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                           文さんの日記7月26日
氷の山国際スキー場ハチ高原スキー場草谷山荘のホームページ
667-1125兵庫県養父市奈良尾130番地
TEL079-667-8502。FAX079-667-7014

このホームページはすべてフィクションです。小説です。画像も偽作です。事実に基づくものではありません

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「関宮町独立既成同盟」設立準備会の結成をみる。
百姓が、人間が安心して生活できる特区。の創設をねがいます。

8月15日
 孫の恭平が嫁を連れて遊びに来た。福知山の親の娘の車で来ていた。八鹿の林家にも寄ってきたらしい。九月26にちから伊勢詣りにつれてゆくらしい。29日かえりらしい。ついでに孫の家にもよるらしい。孫恭平が奈良の北葛城郡河合町に家を新築したらしい。5000万円らしい。またまた大変な借金。その家を見によるらしい。からちょっと祝い金をしてほしい。らしい。またまた金がいるらしい。地図を開いてみたら、西名阪法隆寺インターからすぐらしい。
そこに家を新築したらしい。嫁の父とおじいさん一家がまっているらしい。こりゃあ大変な銭のいる旅になりそうだ。ただほど高いものはない。何を土産に持って行ったらよいのかなー。水戸黄門の伊勢旅行。ただで行けると思っていたら大名旅行のように金をばらまく旅になりそうだ。わいノー。今更よーいかんともいえないし。

 わずかな年金暮らしの水戸黄門。葬式代くらいは使わずに残しておきたい。死んでからの事など心配するひつようはないだろう。が民宿産業は斜陽化し、もうからない。林業は金にならない。農業はコメなど造っても銭にならない。孫たちにやるような銭はない。毎日焼酎に水割り、梅干しを入れてのんでいる。但馬牛の肉を毎日食いたいが、栄養過多。健康管理に内の嫁は気をつかっているらしい。後5年の命。で90歳。葬式代最低500万円。その後の年季供養、家の補修費。いろいろと考えるとなかなかしなれない。
さりとて祖父、父の代から残した財産。売るわけにはゆかない。儲かる方法あれば教えてください。詐欺や泥棒はいけないよ。栄来盛衰。時の運。
気になるのは、大屋の母の家のおばさん。が、若し葬儀になったら息子の睦幸が家の代表として参加します。私は隠居です。いまからよろしく。

8月14日
 下記。文をかきました。ら、夜散歩していたらヤマナミのヒロツグ君とばったり。吉井、中瀬バイパスは今年の予算に計上。今年から工事着工されるもようである。県会議員の努力のもようである。藤田菓子やの息子の努力らしい。従って水戸黄門も了解。
何も「陽千」ような議会議員は。次は落選。がまあ、それなら応援してやろうかいなー。

 盆は今日来て明日帰る。大笹の墓参り、八北道の駅の向こうの一番上の墓である。場所は良いところである。板坂家の墓地である。
墓参りの後、おジロンに向こう。10時を回って居たが誰も入って居ない。一番乗りである。その後二、三入ってきた。近くのゴンドラが回って居た。ひまわりパークの駐車場かなりな入りだった。12時過ぎにいえにかえる。焼酎を飲む。今日は隣の護君が帰ってくる。話に行く予定。後二年で退職したら村に帰る。村の会計掛りくらいはしてもらえるだろう。そのうち区長などもしてほしい。来年くらいには、県庁から八鹿土木事務所長くらいにはかえってきてほしい。先ず、吉井中瀬バイパスの予算凍結解除に向けて、兵庫県の土木予算の内部から話をすすめてほしい。県庁の内部に話せばそんなことかんたんである。藤原課長の最後の村へのご奉公をおねがいしたい。先ず、来年は住民票を関宮町役場に持ち帰る。今日はその話をしよう。

8月12日
 盆が近づいて居ます。盆の客が来ている。らしい。が草谷山荘には来ないだろう。姉妹は80歳近くなり子供たちや、孫がそれぞれの家に帰ってくる。私の子供もその子供たちが家に帰ってくるだろう。結婚したら嫁や婿を連れてくるだろう。従って墓参りは家のもので済ます。まあ温泉に入り家に帰り焼酎を飲み、何時もの暮らしを楽しむ以外方法はないだろう。隣の護君が帰って来たら、話に行こうか。15日には孫の恭平がくるらしい。からよそに行かずに家に居る。18には孫のまきが車でくるらしい。から家におる。予定がある。
 
 大屋のおばさん、なんとか盆の間にあの世に行かないように、土曜、日曜日毎週予定があります。毎日温泉。忙しい。今日は腰が痛いので水田接骨院。天女の湯にはいる。明日13日おジロンにゆこうか。昨日は丹戸の藤原喜作君があの世に行った。来年は水戸黄門の順番である。が閻魔大王はなかなか召集令状をおこさない。赤紙一枚で日本の国の若者は戦争に駆り出された。「勝って来るぞといさましく、誓うって国を出たからにゃ。手柄立てずに死なれよか。」ついこの間のことである。
バンザーイバンザーイ。大日本帝国バンザーイ。「天皇陛下バンザーイ」水戸黄門もあと三か月戦争が続いて居たら海軍に取られ、南の島に送られ、南海の藻屑ときえていただろう。明日は8月15日敗戦の日である。

平成16年8月8日。高木神官。綾部大本から来る祝詞奏上。

8月8日
 思い出の映像がみつかりました。八光会行います。神官は高木神官。
今日7日八鹿病院にでた。ら小畑のおばさんは目をおおきくあけていた。「奈良尾の文男です。」と話しかけたら何かはなしていました。が私は耳が遠いからきこえなかった。まだまだお迎には来ないだろう。水戸黄門は地獄の閻魔大王が敬遠し、なかなか迎えには来ないが。小畑のおばさんは極楽天国に行くだろう。母の弟。五人姉妹の下の弟。の嫁として小畑の家に嫁した。が、支那事変で兵隊に取られました。名誉の戦死。軍国の母としてたった一人の英機を女一人で育てました。英機とは、時の内閣総理大臣東條英機。の名につけました。日本が勝って居ましたら、が戦争に負け靖国神社に祭られた戦争犯罪人として処刑されました。歴史はいろいろ様々な時代評価をうけます。が後戻りは出来ない。それが歴史である。

 逆族が正義の味方になるときもあります。今世界は日本の歴史を批判しています。が、時代とともに歴史の評価はかわります。歴史認識とは何だろうか。正義とは川一つ向こうの国は敵であり、日本の国の正義は、中国や韓国では不正儀なのである。パスカルの言葉を引用するまでもない。
 
 大本教は日本の国が火の海になるぞよ。と、予言しました。日本は戦争に負けました。戦後の日本は敗戦後世界に脅威の発展をとげました。
靖国神社に祭られた英雄は今、世界中から注目されています。然し、日本の国の為に戦った、戦死した人を靖国神社に祭ることは、世界中どこの国でも国の為に戦った英雄を祭る施設があります。トルコ、やギリシア、アメリカにも南北戦争の歴史を伝える博物館があります。世界の旅をして、多くの博物館をみました。私の著書「但馬に生きて」にかいています。ベトナムにはアメリカとの戦争に勝利した世界でただ一つの国としての自信と誇りをベトナムの若者はいまも もちつづけています。

 八光会とは、八月八日に毎年おこなっています。大本を神としてのまつりです。が、水戸黄門は世界中の宗教の聖地巡禮。世界中の神や仏の良い教えばかり寄せ集めて新しい宗教を創造します。藤原教の創始者です。が大本の一派かもしれない。私の父は藤原喜三郎です。大本の出口オニ三郎の同姓同名です。明治年間17歳で心臓病を患い、四国88ケ所の巡禮の旅をしました。らしい。私の祖母からききました。大本と出会い、出口聖師と直接会いました。らしい、大本が大弾圧を受けた昭和八年ごろ大本の神像を田淵国五郎氏の家の土蔵の地下にうめました。戦後掘り出して家にまつりました。今も神棚にまつられています。

 では藤原教とは何なのか?キリストやイスラムとはちがいます。仏教の真言宗の密教は大日如来です。私が研究したところ大日如来と天照大神は同一のかみです。明治政府が神仏分離令をだして、神と仏を分離しました。神社仏閣は別物との思想が普及しました。がもともと神も仏も人間が創造した崇拝の対象なのである。大本教でも天理教でも、仏教の諸々の宗派は人間の創作であります。つまり水戸黄門の小説みたいなものです。
分かりましたかなー。それを信ずるのは人間の心の弱点を補強するための信仰なのであります。水戸黄門は宗教心理学。徹底的に人間の心理を分析して宗教哲学を構築してゆきます。が、まあ今日はここまで。また書きます。
8月6日
 ふるさとづくり大学おジロンスキー場視察。ひまわりパーク。午前中からのふるさとづくり大学同好会。スキー場にて昼飯。
朝倉の朝倉さんも参加しました。この花君も奥さんを連れて参加しました。木下道野さんも絶賛していました。氷の山国際スキー場もお花畑を作ったら。と堤言。が、経営者は私の家の下のマックアースです。が土地は私たちの土地。永代耕作権者の土地です。
 スキー場のリフト設備は養父市。用地補償費の支払いは借り上げた養父市の負担。が経営者交代の為、村の土地は村の物。永代耕作権者の同意が必要。用地補償費の同意。契約がひつようです。私はスキー場使用に同意しました。後は村と養父市の用地補償費の額の話し合いがのこされています。が、最高裁判例が依然として永代耕作権者にあります。
法律をしらない田舎者のスキー場の村とは。藤原文男がいる限りちがいます。


