸となります。この記録は藤原文男。調査記録します。
久空智光信士(1670-1730死)享保15年死。久空智光信士、享保十五年死『千七百三十年死』である、従って推定千六百七十年生まれ徳川吉宗の治世である。善林信女文化2年死。篤養自現信士源兵衛(安政3年死)市郎左衛門五岳平定信士(別名五平1814生まれ、天保五年五月二十日相続。文化14年-明治16年3月16日隠居死亡日時不祥)三男藤原文次郎(安政元年生まれー昭和11年12月4日死)明治13年3月31日独立藤原喜三郎ー藤原文男ー藤原睦幸。約12代目である。

  五平、子、兄藤三郎家出につき家督を次男伊七継ぐ別名常太郎。其の子小一郎。三郎、光男で家督消滅。
源兵衛弟初衛門-弥助は五平の弟で初衛門別名五郎兵衛の養子となる。其の子源太郎、判造。美代志 寿彦平成24年死亡。妻のこるが子が生まれず、藤原系統は継嗣が滅亡。藤原系統はなくなる。
従って久空智光信士。一族の後継者は藤原睦幸となります。この記録は藤原文男。調査記録します。

民宿草谷山荘のご案内。

氷の山國際スキー場。奈良尾民宿村。氷の山登山道、魚つかみ場、飯ごうスイサン場、スキー場はすべて奈良尾村民宿の手作業で管理しています。

民宿草谷山荘のご案内。
 林間学校でご利用いただいて有難うございます。草谷山荘は明治12年建築の古い民家を改造して造られています。そのため段差が多いいですが、冷房設備はありません。が、氷の山から吹き降ろす風が夜の冷房効果を100%。昼は生徒さんは野外活動で冷房を必要としていません。電力欠乏のこのとき、節電には打ってつけの民宿です。経費縮減は生徒の皆様のサービスに振り向けています。安心して利用できます奈良尾民宿村。草谷山荘。今年もよろしくお願いいたします。079 ー667ー 8502番

年末忘年会。年始新年会、氷の山登山。一泊二食7500円でok079 ー667ー 8502番


奈良尾民宿村。ふるさとの民宿右折すぐ、草谷山荘。看板あり。左、奈良尾民宿街。右、向こう右折草谷山荘


但馬と日本、世界のスキー場の歴史考察平成24年度ふるさとづくり大学提出論文

「ここから下」のページは草谷山荘の営業と関係ありません編集このホームページはフィクションです仮説です。全て面白く読むための小説です。「文さん、水戸黄門、」とは筆者藤原文男 21万5000人ご愛読ありがとうございました

草谷山荘。林間学校。申込受け付けて居ます。学校、合宿の料金は電話ください。

      


氷の山ハチ高原から写す。スキー練習




 民宿草谷山荘は明治12年に建てられている。その中心になる建物を真ん中に、昭和30年民宿開業以来、増築などして現在も民宿として利用しています。一度立てた建物は補強はしても一度も立替していません。昭和47年最後の建築が行われた木造建築です。体育館以外は、古い木造の建物を改増し、補強して今も利用しています。材料の柱材はクリです。ケタなどはケヤキを使用しています。増築も心材はクリとヒノキを使用、土台は全部クリです。外材は一部でなるだけ使わず、タルキ、は殆ど日本材です。一本一本山からノコギリと斧で切り、ハナグリで引き出し、家の構造設計はおじさんたちが致しました。

 近くの製材所で製材しています。家の周囲は土の壁ですが壁下の竹は秋から冬、山から切り出し、おじさんたちが竹や板を打ちつけ壁を付けて上塗りしています。建築用の木材や竹は秋から冬、寒いときに切り出します。春から夏切った木材や竹には虫が入りやすく長持ちしません。一本一本の家の柱や木は山から切り出す時、吟味しています。従って民宿全体が木造と土の壁です。家に段差が多く不便ですが、人間の自然、生活環境としては最高だと自負しています。

     