 



ふるさとづくり大学同好会。10名参加しました。ひまわりパーク。
8月2日
 今日但馬ふるさとづくり大学。但馬長寿の郷。会議の席で藤原君に確認しました。この間の鉢伏スキークラブ会合での氷の山国際スキー場リフト運転の約束。藤原君は間違いない。と、一の本君。約束間違いないでしょう。人と人との約束は絶対守る。が藤原文男の心情です。あなたの父と初めて戸倉ツアーにゆきました。「しらにしの吹く頃」にかいています。おじいさんの代から知っています。私の父は約束を護る。私の息子も親に反発していますが、人と人との約束を守る。二枚舌はつかいません。今度八月五日にあなたとの約束。村の老人会で発表します。私の著書「但馬に生きて」あなたの母にわたします。但馬や世界の歴史、実地に見た私の遍歴です。

8月1日
 とうとう八月になりました。盆の月です。明日はふるさとづくり大学。但馬長寿の郷。朝からはじまります。それまでに但馬楽座の温泉に入ろうか。yタウンで焼酎わ買い、補聴器の調子を調べてもろう。午前10半から始まる。テーマは但馬に来たフランス人のお話。地域の宝を生かして、賑わいを創りだそう。大屋アート村ピックラブの取り組み。田中今子氏。


7月29日
 林間学校に来ていた学校がかえりました。
朝五時過ぎに起きる。今日は氷の山のキャンプ場で飯ごう炊飯。である。氷の山に登山。が、えらいから車で登った。この前梨が平まで歩いた。引き返して車で登った。が26日、27の神社仏閣の視察が堪えた。昨日28は温泉から帰り一日寝た。85歳。伊達にとしとってはいないのである。無理は禁物。
生徒の氷の山半ゴウ炊飯場までを見届けて天女の湯にでた。11時半いえにかえる。焼酎の水割りに梅干しを入れて飲む。北尾さんから暑中見舞いが届いて居る。次の市長候補を見定めて居る。27日朝。八鹿市役所で、農業特区を考える会。が開かれて居た。養父市長かいなーと思って見ていたら全く反対の政治グループらしかった。耕作放棄田よその事業家に、資本家に儲けさせるせいさくらしい。その農業特区で鹿さる、熊、猪に食い荒らされてやむなく耕作放棄した山間僻地の農民の悔しさ。百姓したものでなければ分からない。ネクタイぶら下げて、役場で高級貰って居る官僚にはわからない。農業委員会。広く会議を起こし、ばんき公論に決すべし。明治憲法の五か条のご誓文。市長一人の独断専行行政。にもどそうとするらしい。
と反対党はうったえているらしい。

7月27日
 夢テーブル委員会。神社仏閣を見よう。現地見学会。養父神社。午後万福寺。十二所。薬師堂。八鹿町メイ里。
養父神社27日午前。但馬夢テーブル委員会。とは但馬県民局の夢但馬の創設に向けた委員会です。各グループに分かれて活動しています。
私藤原文男は今年は神社仏閣を見よう。のグループに参加しました。早速活動を開始しました。が疲れます。この間豊岡「つむぎ」での飲み会。夢テーブル委員会。で養父神社宮司の伊藤千可志さんとしりあいました。今度夢テーブルで行きますからと約束。26日に続きエラカッタが参加。参考になりました。十二所の万福寺の奥の院にはじめていった。峠を超すと八鹿町朝倉になる。下の写真参考。

グループ全員。養父神社。

ここから上は養父神社。下は午後訪れた。

万福寺奥の院。素晴らしい彫刻。           奥の院観音堂

      八鹿町めいり。 薬師堂。彫刻。




名草神社                         浅間寺。

浅間寺訪問。7月26日

 浅間寺訪問。7月26日。天女の湯の歴史探訪。こーデネイター阿部稔。はて何処かで見た名前だなー。と名刺整理簿をひらいた。ら、養父市産業経済部次長の名刺がみつかった。もう退職したのだろう。くろくのひとである。数年前養父市男女共同参画センター所長。小松原貴美子。の名刺があった。今日最後に行った浅間寺。住職の奥さんだった。其処で西本仏壇から頂いた。文化財「但馬の錦」を開いたら木造薬師如来座像。木造日光菩薩立像浅間寺があのました。またこの本に名草神社の写真も八鹿。のページに乗って居ます。7月26日、27日行った寺や神社の仏像はすべてのっています。、

最初に行った日光院は日隆寺の前僧上が世話になった寺である。名草神社は20数年前「但馬に生きて」に書いて居ます名草神社の神主さんだった。しばし話をしました。「妙見の村の区長」が養父市の名前にありましたが現在誰が区長していますか] 「私の親父が区長しています。」らしい。妙見の村は住民はいないけれども区の住民は今も部落民として区を維持している模様である。神主さんはまだ若い。「但馬に生きて」に書いて居る20数年前の神主さんでした。しばらく話をした。妙見の村の近くの話は「但馬に生きて」の私の本にかいています。

 浅間寺十二神像。立派な仏像だった。寺の住職が長々と話していた。早く止めればよい思いながら聞いていたが、朝日新聞の記事を見せたので、帰ってから調べてみたら、2005年の朝日新聞の記事であった。「ああそうか」当時朝日新聞のシルクロード担当の企画委員。私の友人、白鳥正夫さん。が浅間寺に目を着けて編集して居たのだな~。と感じました。世の中は人脈で動いて居ます。

  私は18日。但馬県民局の皆さんとの夢但馬の会合。懇親会にゆきます。但馬の観光。氷の山国際スキー場の辺地債。過疎債の話も当然でます。
オバナのリフト再開に向けての兵庫県の対応についてもおねがいします。別の視点から運動をすすめます。


今日26日は

天女の湯同好会で日光院、妙見、浅間寺の仏象視察の日である。林間学校に来ていた学校が帰る日である。が参加します。


鉢伏スキークラブ。創立50周年記念総会。鉢高原みやま荘にて。夜
7月1日
 氷の山国際スキー場。福定、奈良尾中間点の通称オバナのリフト運行すると決定。マックアース一の本達巳君と握手。従って一切の批判は封印。広瀬栄市長の批判も封印。解決しました。後は奈良尾村福定村の共有地利用料。村に支払う交渉が残されて居る。がそれは村の役員の仕事である。
尚、養父市から利用料が入れば。村の中央の駐車場の用地代。角野駐車場を借り上げる用地代。にあてるべきである。氷の山国際スキー場の字要山の土地代。


法律が制定される以前から、明治憲法制定以前から旧来の慣習に基づく永代耕作権の確立した土地。最高裁判例による村の土地。私の権利ある土地。永代耕作権権利者の土地。指定管理者一の本達巳氏と話し合い解決しました。従ってこの冬オバナのリフトは運行します。藤原文男。


7月19日
豊岡つむぎ。にて、但馬夢テーブル委員会懇親会。

18日懇親会の後豊岡大丸に泊まる。19日朝帰る。18日は皇太子殿下の弟、殿下のお出迎え
でつかれました。夜は但馬夢テーブル委員会の慰労会。目が覚めたのでかえる。午後万灯の湯にでる。


7月14日

 私は何故氷の山国際スキー場。ハチ高原の問題に固執するのか。?15歳から10年間冬期間出稼ぎしました。出稼ぎからの解放が私の地域社会の発展の為の仕事となりました。冬は熊次では仕事がありません。スキー産業に着目。熊次村、関宮村合併運動の三年。関宮町を創立しました。大久保スキー場に毎日スキーを担いで歩いてかよいました。家の横に草谷リフトを掛けました。鉢高原スキー場、八北スキー場ができました。すべて人間の力です。村の若者の結束の力です。詳しくは私の著書、「しらにしの吹く頃」「但馬に生きて、遥かなるロマンを求め駈け巡る」にかいています。

7月12日
中瀬公民館に集う。ふるさとづくり大学で参加したら、関宮文化協会の人たちも参加。中瀬金山会のお世話になる。

7月10日
但馬県民局夢テーブル委員会。八鹿公民館にて。神社仏閣の研究グループ。

7月9日
 台風が来そうだ。待っているが中々来ない。日本国中待っているが中々こない。沖縄に停滞。10日には来そうにない。
10日には八鹿公民館集合。午後7じ過ぎ。但馬の神社仏閣をしろう。但馬夢テーブル委員会。の会合である
台風は11日通過らしい。今後の情報まつしかないだろう。今日はおジロンにいった。明日は但馬楽座か。
但馬県民局夢テーブル委員会。懇親会。18日夜である。従って大丸泊。
老いてますます盛んなり。水戸黄門。那智の滝にて。まだまだボケてはいないよ。
那智の滝にて。