氷の山奈良尾村、藤原一族の先祖は少なくとも330年前に生まれた藤原三平貞長、即ち山名家の江戸詰め定府士の子孫である事が歴史上証明されている。『但馬世継記』によれば氷の山の村は鳴尾のましらが住んでいたことにちなむとするが、風の鳴る尾根、平尾、『なるお』から変化したものか、元弘年間、奈良尾眼人というものがいたという、後醍醐天皇の時代、元弘年間には楠正成が挙兵した頃である。

 

氷の山の村の藤原一族は美方郡史によれば天明年中藤原三平貞長代官となり、天明年中藤原三四郎祐筆にて山名家定府『江戸詰め』となる。藤原家の家の上に墓がある。 久空智光信士享保15年死『1730年死』である、従って推定1670年生まれ徳川吉宗の治世である 後世のために藤原家の家系図をここに記録しておく。草谷山荘上の藤原家の墓に祭られている。久空智光信士(1670-1730死)享保15年死。善林信女文化2年死。篤養自現信士源兵衛(安政3年死)市郎左衛門五岳平定信士(別名五平1814生まれ、天保5年5月20日相続。文化14年-明治16年3月16日隠居死亡日時不祥)兄藤三郎は明治元年3月16日相続したが家出、祖父文次郎、安政元年7月17日に藤原家三男として生まれた。現存する藤原家の元祖は。三男藤原文次郎(安政元年生まれー昭和11年12月4日死)明治13年3月31日独立。藤原喜三郎ー藤原文男ー藤原睦幸。遺跡に残る元祖は。久空智光信士。(1670年ー1730年死)約400年前。一族の後継者は藤原睦幸となります。この記録は藤原文男。調査記録します。藤原家一族の遺跡や文書に残る記録は約400年前です。

藤原家の昔の歴史。
 永正年間八木但馬守の臣にも奈良尾眼人盛貞と言う者がいて、藤原の祖になったとも言う、永正年間とは戦国争乱の足利時代から室町時代の頃である、八木但馬守は秀吉の但馬攻めで滅びている。 参考文献は『美方郡史、関宮資料集、兵庫地名辞典、但馬世継記』何れにしても熊次村の奈良尾の村は旧村であり藤原一族の祖は私の家の上の墓である。奈良尾の村は日当たりの良い旧村である。丹戸村は奈良尾の出村であり、梨ケ原、草出はその出村であるといわれている。神社は荒御霊社で祭神は素盞鳴命天文十四年勸請寛永四年再建といわれる。{台風で神社が崩壊したとき、屋根裏から文がでてきました。}

      

 。草谷山荘上の藤原家の墓に祭られている。久空智光信士(1670-1730死)享保15年死。善林信女文化2年死。篤養自現信士源兵衛(安政3年死)市郎左衛門五岳平定信士(別名五平1814生まれ、天保五年五月二十日相続。文化14年-明治16年3月16日隠居死亡日時不祥)兄藤三郎は明治元年三月十六日相続したが家出、祖父文次郎、安政元年7月17日に藤原家三男として生まれた。三男藤原文次郎(安政元年生まれー昭和11年12月4日死)明治13年3月31日独立。藤原喜三郎ー藤原文男ー藤原睦幸。久空智光信士。一族の後継者は藤原睦幸となります。この記録は藤原文男。調査記録します

五平、子、兄藤三郎家出につき家督を次男伊七継ぐ別名常太郎。其の子小一郎。三郎、光男で家督消滅。
源兵衛弟初衛門-弥助は五平の弟で初衛門別名五郎兵衛の養子となる。其の子源太郎、判造。美代志
 寿彦
寿彦平成24年死亡。妻のこるが子が生まれず、藤原系統は継嗣が滅亡。藤原系統はなくなる。
従って久空智光信士。一族の後継者は藤原睦幸となります。この記録は藤原文男。調査記録します。


小説活弁やと村芝居

  祖母くりは昭和十九年の八月に逝った。終戦を待たずに戦時下の空襲の激しいときであったが農村は平和だった、父は食料が不足すると見るや農地を買い集めていた。七反歩の田圃と畑合計二町七反を耕作するようになったのは私が青年になってからだった。  父のお陰で私たちが成長し飯を多く食うようになった頃には米の収穫が多く増えていたので戦後の食料難の時代に私たちは、なに不自由なく生活出来た、柳畑は明治十二年祖父が家を独立して以来山の畑を開墾していたから一町五反くらい杞柳畑を作っていた。

奈良尾村字要山の大清水は藤原の家で明治以前から開墾し作られていた、氷の山から岩や土にしみ込み地下に浸透した水がこんこんと湧き出している、水の出る土地は沃く肥えている土地である。山毛欅や紅葉の落葉樹が長年にわたり流れてきた氷の山の土は作物が良くできた。
  氷の山の奈良尾村の縁故使用地として土地は熊次村名義に登記され、土地所有が確定される以前に祖父達は土地の開墾を完成していた。その頃、法律の知識に詳しい人達は自分名義に登記した。登記すれば税金がいる。無知な農民は税金を払わず耕作できる村名義の登記方法を選んだ。学問のある法律知識に詳しい人達は自分名義に多くの土地を登記した。柳ごうりの原料杞柳は、北向きの土地の氷の山の畑には、しなやかな柳の生産に絶好の特産地として但馬豊岡商人に好まれた。  氷の山の村で最初から山の畑を開墾した祖父の兄藤三郎は良い土地ばかり開墾していた。明治元年三月十六日相続したが家出、祖父、文次郎はその家を継いだ。 祖父は毎日柳づくりに精出していた、祖父の一生は働くだけの人生であった。

 四人姉妹の末子、長男として父が生まれたのは明治二十八年、祖父文次郎と父喜三郎は明治から大正年間に、杞柳の原料、行李柳の生産に家業を集中した。同時に養蚕などの現金収入を増やす為、土地の開墾を続けた。戦前と戦後の農業全盛期に私たちは成長した
杞柳の生産と養蚕や牛、出稼ぎなどの収入があったから現金収入は不足していなかった。

 私は戦後水のある土地に山葵を栽培した。祖父のお陰で山葵を多く作る事が出来た。祖父が生まれてから百五十年以上の年月が経っていた。公式な記録によれば明治十五年熊次の村々に始めて杞柳が作られ広がっていった。とされているが、明治以前から栽培は始まっていた。 奈良尾村の要山は北向きの富沃な土地で杞柳栽培に適している、 明治初年、祖父が独立した頃は日本の土地の登記も無く、明治政府の基盤が未だ確立していなかった。当時の土地は旧慣に基づく土地使用権、入会権の土地であり、開墾しただけ自分の土地として耕作権が永代に認められていた。柳畑は入会権のため土地登記は出来なかったが開墾だけでなく相当な面積を買い集めていた。その頃漸く農民に自分の希望する作物を自由に作らせる制度が出来た、また土地や田畑の永代売買の禁を解いた、地租改正、財政制度の整備、封建的諸拘束の撤廃など急速に改革が行なわれた時代だった。  

帝国憲法が明治二十二年制定された、戸籍簿の作成と登記などこの頃確定している、 百姓は百年の歳月の土台がないと成り立つ仕事ではない、氷の山国際スキー場が出来たとき、{昭和60年頃}私の家は祖父が独立してから百三十年を経過していた。 
 氷の山の奈良尾村の藤原一族は美方郡史によれば天明年中藤原三平貞長代官となり、天明年中藤原三四郎祐筆にて山名家定府『江戸詰め』となる。藤原家の家の上に墓がある。 久空智光信士、享保十五年死『千七百三十年死』である、従って推定千六百七十年生まれ徳川吉宗の治世である。 氷の山奈良尾村、藤原一族の先祖は少なくとも三百三十年前に生まれた藤原三平貞長、即ち山名家の江戸詰め定府士の子孫である事が歴史上証明されている。 『但馬世継記』によれば氷の山の奈良尾村は「鳴尾のましらが」住んでいたことにちなむとするが、「風の鳴る尾根、」「平尾、」『なるお』から変化したものか、元弘年間、奈良尾眼人というものがいたという、後醍醐天皇の時代、元弘年間には楠正成が挙兵した頃である。
                            