氷の山国際スキー場の経営を考えるページ養父市西村禮治議員の一般質問に反論する

 関ノ宮町議会oB会20日。関ノ宮町には17億円の地方交付税が入っています。頑張りましょう。観光の町関ノ宮町。関ノ宮町老人クラブ連合会の皆様。

 
養父市合併のとき関ノ宮町は14億円養父市に持って出ました。氷の山國際スキー場の地方交付税積立金は数億円以上。一般会計に積み立てられていました。八鹿町は合併のときたった5億円持って出ました。養父町11億円。大屋町15億円でした。か゜大屋町は8億円かけて合併してから役場を建てました。そのあくる年職員12名に減員しました。現在、関ノ宮町はスキー場再開発予算も先送りされて、捨て置かれています。そのため一人乗りリフトは30年間捨て置かれています。赤字の原因を放置されています。


関宮町氷の山國際スキー場。再開発を促進し支援する会                     
氷の山國際スキー場再開発計画。提案。

 関ノ宮町から合併当時持ち出した金と、各町から持ち出した金がどのように使われたのでしょうか?養父市の皆様、関宮町の皆様。公平であるべき対等合併の正体を追致しましよう。世論に声を広げて来年の選挙に訴え、選挙で勝利しましょう。住民の味方は誰なのか?議会議員の今後の発語に注意しましょう。
  養父市西村禮治議員の一般質問に反論する
 昨年12月16日開催の第44回養父市議会定例会二日目。氷の山國際スキー場の経営について。有線テレビの映像や諸々の資料がととのいましたので反論します。これからボツボツ書いてゆきます。来年の春ごろ。本にして出版する予定です。

平成15年度合併する年の春の決算で、関宮町から9億900万円養父市に持ち出しています。八鹿町、倒産寸前の決算年度末残高5億5000万円です。氷の山國際スキー場の年度末決算、貸付金。1億2700万円です。関ノ宮町が積み立て持ち出した金のうち数億円は氷の山國際スキー場の起債(過疎債他)に対する地方交付税収入の積立金、金利など一般会計に積み立てた金です。関ノ宮町は合併前再開発計画を建てました。その調査費も貸付金に入っています。本来調査費などは一般会計から支出するべきです。合併したら「再開発計画の予算はすぐに付くだろう。」と、私たちは栃下町長に期待し選挙で応援、当選しました。が、合併したら八鹿町など財政赤字、八鹿病院に130億円投資。大屋町は15億円持ち出しの内約8億円の資金で副市長が役場を建設するなどの放漫経営。続いて落選。が、関ノ宮町氷の山國際スキー場の再開発計画は放置されています。三本の一人乗りリフトは30年間改善されていません。当初の基点基地からの4人乗りリフト2億3000万円と滑降コースの増設を私たちは提案致します。

 合併前、平成15年財政、総務専門部会に提出された書類によると。最終総務専門部会。平成15年10月15日の文書。
普通会計、各種基金総計。八鹿町、9億3千100万円、養父町11億5500万円。大屋町15億8200万円。関ノ宮町14億4500万円。この時点で提出されましたが、合併で出されました金は八鹿町約9億3000万円、関ノ宮町14億4500万円でした。大屋町は15億8000万円でした。だから大屋は8億円で役場を立てたのでしょう。ところで此処で判ることは合併以前の八鹿町の財政が人口比率で見た場合いかに少なく、倒産寸前の財政だったことが判るでしょう。そうしたことは財政を知らない一年生議員にはわかりません。私達は合併前出しました14億円、または9億円以上の金を関ノ宮町氷の山國際スキー場の再開発事業に投資するべきだと訴える根拠の資料が見つかりました。関宮町の皆様と養父市の庶民の皆様に一般公開します。

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 養父市でも女性議員。三人くらい出てもよいのでは、女性市長が誕生してもよい。世の中は大きく転換している。女性差別行政の転換。次の養父市長候補を。市長なら日本全国から立候補できます。らしい。但馬県民局夢テーブル委員会に出て居る久保千賀子さん。50歳過ぎで孫もいる。同じく日高には木村尚子さんは「のーら」の学校を開いて居るまだ50才前。浜坂町には浜坂塾を開いた上島元子さんがいる。関宮町には陸ちゃんがいる。和田山町には吉田のりこさんがいる。が、年をとりすぎている。男女共同学習などの但馬の多くの学習会に参加した。どの町にも優秀な女性がいます。


衆院総務委員会で女性議員にやじ

7月4日 4時44分
衆院総務委員会で女性議員にやじ
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ことし4月に開かれた衆議院総務委員会で、日本維新の会の女性議員が国の人口減少対策に関する質問をしていた際に、ほかの男性議員から「早く結婚して子どもを産まないとだめだ」というやじを受けていたことが分かりました。

国会の議事録などによりますと、ことし4月17日に開かれた衆議院総務委員会で、日本維新の会の上西小百合議員が国の人口減少対策に関する質問をしていた際、ほかの男性議員から「早く結婚して子どもを産まないとだめだ」というやじを受けました。
これに対し上西議員は、その場で「頑張ります」と応じ、委員長は不規則な発言をしないよう注意しました。
上西議員はNHKの取材に対し、「女性が傷つくようなやじを飛ばす議員が、少子高齢化に関する政策をきちんと議論し実現できるのか疑問に感じる。3か月近くが経過しているので、今さら犯人捜しをするつもりはないが、国会という誰もが傍聴できる公の場で、心ないやじを飛ばすようなふるまいは改めるべきだ」と話しています。
女性議員に対するやじを巡っては、東京都議会で、先月、みんなの党の女性議員が質問中に「早く結婚したほうがいいんじゃないか」などと男性議員からやじを受け、その後、自民党会派に所属していた男性議員が名乗り出て謝罪しています


7月4日
下記八幡山、滋賀県近江八幡。歴史街道。に行ってきました。

7月3日関宮町老人会旅行。滋賀県八幡山ロープウエー。愈々明日3日出発します。

白雲館                                   八幡神社
明治10年八幡東学校として建築された貴重な擬洋風建造物です。
平成6年に解体修理され往時の姿に復元され、現在は観光案内所やギャラリーとして利用されています。

町並み。                  下。旧、伴家住宅。

白雲館閣議決定のポイント

 ◆密接な関係の他国に武力攻撃が発生し、日本の存立が脅かされ、国民の権利が根底から覆される明白な危険がある場合、集団的自衛権を含む「自衛のための措置」を可能に

 ◆自衛隊国連平和維持活動(PKO)などで、自衛隊が武器を使える場面を拡大

 ◆自衛隊が他国軍に後方支援する場所を「非戦闘地域」に限る制約は撤廃

 ◆キーワード

 <武力行使の新3要件> (1)我が国に対する武力攻撃が発生した場合のみならず、我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合に、(2)これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がない時に、(3)必要最小限度の実力を行使すること――という内容。



鉢伏スキークラブ。創立50周年記念総会。鉢高原みやま荘にて。夜
7月1日
 氷の山国際スキー場。福定、奈良尾中間点の通称オバナのリフト運行すると決定。マックアース一の本達巳君と握手。従って一切の批判は封印。広瀬栄市長の批判も封印。解決しました。後は奈良尾村福定村の共有地利用料。村に支払う交渉が残されて居る。がそれは村の役員の仕事である。
尚、養父市から利用料が入れば。村の中央の駐車場の用地代。角野駐車場を借り上げる用地代。にあてるべきである。氷の山国際スキー場の字要山の土地代。
養父市の用地費はマックアースと養父市折半で村に支払うべきである。この交渉は私が今後進めてもよい。なぜならここのリフトを始めた責任者であるからである。


氷の山国際スキー場。 奈良尾字の土地                 氷の山国際パトロールセンターからハチ高原を望む

マックアースとの問題解決した奈良尾字要山の土地。7月1日


林芙美子は、明治三十六年十二月三十一日、ブリキ職人槙野敬吉方の二階で生まれた。

父は行商人の宮田麻太郎。
母キクは、鹿児島の東桜島で温泉を経営していた林新左衛門の長女であった。

芙美子が七歳の時、両親は離婚し、芙美子は母と共に家を出た。
麻太郎は、九州若松で呉服の太物を商い、羽振りがよかったが、芸者を家に入れており、母キクは、芙美子を連れて出奔せざるを得ない境遇に追い込まれてしまっていた。

キクは、若松でなんとか糊口をしのいでいた、沢井喜三郎と結婚した。
沢井は、かつて宮田の店で番頭として働いていた人間で、キクより二十歳も年下だった。
兄と云う方がふさわしい「義父」であった。
一家は、九州各地を行商して廻った。
芙美子は、長崎市の勝山小学校に入学した。
その後、一家は間もなく、他の土地に移り、以降、各地を転々とし、小学校は尾道市第二小学校に落ち着くまで、十数度変わったという。
その間に、佐世保、佐賀、鹿児島、熊本、若松、久留米、直方、折尾、門司、下関と九州の西海岸を、雑貨や唐物を売り歩いた。