  永正年間八木但馬守の臣にも奈良尾眼人盛貞と言う者がいて、藤原の祖になったとも言う、永正年間とは戦国争乱の足利時代から室町時代の頃である、八木但馬守は秀吉の但馬攻めで滅びている。 天明年中には、藤原三平貞長代官となり、天保年中には藤原三四郎祐筆にて山名家定府士となりその子孫が住せりと書いてある、参考文献は『美方郡史、関宮資料集、兵庫地名辞典、但馬世継記』何れにしても奈良尾の村は旧村であり藤原一族の祖は家の上の墓である。
丹戸村は奈良尾の出村であり、梨ケ原、草出はその出村であるといわれている。神社は荒御霊社で祭神は素盞鳴命、天文十四年勸請寛永四年再建といわれる。

  祖母は孫の長男が若者になった姿に目を細めていた祖母が喜ぶ顔が見たいので毎日一生懸命働いた。  外孫の長村太一郎は小学校高等科を卒業すると十六歳の秋故郷をあとに出稼ぎした。 京都に出稼ぎしていたが当時の有名な弁士の元に弟子入りし活動写真の弁士の勉強を一生懸命やっていた、兵隊に取られるまでの数年間に関西の活弁やの世界では一躍有名になり映画の字幕に「長村太一郎」の名前が乗っていた。 舞台の裾に太一郎が姿を表わすと盛んな拍手が沸き起こった。「活弁や長村太一郎」は戦前の映画活弁全盛時代に一世を風靡していた。 太一郎は当時の映画女優の恭子と恋愛し結婚した。背が高く鼻筋が通り、細おもての美男子太一郎は京都活弁やの売れっ子弁士となった。
当然、映画女優仲間でも評判になり多くの女の子が寄り集まっていた。
  恭子は希に見る京都美人だった、穏和な表情、切れ長の瞳、典型的な京美人だった。祖母は孫、太一郎の嫁を暖かく迎えていた。

戦争が始まった『支那事変』と呼ばれていた、昭和12年盧溝橋で爆破がありその為戦争が始まったと聞かされている、近衛文麿総理大臣だった。ある日、熊次の太一郎の家に『赤紙』が届いた、『召集令状』であった。赤紙は生まれた家に来た。急いで電報を京都の太一郎に打った。 太一郎は妻恭子を連れて村に帰ってきた。太一郎は兄の家から出征していった。

  『勝って来るぞと勇ましく、誓って国を出たからにや、手柄立てずに死なれようか』愛する妻恭子を残して太一郎兄さんは出征していった。氷の山の村のお宮さんの前で挨拶した、『必ず勝って帰ってきます』出征兵士を送る歌、歓呼の声に包まれて太一郎兄さんは出征した。当時は鹿倉口まで村長以下大勢の村人と小学校の生徒全員が見送った。4kmの道を歩いて送った。

  太一郎は兵役を終えて村に帰ってきた、支那事変の戦いから復員し太一郎が帰ってきた、祖母は孫が無事戦争から帰って来た事を喜んでいた。  『太一郎兄さんが帰ってきた』私たちは喜んで太一郎兄さんと毎日山に行った。太一郎兄さんは山のクルミを取ってくれたり山海老を取ってくれた。  『太一郎にいさん、太一郎兄さん』現在の氷の山国際スキー場、ファミリースキー場のあたりにはクルミが多く自生していた。

 私たちは一緒に山に行ったその太一郎兄さんは時々京都から帰ってきた中国戦線から帰った時、村人が兄良太郎の家に集まった。中国戦線での戦いについて太一郎は話していた、当時の戦争の事を作戦と言っていた、徐州作戦に参加していた。 
『徐州、徐州と軍馬は進む、徐州は良いか住み良いか、洒落た文句に振り替えりゃ、おくに訛りのおけさ節、兵は徐州へ前線へ』
子供心に聞いた歌である、間違っているかも知れない、まだ日本が勝ち進んでいた頃の戦争の話しであった。 当時の蒋介石の軍隊は弱かった、今の中国の軍隊とは違う、日本軍はその頃まだ勝ち進んでいた、戦争から帰ってきた太一郎はその戦いの様子を得意の弁舌で話していた、小学校では日本の軍隊が中国内陸部まで占領した地図を毎日見せられ戦勝の話しを聞いていた。昭和13年から15年頃の話である。  活弁や弁士の太一郎の話しに村の人たちは何時しか引き入れられて行った。その太一郎は京都美人の嫁を時々連れて帰ってきた。  戦局は次第に苦しくなった、太平洋戦争が始まってから太一郎は再び中国戦線に渡って行った、今度は軍属として従軍カメラマンとして中国戦線の模様をカメラに納めた。戦局が益々苦しくなってきていた太一郎は仕事を止めて日本に帰ってきた。何事も目先を良く読む男だった。 戦争から帰ってきた太一郎は京都で市役所に勤めたり、色々と職業を何回か変えていた様であったその時々、その時代に儲かる仕事をしていた。公務員では妻子を養うことの難しい時代だった。