一家が泊まるのは、いつも木賃宿だった。
芙美子は、商売が上手くいかないという理由で、キクの実家の元に預けられた。
幼い芙美子は、祖母の命により炊事をさせられた。
祖母は、孫をかわいがるような人ではなかったのである。

ようやく、大正五年、尾道に一家は落ち着いた。
その年、芙美子は尾道市の市立第二小学校の第五学年に転入している。義務教育の教育年限よりも、二歳遅れていたのだ。

カフェーの女給をしながら詩を作り童話を書いた

 私の小説は林ふみ子の放浪記。平林たい子の地底の歌。いわゆるプロレタリア作家の影響を強くうけている。その他、石川啄木。国キタ独歩。島崎藤村。ホソク理一郎の実存主義哲学。ドイツのゲーテ、若きベルテルの悩み。ロシアのトルストイ。など多くの西欧の文学、哲学思想。ヘーゲルやパスカルの思想。ギリシアのソクラテス、アリストテレスの哲学。ニーチエ。社会主義では多くの理論を読破したがもう忘れて居る。



6月29日
 昨日ハチ伏せスキークラブ総会。創立50周年。マックアース一の本君、藤原議員の話す。氷の山国際スキー場の問題。オバナのリフト運転再開。と約束。今後は更に滑り降りる滑降コース整備に向けて、マックアース、議会。観光課との協議を進めるための運動に取り組む。従って奈良尾村の権利ある部落共有地は養父市に貸す。但しその用地補償費は行政とマックアース。村との協議で進める。従ってホームページは削除しました。


6月28日
 今日は午後夕方からハチ伏スキークラブの総会である。みやま荘。夜宿泊の予定。明日朝帰る。

6月25日

6月24日

 今日は奈良尾老人会。夕べ、一の本常久楠さんが無くなりました。今日葬儀、西谷議員が今日委員会だからと、参加していた。

老いてますます盛んなり。水戸黄門。那智の滝にて。まだまだボケてはいないよ。
6月22日
三重県立熊野古道。尾鷲から始まって居た。世界遺産紀伊山地登録10周年。今日は奈良県の奈良県西部の葛城地域に行く。朝1時過ぎに目が覚めた。のでもう起きた。炬燵に入りまた寝たが眠れない。3時過ぎに朝食を食べた。太子町は大阪にある。
6月20日
 今朝、若い者が大阪の母のところに行った。ので昼飯、夕食にトヨタから大根、竹輪。こんにゃく、卵6個と、ワンカップ二個買った。1o3o円である。
昆ブとイもを入れて煮た。大きな鍋に一杯煮た。これで明日の夕食まである。焼酎を飲む、明後日は奈良の「ヤマト王権と葛城氏」考古学から見た古代王族氏族の盛衰。大阪府立近つ飛鳥博物館。大阪府南河内郡にあるらしい。仁徳天皇稜のような遺跡らしい。安田とよさんのおさそいである。
明後日22日朝6時八鹿道の駅発。和田山6時半発である。太子町にあるらしい。

大阪府立近つ飛鳥博物館 平成26年度春季特別展「ヤマト王権と葛城氏-考古学からみた古代氏族の盛衰-」

≪開催趣旨≫

葛城氏は、百舌鳥・古市古墳群が形成されたころに奈良県西部の葛城地域を拠点とした大豪族であり、大王家と 婚姻関係を結び活躍したとされています。なかでも、4世紀後半から5世紀前半に活躍したとされる葛城襲津彦(かつらぎのそつひこ)は、 朝鮮半島の文献資料にも登場することから実在の人物であろうと推測されます。彼は、娘の磐媛を仁徳天皇の妃とし、大王家の 外戚として国内外で活躍したとされます。しかし、葛城氏の栄華も長くは続かず、5世紀後半、雄略大王のころより 急速に没落し、葛城の地は蘇我氏、さらには大王家の領域となります。
今回の特別展では、葛城地域の古墳とその出土品を中心に大豪族葛城氏の盛衰を考古学資料からあとづけ、ヤマト王権を 支えた古代氏族の実像を探ります。

 
合併前、関宮町の各種団体。300あった。みな各種補助金をだしていた。関宮町老人クラブ連合会総会にも800人参加していた。米飯奨励金で昼飯は全員にタダでくわせていた。養父市に合併した途端に各種補助金がなくなった。原因は八鹿町が物凄い赤字経営。
八鹿病院も赤字の上に130億円の借金。養父市合併でニッチもサッチモゆかなくなった。が、八鹿の役場は大繁盛。養父の役場も大繁盛。関宮の村は、役場の職員は10人と少しに減らされた。関宮の中心街は誰もあるかなくなり、食堂も減り、おまけに養父市市長は氷の山国際スキー場のオバナの乗り場まで閉鎖。踏んだり、蹴ったりの行政である。此処に至り遂に「関宮町独立既成同盟」設立準備会の結成をみる。関宮町のみなさん、立ち上がれ。

 関宮町が独立すれば、地方交付税少なくとも70億円は入ります。役場の職員は70名くらい採用します。八鹿病院と消防は広域行政議会で運用します、関宮町独立。関宮の町に再び活気が戻ります。辺地債、過疎債が使えます。八鹿の町は過疎債が使えなくなります。地元優先の土木事業。企業債の事業は町内企業優先ですから、関宮町内が俄然活性化します。関宮町老人会も各種団体にも補助金を交付して復活します。現在福定、大久保、別宮、葛畑、小路頃、川原場の老人会は消滅しています。万久里、安井、の小規模老人会は消えました。この村の老人会に補助金をだして復活します。関宮町老人大会を盛大に復活します。関宮のエイドホールの復活。関宮町役場の復活。


役場は町長、助役、収入役、総務課、福祉課、産業課、観光課、と教育委員会は広域事務組合とします。各村の農道、林道の補助金を復活します。森林組合も独立します。関宮町の林業行政は森林組合でまかないます。中瀬、吉井バイパスの早期完成。中瀬から三宅までの農道を拡幅し、県道に格上げします。八木から中瀬を通過し、ハチ高原と、大久保まで、そして氷の山国際、大久保からハチ高原に至る県道の二車線即時完成の運動の展開。町長が先頭に立ち運動の展開。観光の町関宮町は発展します。隣の大屋町に呼びかけます。大屋町も独立。過疎債、辺地債は八鹿町は使えなくなります。町会議員は10名くらいにします。

関宮町議会OB会。26年春

関宮町独立既成同盟。結成準備会。発足。賛成の方は期成同盟に参加してください。区長、老人会、各種団体の責任者、クラブ、有氏、個人の参加をつのります。関宮町議会OB日会の皆様。老人会の皆様。各種クラブの皆様。旗揚げしましょう。
 熊次村、関宮村。合併期成同盟は三年の運動で関宮町をつくりました。50年の歴史があります。役場は関宮の町の現在の建物の二階があります。住民の結束ができれば兵庫県に運動し、分町運動ができます。関宮町を造った時ほどの努力は要りません。皆さんの結束でできます。政治の力です。「関宮町独立既成同盟。」発足。観光の町関宮町。万歳。この文はすべてフィクションです。


文さんの日記に書かれて居る日記は、関宮町議会OB会にも配布。関宮町同友会。にも配布。但馬県民局長。以下の皆さんにも配布完了。さらに広報活動。広げてゆきます。が、新聞報道はひかえています。朝日新聞には友人知人多いですが、?養父市の対応を見守っています。
   

   そこで提案します。廃止した福定農道や駐車場整備に回す、「辺地債、または過疎債をオバナのリフトの再整備に投入してください。とりあえず本年、調査費として調査してください。本格的な調査と、オバナの起点基地に滑り込む回転三人乗りリフト構築のための調査費としてください。既設のオバナ、奈良尾村の駐車場、角野駐車場、小銭や駐車場。かずや駐車場。など250台の駐車場の既設の民宿の施設の利用計画により村の活性化を図ってください。更にシーズン最盛期に多く来た車は、臨時に熊次小学校校庭を除雪して置くことも選択肢の一つです。既設の設備を利用すれば経費は極端に安くつきます。

 
 この間から田村観光課長。林次長と話し合いましたが、現状では私は協力できません。
観光事業に全く関係ない人たちの了解がないと事業は出来ません。私はその人たちの声の代弁者です。養父市奈良尾130草谷山荘。藤原文男85歳。



6月18日
 朝天女の湯に入り帰り缶ビール飲む。もう少し足りないので焼酎の梅割り、を飲む。が酔わない。暫くして電話、安田とよさん。らしい、何の事だか分らなかったが奈良の博物館に石造物を見に行くらしい。6月22日である。その日は但馬県民局夢テーブル委員会。村岡である日である。が安田と代さんは私の本を発行したときに発表会に来てくれた人であるから、行くことにした。しばらくしたら、この花君が部屋に入ってきた。OB会に行くか?と言う、「ああ行くよ」と答えた。

 この間解散した但馬開発関宮町同友会。解散してすぐそのOB会を立ち上げるらしい。そんなことなら解散しなければよかろうになー、が、年に一度くらいなら会合してもよろしかろう、と、申し込んだ。ら帰って行った。また焼酎の水割りをコップに注いで飲んでいたら。また若嫁が戸を叩く。外に誰かがきているらしい、ので出てみたら藤井さんだ。例の彼女の吉田さんが道端に立っていた。車に乗れ、と言うから、補聴器を着けて車に乗ったら、ハチ高原この花に着いた。本館に回れ、と言うからこの花本館に這入る。婆さんも出てきた。吉田、藤井、この花、文さん、久しぶりの会合である。

 「農業のことをホームページに書け」と言う、耳が遠いから何回も問いただすと、箱の裏にペンで書いた、やっと意味が了解できました。がね農業のことなど最近。考えたこともない。養父市長広瀬栄が、どこかのよそ者に儲けさせるために、規制緩和とか言う方法で盛んに宣伝して居るが、儲からない農業など笛吹けども踊らず。広瀬栄が三度目の選挙をまたまた無投票当選を狙って新聞報道に、映像発信に血道を上げているらしいが、そうは問屋がおろさない。らしい。

 農業などでは幾ら頑張っても、頑張っても儲からないのが農業である。が、サラリーマンの片手間に農業をやっているのか?年金を貰いながらの農業か、私の息子は商業大学卒業後家の後次で農業。22歳からしているが、民宿の暇に田んぼをつくり百姓を初めて30年過ぎて居る。が農業では飯が食えない。山間僻地の農業では飯が食えない。
 広瀬栄は役場に勤め、オオ儲けしながら幾ら農業が良いなどと言っても誰も信用しないのである。誰も役場に就職したいが中々就職できないのである。
私水戸黄門は生まれながらに百姓の長男に生まれたから致し方なく百姓を始めたのである。15歳。小学校高等科を卒業、戦時中青年学校に通いながら、夏は柳の草とり、牛飼い、草刈り、田んぼの草を手で搔き雑ぜる。汗が目に這入る。稲の葉先が目に突き刺さる。米は五反百姓。田を買い増して、漸く7反。が村の永代耕作権の柳畑があり、田畑合わせて2町7反の経営。祖父の御蔭で水の湧き出る畑にわさびを造った。サラリーマンが月1800円ベースの時、日当一万円。年100万円。いわゆる七桁農業を達成した。が、わさび造りは10年間無報酬で頑張った。

 柳作りも度々、豊岡商人に騙された。私が大きくなったら豊岡商人に仇討してやる、と心に決めた。「但馬に生きて」に書いて居る。藤井さん、吉田さん。今日はここまで。詳しくは私の「但馬に生きて」や、ホームページに書いて居ます。広瀬栄の事は悪口ではないよ、本当のことをかいているのである。誰も行きたい役場に努めて。高級とりながら、いくら農業者の為といってもだめだよ。ふたたび無投票当選を狙って。農業の規制緩和などと、新聞に書いても誰も信用しないよ。水戸黄門は生まれながらの百姓だよ。これからの世の中は観光だよ。
6月17日
 朝からおじろんの温泉に行く。昨日は但馬楽座にいった。小鳥が温泉の桜の木に来た。暫くするとにげていった。おジロンは自然環境豊かな山奥の温泉である。
一週間ぶりだろうか?この前来たら、天から降る水の滝が故障して工事中だった。やむを得ず湯村温泉まではしった。今回で今年三回目である。毎日温泉。暫くこなかった。
家に帰りビールひと缶飲む。天下泰平である。飯を食い昼寝。三時過ぎに目が覚めた。ので散歩。また家に帰り焼酎の梅割り、久しぶりにホームページを開いた。
テレビを付けたら歌を歌って居る。「演歌と芸能のつどい」らしい。関宮文化協会主催か。こんなテレビ滅多にみない。関宮町では単独の会などできなくなっている。が熱演であった。 関宮町文化協会。養父市はどれだけ補助金をだしているのだろうか?

 
6月15日
 
氷の山国際スキー場の奈良尾字。要山の土地は養父市の土地ではない。奈良尾村の土地である。広瀬栄。市長が独断でマックアースに貸している。しかも奈良尾住民に無断で今年、無料でマックアースが乗っ取り使用していました。土地使用料250万円支払え。と広瀬市長に請求しています。観光課長田村課長、片芝、西垣係りが聞いてかえりました。広瀬栄。市長の返答を奈良尾村、福定、大久保、丹戸住民。一同待っています。レンタルスキーの権利も取り上げマックアースにあたえました。そのため奈良尾、福定、大久保、丹戸のレンタル事業者の怒りは頂点にたっしています。オバナのリフトを回せ、回さぬなら土地を返せ。との怒りが。頂点にたっしています。
私は今シーズン。一度も氷の山国際スキー場に滑りに行っていません。だからマックアースの乗っ取りも分からない。が、いよいよ今年は本格的に乗っ取りに抗議し、反対運動を展開します。

 養父市広瀬栄市長の独断偏向行政への批判が最近。高まって居るらしい。らしいのである。水戸黄門は家にいない、いろいろな地方に旅行に出かけて居るからわからない。が、感が働く。氷の山国際スキー場。先祖伝来の田んぼを掘り崩してスキー場を造った住民。その田んぼを30数年前に提供した、百姓の悲惨な心情が分からない、たった一度だけの選挙に苦労したが、その後無投票。一人で当選したように浮かれて居るらしい。その最高が農業委員会の権限をロクダツ。市長の権限に。住民の利益より、よそ者の農業者に権利を与える。地元民よりよそから来る人に売り渡す。のは市長権限で即座に出来る、らしい。規制緩和。らしい法整備。をするらしい。農業委員会の制度を骨抜き。市長独断で採決出来る法整備。らしいのである。

 これに反対しているらしいのは先進的な保守政党。共産党。の藤原議員らしい。戦後の農地法を骨抜きにする法案。誰も知らないうちに市長権限で農地が売り渡らせる法整備らしい。養父市議会議員さんよ。そんな法案反対しましょう。住民の声である。

 観光地、大久保、丹戸の土地、奈良尾、福定、別宮の土地、よそ者が遊休農地借りたいと、養父市に申請すれば、何も知らない役場職員は市長に申し出でます。と農業委員会に掛けることなく、市長の判断で土地を貸したり、売り渡すことができます。村には村の昔からの掟があります。知らぬ間に外部の資本家に権利を渡す。今の氷の山国際スキー場のような、住民の永代耕作権。無視の権利移動ができます。市長の独断専行行政で村の権利ある土地が知らぬ間に、滋賀県の資本家にわたって居ました。この現実をみてもわかります。養父市長広瀬栄の独断専行行政。断固として反対の既成同盟を作りまししよう。との声がたかまっています。らしい、らしいのである。水戸黄門は隠居。何も知らぬ間になされていました。が、氷の山国際スキー場の土地は永代耕作権保有の土地であります。これから問題が大きくなります。らしい。が、権利者の土地は黙って居ても権利者の土地であります。
法律を知らない市長。明治憲法制定以前からの旧来の慣習に基づく永代耕作権。土地登記法も、地方治自法も制定されなかった以前の土地は、旧来の慣習に基づく村の土地として処理されています。水戸黄門。
杭岩。背景、
6月12日
 四階の部屋だが、915番の部屋だった。個人客や常連客は泊まれない。ホテルである。だから農協観光さま様のホテル経営である。
大きなホテルだが、10億以上の金がかかって居る。が団体客が大勢押し掛ける時代ではない。テンパーセント以上のリベートが農協観光に這入る仕掛けである。が、時代が違う。と水戸黄門は見る。経営の限界である。

 朝一時に目が覚めた。温泉に行ったが五時かららしい。ウイスーを飲み、また寝た。五時過ぎに眼が覚めた。「風呂に行こうか」と声をかけた。
勝浦温泉、ホテル「中の島」勝浦について、船に乗り、温泉に着いた。901号室。と言うから9階と思ったら、四階の915号室である。四階建ての海の島。中の島である。景観はすばらしい。がこのホテル、借金はもう返したかなー。社長は首を吊らなくとも大丈夫かなー。と思う。が設備は最高であった。
ホテル、旅館と言う者は、ホテル自体では一銭の収益もあがらないのである。一人泊めてなんぼの商売である。固定資産税、暖房冷却費、営業経費、
借入金の金利。投資資金の返済、償却費。必要経費。人件費、など差し引くと、中々利益は上がらない。食事の後、出発した。