 戦後の過酷な食料難の時代を乗り越える為には普通の仕事では生活出来なかっただろう、 祖母は太一郎の帰ってくる日を待ち望んでいた、私はその祖母が山や畑で働いている姿を一度も見た事がなかった。元来余り丈夫では無かったらしいが昭和19年、八十七歳まで生きた祖母は長生きの方であった祖父と何時も囲炉裏の縁で喧嘩をしていた。 年を取ると夫婦でも頑固に自分の意見を通うそうとするから、言い争いが始まる、祖父は昭和十一年十二月四日に逝った八十三歳だった。


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ふるさとづくり大學。平成26年提出論文。藤原文男。あります。

各種料金林間学校の料金は別にお問い合わせください。
登山。ハイキング。スキーの場合です。
一泊2食。大人7500円。朝7時から。到着。部屋がすいていたら部屋に入れます。夜、夕食、翌日朝食。お帰りになるまで駐車無料。お荷物はスキーに行くときお預け下さい。
小人、6500円。幼児、6歳5900円、5歳5200円、4歳4200円。幼児無料。
半泊朝食つき、大人5500円。小人、5000円。夜到着、あくる日朝食、帰るまで駐車無料です。

カに追加、朝食800円。そのほか詳しいことは下記電話でお問い合わせ下さい。
電話。079-667-8502番。お気軽にお電話下さい。出発の途中からでも受け付けます
氷の山国際。ハチ高原。草谷山荘前からバス輸送します。林間学校。受付。各種お問い合わせください。
民宿利用者、特別割引あります、詳しくはお問い合わせください。スキー学校割引もあります。お問い合わせください。レンタルスキーボード、子供用スキー各種あります。

   

 newpage3氷の山国際スキー場通称オバナの継続利用と、起点基地への滑降コース造成に関する請願書.html へのリンク

 「氷の山山岳スキーからハチ、八北スキー場。氷の山国際スキー場。時代考証。

氷の山国際スキー場の経営を考えるページ

草谷山荘の昔の歴史

但馬地域遺産。氷の山、熊次村。奈良尾村の由来

3 月 定 例 会 日 程

日 時

会 議

時 間

内 容

2月24日(金)

本会議1日目

9:30~

開会 提案説明、議案審議、委員会への付託または表決

2月27日(月)

本会議2日目

9:30~

提案説明、議案審議、委員会への付託または表決

2月28日(火)

本会議3日目

9:30~

総務文教常任委員会

本会議終了後

付託された議案の審査

生活環境常任委員会

3月2日(木)

総務文教常任委員会

9:00~

付託された議案の審査

生活環境常任委員会

9:00~

3月3日(金)

予算特別委員会

13:00~

付託された予算の審査

3月6日(月)

9:00~

3月7日(火)

9:00~

3月8日(水)

9:00~

3月9日(木)

9:00~

3月10日(金)

13:00~

3月13日(月)

本会議4日目

9:30~

委員会への付託または表決、追加議案の審議

3月14日(火)

本会議5日目

9:30~

一般質問

3月15日(水)

本会議6日目

9:30~

一般質問

3月16日(木)

本会議7日目

9:30~

一般質問

3月17日(金)

予算特別委員会

9:00~

付託された予算の審査

3月24日(金)

本会議8日目

9:30~

委員長報告・表決 閉会

 

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