勝浦の奥座敷。那智の滝。先ず驚いたのは滝の向こうの山山、谷谷の地滑り被害である。昨年紀伊半島を襲った台風ば、杉を植林した谷谷の地滑り被害で那智の谷を徹底的に被害がもたらしていた。災害復旧の爪後が生々しい。熊野那智大社、那智の滝。以外の向こうの山、こちらの山山すべて凄い被害の後と、災害復旧工事現場だった。道道のいたるところにブルドーザー、ユンボの大型、小型の機械が入って居た。観光地ではない。工事現場の視察であった。豊岡大水害の比ではない。和歌山の紀伊半島全体がまるで災害復旧の工事現場を見る視察だった。「こんな和歌山県。切って捨てたら日本の国は楽になるのにな~」が、私は10数年以上前にネパールの国にいった。貧乏な国、ネパールは田んぼが流されたらそのままだった。災害復旧などする余裕はない国である。日本の国は恵まれて居る。

 だから都会の議員が農村を切って捨てよというのである。が、一昔前。戦後の都会はすべて焼けのが原だった。農村があったから日本人は生き延びたのである。米も農民が自分の食うものも始末して、供出していた。だから都会の人間は生き伸びれたのである。私の著書、「しらにしの吹く頃」にかいています。

岸渡寺。後の白い線。は那智の滝。11日
明日から旅行である。今日は静養。腰が痛いから水田に出ようか。温泉は天女の湯に行く予定。万灯の湯は休みである。
6月11日
 愈々那智勝浦の旅である。那智の勝浦の旅は数回目である。最初は大阪駅から汽車で出かけた。てんのう寺の駅から紀勢本線にのり、白浜を通り串本を通過した。降りたところは那智勝浦だった。民宿勝浦荘に泊まった。あくる日、民宿の主人が車で那智の滝、青岸渡寺、熊野那智大社。勝浦の魚市場を案内してくれた。次の日汽車にのり尾鷲市で降りた。尾鷲港の見えるホテルに泊まった。尾鷲港は太平洋の漁港だった。帰りは紀伊長島、伊勢市を通り帰ってきた。もう20数年まえである。その年関宮町議会議員をつれて尾鷲のホテルに泊まった。ホテルの女将は挨拶した。主人は尾鷲市の市会議員をしていた。

次の年、議会退職の年、弟夫婦を車に乗せて高野さんから龍神村を通り、425号線で十津川川湯温泉。那智勝浦にでた。帰りは串本、すさみ町、白浜、から大阪にかえった。私が運転していた。


那智山 青岸渡寺

太閤・秀吉も愛した壮麗なる寺院。那智の滝とのコントラストも絶妙です。

 西暦700年頃から現在まで日本人の間で息づく熊野信仰。
かつてこれほどの長い年代に渡り多くの人々に信仰されたものが存在したでしょうか?


 那智山(なちさん)は和歌山県那智勝浦町北東部の内陸一帯にそびえる山々の総称で、那智山は那智川の源流域を構成し、大雲取山(966m)、烏帽子山(871m)、光ヶ峯(688m)、妙法山(750m)などの山々からなり、全域が吉野熊野国立公園の一部であり、那智の滝やその水源林である那智原始林(天然記念物)に見られるような、深い自然の山と森林がのこされています

 11日は紀三井寺参拝。木造立像の日本最大の大千手11面観音像がある。紀伊勝浦温泉。ホテル中の島泊。12日那智大社と青岸渡寺。那智の滝を見る。久しぶりの紀伊の旅である。高野山。龍神村にて昼飯。奥の院。一の橋観光センター買い物。また高野槇を買おうか。11日水曜日関宮農協朝7時発。家を6時半に出る予定。
6月8日
とがやま温泉天女の湯。お大師道ハイキング。国木、小山、おりゆう柳跡。天文館で昼飯。そこから小山の娘の家、林家の山林境界を下り、一部のお大師道を下り、豊楽寺、玉島神社。までくだると豪雨のため雨宿り。そこまで天女の湯の車が迎えに来る。一行八名。八鹿の小山、一部の村の上を歩いた。隣のふるさとの親戚の白岩さん夫婦、田淵勉君。他、八名であった。天文館で昼飯。大変参考になるハイキングだった。
向こうの谷はクロクの村だった。お大師道、88け所の旅だった。




浜坂海岸。散歩
6月7日
 但馬ふるさとづくり大学。が浜坂で開催されました。約80名集まる。次の会合は7月5日。次の会合から午前中の太田さんの会合がなくなりました・
其処で会員の自主研究。大いに賛成。します。浜坂町の視察は昔から何回も行って居たがまあ、今回が最後だろう。帰りに魚を多く買った。渡辺水産が四時を過ぎると魚を半値で投げ売りしている。これだけが収穫。明日は八鹿の天女の湯。歩こう会らしい。8時過ぎ出る。午前9時集合。次の市長候補に水戸黄門が立候補。らしい。ので広瀬市長ののど元のかく乱戦術らしい。広瀬君よ、もう次の選挙は無投票はないよ。うわっはっはっはー
6月5日
 この間、但馬県民局の人たちと飲み会。私は議会議員退職後、但馬夢テーブル委員会。十数年但馬の夢の実現に向けて提言してきました。
県民局の多くの課長とも知り合いができました。この間の飲み会で、となりに座って居た課長が尋ねました。「氷の山国際スキー場の駐車場は廃止になりましたね」私はすべての経過を説明。その後文さんの日記に書いて居るページを印刷配布を依頼しました。県民局にも多くの仲間います。


 奈良尾字要山の村の共有山10ヘクタールの半分、5ヘクタールを氷の山国際スキー場に提供しています。が、ここの起点基地を閉鎖するなら、村の権利ある用地提供は致しません。私の土地は永代耕作権の土地。スキー場の真ん中にあります。今は民宿をしていない、長村豊、長村松江。他多数の人たちは、ここの起点基地を廃止するなら奈良尾村の用地提供をいたしません。同時に村の土地の年貢を支払え。と要求しています。
その土地は明治憲法制定以前から、土地登記法が出来る前からの永代耕作権の土地です。養父市の土地ではありません。無法に土地を乗っ取り使用することは出来ません。土地問題は私藤原文男が30年間研究しています。地方治自法の専門家です。無法な使用はできません。
養父市奈良尾130番地藤原文男
6月4日
 今日は朝起きて、水田接骨院にでた。腰が痛い。高速の分岐点で右を見たら井上さんが車に乗って居た。挨拶する。「東上課長に選挙に出ないか?」そっと耳打ちするように依頼した。昨夜のメールである。これからの政治はメール連絡で決まってゆくのである。昨日おジロンに行ったら工事の為お休み。いた仕方ない、引き返し湯村温泉に浸かる。「何所から来ました」「姫路です」「高速使いますか」下の道を通ります。温泉は400円である。温泉客が朝10時でも多く歩いて居る。7日は浜坂の県民サンビーチ集合。ふるさとづくり大学がある。内容は先人記念館。以命亭。あじわら小径。に学ぶ海辺の歴史。加藤文太郎記念館。記念図書館。浜坂の町には従兄弟が二人いる。多くの友人知人がいる。
8日は天女の湯の会員散歩の会がある。11日から農協旅行。紀伊の勝浦の旅である。

 
6月2日
夕べは鵜縄の藤森さん宅にて、関宮町同友会ののみ会。が開かれました。午後4時出発大谷まで迎にでる。総員13名。大変な御馳走だった。
川魚の炭火焼き、竹の子の炭火焼き、刺身と本物のわさび。牛刺し、茶碗蒸し、など出された。今回を以て長年の同友会を解散した。
5月31日但馬県民局のみなさんに、下記奈良尾村の反対意見書を渡す。西上課長から県民局関係部署全員に渡すように依頼。反対運動は大きく県当局に情報発信されて行きます。住民を圧迫する政治に反発する声は広がって居ます。
6月1日
5月30日は夜豊岡大丸泊。但馬夢テーブル委員会の皆様と飲み会参加。県民局から地域活動の職員、関西大学教授草郷孝好氏ほか多数参加。「楠くす」の二階で飲み会。31日朝5時起きて帰る。朝食昼ね。朝から天女の湯につかる。8日の天女の会参加申し込み。午後2時から八鹿、但馬長寿の郷
の但馬県民局主催の夢テーブル会議参加。夕方かえる。一方、

 
5月31日

但馬県民局夢テープル委員会。但馬長寿の郷で開かれる。
5月29日
関宮町議会OB会開かれる。17名集まる

5月27日
 田淵武君が逝った。今やお通夜、明日葬儀。11時から五光にて。私は今やのお通夜に出席予定。今日は散髪を済ませた。
明後日、関宮町議会OB会出席予定。30日豊岡市大丸宿泊。但馬県民局夢テーブル委員会の飲み会に出席。6月1日は鵜縄の会合。関宮町同友会。解散の為の食事会である。29日夜し奈良尾村の総会、氷の山国際スキー場の問題について。である。
5月25日
 氷の山登山大会。大ぜいの登山者が来ていました。大段平1200M。大屋町に降りて。大屋の町を縦断、天女の湯に入り帰る。昼寝の後、登山口まで行く。




5月13日
 私は50数年前から私の村の地域社会の人口が増える為の活動をはじめました。
先ず、こども達のために毎日スキーを担いで大久保スキー場に通いました。当時大久保から奈良尾の村まで道路除雪はしていなかったです。帰りは道路を滑って家に帰りました。昭和30年代、民宿には大勢泊まりにきていました。小さな家に100人くらいとまってくれました。
 十五歳から百姓の跡継ぎとして夏は農業に精出しました。冬は冬季出稼ぎに行きました。約10年間出稼ぎしました。21歳のころ家を出て都会で働く決心をしました。トランクに必要な衣類を詰めて家を出ると父、母に告げました。父は泣きながら私を拝みました。「文ー、と私を拝みました。頭を下げて頭をすりつけて家でを制止しました。」百姓の長男は生まれながらに家の跡取りとしての宿命があります。

 私は私の長男に、家の後取りとしての気持ちを絶えず植え付けできました。息子は生まれたころから民宿と百姓の家の後取りの宿命として育てました。従って農家の長男としての宿命がありました。高校、大学に行け、大学を出たら家に帰り百姓をしながら民宿をせよ。そのため大学では先ず経理計算のできる簿記を学習し、税務知識を身につけて来い。と送りだしました。

 大阪商業大学は村岡高校の先生をしていた従兄弟の福岡村の板坂先生が、村岡高校の推薦入学の手続きがある、それなら大学進学は出来ると勧めてくれました。大学では応援団のクラブに入会を勧められました。が、商大の応援団は暴力団の支配下にあるから、入るなと、当時のスキーに来ていた佐野安の会社の先輩に、勤めて居た人から聞きました。従って体育系のクラブに入らせず、毎日下宿生活をさせました。

 息子が大学生活を終えた大学の「ゼミ」旅行の時、私の父藤原喜三郎は後数日の命でしたが、毎日宿泊の宿の電話番号を連絡。息子が家に帰りました時、息絶え絶えの父は孫の手を握り、「睦、家を頼むぞ」と安心して息たえました。父はあの世に旅だちました。私が創立しました草谷山荘の未来を最後の最後まで孫、の息子に託してこの世をさりました。

 そのあくる年、私は関宮町議会議員に立候補しました。父が生きて居る時、私の家の奈良尾村の柳畑、山葵畑、永代耕作権の土地はすべて氷の山国際スキー場創設のために権利を村に集めていました。父は逝った。私は私の家の100年掛って造った村の土地をすべて提供、スキー場創設の準備ができた。がまだスキー場は影も形もなかった。背水の陣。父が逝ったあくる年、私は関宮議会に立候補した。あれから三十数年すぎている。
議会議員一期目に氷の山国際スキー場は完成した。和田幹夫町長が予算10億円投入してくれた。そこで村の田や畑をすべて潰してスキー場を造成しました。
 オバナに起点基地を築いた。ここからスキー場に登る。この起点基地を閉鎖することは約束違反である。村の部落共有地は私の土地、長村栄、長村豊、長村喜久子、藤原質、藤原美代士、長村重雄、藤原実、などの土地である。私は議会議員の四期四年間、地方治自法を研究した。旧来の慣習にもとずく永代耕作権のぞんざいを知った。明治憲法制定以前から耕作していた土地は最高裁判例で個人の耕作権が認められている。
従って私たちの権利者の土地である。地方治自法にはっきりと書かれています。



5月11日
 葬儀発生。大久保藤原孝士君の妻が死去。突然である。朝から天女の湯に出る。焼肉の御馳走を食べた。午後一時小山の西村葬儀場に行く、長村武雄君。久子さん、やえのさんの婿さん、その他名前は忘れたが、みんな来ていた。孝志君の嫁さんの一族。大久保のみなさん揃う。隆夫君も出て居た。
午後帰り一杯飲む。昼寝したが眠れない。久子さんがよく話しかけてきた。若き日、青年会場で一杯飲んで話した思い出もある。70年前の思い出である。夜、弟の家、姉の家に電話してみた。姉の家、秋田喜代志は首の骨を痛めていま退院したところらしい。がみんな元気らしい。日にち薬で治す以外方法がないと伝える。章二の声も聞こえた。元気らしい。岡山の容子の家の笠岡の映像、「家族に乾杯」明日8時からNHKで映るからと伝えた。北木島。秋田喜代志はよく知って居た。大分宣伝した。明日12日NHKテレビ家族に乾杯ですよ。

5月10日
今日は但馬ふるさとづくり大学。午後1時から、午前中vタウンで焼酎、薄めように炭酸飲料、その他を買う。天女の湯に這入る。そののち行く予定。
田淵君も午後出るように誘う。

5月8日
 読者のみなさん、私の娘が嫁にいっている、岡山県笠岡市。や北木島、かぶとカにセンターなど。NHK。鶴瓶の家族に乾杯。五月12日午後八時。から出ます。二週連続で出ますので、覚えていたら来週12日午後8時からでます。と娘からメール連絡がありました。鶴瓶の「家族に乾杯」ですよ。
まあ、関係なくとも文さんの娘が嫁に行っている岡山県。笠岡。人口五万人ほどの小さな町の港町、そしてその島島の映像をみてください。
二年ほど前、「会ったときが最後だよ。」とその父とも挨拶しました。娘や孫たちとも、会った時が最後。私は85歳。再び見ることもできないかもしれない岡山県、笠岡の町、広島県境の小さなまちです。

【鶴瓶の家族に乾杯(つるべのかぞくにかんぱい)「笠岡の旅」放送決定!!】

鶴瓶の家族に乾杯(つるべのかぞくにかんぱい)「笠岡の旅」の放送が決定しました!
この番組は鶴瓶さんとゲストがステキな家族を求めて日本中をめぐる,ぶっつけ本番の旅番組です。
3月14日(金)に鶴瓶さんとゲストの糸井重里さんが笠岡の住吉港を皮切りに,笠岡諸島や笠岡商店街などを旅して歩きました。
そこで出会った笠岡の人々。。。
どんな触れ合いがあったのでしょうか。

【放送日】NHK総合
     前篇 5月12日(月)午後8時から
     後編 5月19日(月)午後8時から



 フオーチュン、クッキー。恋するフオーチュン。クッキーの踊り。養父市有線テレビで盛んに放送されている。但馬夢テーブル委員会。お菓子のグループ
で第6期。豊岡市のお菓子の神社。で始まって以来但馬全域に広まった。お菓子のグループ、フオーチュン、クッキーのおどりである。
市長がまずはじめに踊り、養父市全域の各種団体がみな踊るという仕掛け。但馬夢テーブル委員会。第一期、二期、各二年で四年。その委員会が終わり、私たちは但馬を映像で発信する会。を立ち上げました。以後私は第6期二年。いま第7期に挑戦しています。グループはどれに入ろうか?
考えて居ます。
5月6日
 目が覚めたら、天井に光が点滅している。携帯を見たらメール二件入って居た。ハチ光会で八北のボタン園を見に行こうと、薫花園という。薫さんの家なら魔泉城だろう。そう言えば家の裏の山にテニスコートを作って居たが、テニスがはやらなくなりボタンの花を植えたのだろうか?商売熱心な人たちではある。何時もの例で小学校の回りを歩く。新聞配達のやねやの姉さんが歩いていた。朝早く新聞配達で歩く、銭も請けと散歩。両ドクである。水戸黄門は毎日7000歩は歩いて居る。が一銭にもならない。

 すずめの涙ほどの年金で毎日万灯の湯に入りに出て居る。議会と草谷山荘の経営者退職のころ貯めて居た金、5000万円ほど、世界の旅、日本の旅、但馬各地の旅で使い果たした。映像発信の機器にも数百万円投入。株式投資にも1800万円くらい投入。が株式投資での損失はパチンコに投資するより頭の体操になる。損失額はそんなに多くはない。が10数年間楽しんだ。今はもう手じまいしている。わずかに近くの会社の株式1000株ほど残すのみである。

 配当金も入らない。値下がりの損失もない。日本の国は貧乏したからもう、株式の値上がりは無い。増資新株の割り当て増資などない。新三菱重工、日本化学工業、久保田鉄工。など増資新株を残して、元株を売っていた。だから損失はなかった。が株式投資は儲からない。
今日は晴天である。

5月5日
 天理教教義学序説、深谷忠政著を読み終えた。約10日間掛って居る。天理教の序説が分かった。昨日から大本教出口王仁三郎著道の光を読み始めて居る。読みやすい本である。第一章、第二章に分かれている。あとがき。天理の教えとは全く違う。出口京太郎氏の著書によれば、王仁三郎は上田性を名乗って居たがその先祖は藤原性であった。つまり父藤原喜三郎と同じ名前であった。出口は養氏にいったからであるらしい。
逆族明智光秀の居城を買い取本部にしている。亀岡に本部がある。そこでこの本を読み進んでみよう。面白い。
今日は午後温泉に入りに出る。隣の護ちゃんを載せて風呂に入り、駅まで送る

 帰り道。県道中瀬吉井バイパス。藤原君在籍中に予算なんとかならないか。担当県道課長に話してくれないか?と話を向けた。ら藤原護課長君。八鹿の土木事務所に話したがよかろう。と言った。但馬県民局には草出の西上課長がいる。県庁には県税徴収課長の藤原君がいる。藤原君は神戸地方の土木の課長も歴任している。中瀬、吉井バイバスの予算獲得には県庁内部から、予算獲得仲間、課長を動かすほうが早いのである。但馬県民局の西上君と、藤原課長は熊次小学校、関宮中学時代からの同級生である。内の息子より一級上の仲間であ。政治は人脈である。
以下の如く県道吉井、中瀬バイパスは凍結されているらしい。先ず予算の凍結を解除する必要があります。

一般質問で取り上げていますが、
「中瀬~吉井バイパスについて」ということで、県の合併推進事業にあがりながらも、県の行革の中で凍結されている事業ですが、観光振興と現在の県道の状態、生活道としての両面から、質問してみました。 観光事業は、養父市の大きな経済基盤の一つとして、市長マニフェストでもあるように、交流人口150万人構想の中で、なくてはならないものであり、外貨獲得産業として外せないものであるし、それぞれの観光施設の点を線で結ぶインフラ整備の一つであり、県が事業について凍結しているのであれば、県の代行事業として市が事業化するよう市長の決断を求めました。
 知見線などは、県事業を旧八鹿町から養父市へと引き継いで、独自で代行事業を進めて、後日、県からかかった経費を補填する方法で、完成されています。 同じ方法が取れないのか、また、それとは別に新たな手法を講じてでも、事務的にも政治的にも早期着手・完成を目指すべく、市長判断が必要であるという内容です。

 つまり、吉井中瀬バイパスについては、現在誰も骨を折る人はいない。県会議員も口の皮は良いけれどなにもしていない。市長は少しも動かない。
馬鹿をみたのは関宮町の吉井以北の住民である。これが合併の基本的約束だと言う。
藤原護君。先ずこの県道吉井、中瀬バイパスの予算凍結を解除するように、県道の課長に話してくださいね。その上で来年度の予算に乗せるように働きかけてください。陳情が必要であれば地元を挙げて陳情します。政治活動がひつようです。

5月4日
 隣の護ちゃんが帰ってきた。昨日天女の湯に帰るというから出てみたが、入りに来なかった。今朝電話してみたら帰って居る。今日は村岡の板仕野のとろ川稲荷の祭りに行く。と言う。さとチャンが送り迎え。7年に一度の祭りらしい。もう帰って居るのかと電話して隣の護君とはなす。
護ちゃんは県庁つとめらしい。県税の徴収課長らしい。が県庁など辞めたい、辞めたいといって後3年。らしい。月給取りという仕事は面白くない。水戸黄門も関宮議会議員17年勤めたが少しも面白くなかった。辞めたい、辞めたいと思いながら4期17年すぎた。

 その点百姓は朝から晩まで日が短い。1日がすぐ晩になる。生きがいのある仕事である。が人間嫌な仕事でも始めたらすぐ辞めるわけにはゆかないのである。後3年経ったら護チャンは家に帰る。民宿の後を継ぐという。退職したら先ず車の免許を再度勉強して。60歳過ぎてから車がなければ面白くない。から再度運転試験に挑戦して、帰ってくるようにはなす。車はこちらの西岡自機センターから買い、神戸から汽車で帰り、毎日温泉に母を連れて行き、まず健康。青く澄み渡るハチ高原や奈良尾の村人として、生活するほうが生甲斐だよ。と話す。ビールを御馳走になり家に帰る。
5月2日

 五月になりました。暖かい五月、今日は天女の湯に這入る。400円である。草出の滝の君も入って居た。明日隣のふるさとの息子が帰ってくるらしい。
天女の湯に来たら、一緒に帰りたい。ふるさとの護ちゃんである。車の運転はしないから電車で帰り、八鹿道の駅から天女の湯に入り帰るらしい。
水戸黄門もで迎がてらに天女の湯に行こうかなー、と思う、が明日は氣が向いたら、但関分教会のお祭りに顔をだしてみようか、と、考えて居る。
天理教など古い宗教であるが、仏教にくらべると新教宗教である。
4月29日
 今日はあさから安井の栃下喜幸君の家にお悔やみに行きました。前関宮町長、母が98歳で永眠。謹んでお悔やみ申し上げます。
家に帰りほっと一息、目の前を玉のようなものが飛んでいた。血圧がおがっているのか、下っているのか知れないが、横になり昼寝しようと思っていたら電話。ハチ高原のグリーンロッジだと言う。万灯の湯にいるから出て来いと言う。急いで車で飛んででた。ら風呂に入って居た。老人会の旅行の話をしようと、外野西本仏壇やに電話。また西本仏壇が出てきた。関宮町老人クラブ連合会の旅行。日帰りなど行きたくない。からどこでもよいから一泊して、ゆっくりと一杯飲むようにとはなす。

 彼が過日老人会副会長になつたからそのように運動せよ。とはなしました。老人クラブの補助金が弱小部落は少ない。
14名以下の会員の村はたった2万400円であるから、老人会に8000円払えば残りは1万2千400円の活動費である。から弱小部落の老人会殲滅作戦の養父市行政である。から、もつと老人会の補助金を増やすようにと、西本君に焚きつけた。彼は西本仏壇の会長だから、商売人だ。養父市行政に積極的に働きかけるように焚きつけました。

 先日草谷山荘。経営200万円赤字、と書いたが百姓民宿はそこが強み。百姓は米と野菜など多く作って居ます。民宿はお客様を泊めても仕入品を食べて居ます。生活には困らない。がそのお客さんのお世話をする家族の専従者給与が払えない。利益が出ないから事業主はただ働き。それでも米の飯を食い、生活は出来ますが、全くの日当が出ないから給与が無い。こうした民宿がほとんどです。

 会社勤めなら銭がもらえなければ食って行けません。が民宿は専従者給与がなくとも今日が明日には暮らして行けます。が、ただ働きです。水戸黄門は過去の積立金を取り崩して生活費をやりましたが、多くの民宿が困って居ます。



 ノーベル賞受賞者の山中教授ですら、論文に誤りがあると指摘されます。従って私のホームページは始めからすべてフィクションですと、お断りして書いています。世の中は怖いですよ。論文やホームページは世界中の人たちが見て、よんでいます。従って私の論文やホームページは、水戸黄門のペンネームで、すべてフィクションですと、小説です。画像も偽作ですと、最初からお断りして居ます。が100分の一くらいは本当のことがふくまれています。
私のホームページの愛読者の皆様。わかりましたかなー。この文責、藤原文男。

4月28日 19時32分
京大 山中教授が自身の論文巡り会見

 京都大学のiPS細胞研究所は、山中伸弥教授が14年前に発表した論文に不自然な画像があるとインターネット上で指摘されていたことについて、論文の内容が正しいことに疑いの余地はないとする調査結果を発表しました。
一方、画像の元となる実験データは示すことができず、山中教授は、会見で共同研究者のノートが保存されていなかったとして「心より反省し、おわび申し上げます」と謝罪しました。
「最初は何のことか分からなかった」

 記者会見で、山中教授は次のように説明しました。
「問題の研究は、自分が多能性細胞の研究を始めるきっかけになった極めて思い出深いものだった。その論文に疑問が指摘されていると聞き、最初は何のことか分からないというのが正直な感想だった。今回の実験は、何回もやっていて結果には自信を持っているが、自分自身の実験ノートは保存していたが、共同研究者のデータは全く保存しておらず、指摘された実験に関するデータが示せない状況だ。実験は、中国からの留学生と医学部の学生に手伝ってもらったが、責任者はあくまでも私で、今から思えばすべてのノートを私が持っているべきだった。また、当時の自分の実験ノートは、日付に年が書いていないし、記載も決して十分とは言えず、昔の自分が恥ずかしく思う。今、日本の研究の信頼が揺らいでいるのは確かで、私自身を含めてノートをしっかり取って、いつでも示せるようにするのが信頼回復の唯一の方法であり、それを私の研究所でも非常に強く指導している。そうしたなかで、今回、私自身の論文に関するデータを出せないというのは、研究所の人たちに対しても本当に申し訳ない」。
山中教授はこのように述べ、謝罪しました。


4月26日
 昨日。養父市役場にでた。田村課長と面談。他の部長はお出かけ、奈良尾村と民宿の危機的状況を説明する。福定奥にリフト起点を移動し、オバナのリフト起点を閉鎖。マックアースに民間委託したもよう。課長の説明によると村の役員と相談の結果だと言う。しかし、私の家は営業赤字、200万円である。年間の営業経費を差し引き赤字である。らしい。借金はないから直接の赤字は少ないが、諸々の経費と仕入、固定資産税。修理費、水道光熱費。
 村や親籍などとの交際費、を差し引き、専従者給与の支払いが出来ない。勿論営業主には利益が出ないからゼロ収益であ。つまり女はお客さんのお世話はしてもただ働きでも、であるらしい。民宿は生活費は仕入れから電気代、食費、住居費などしわけは困難である。から生活はしているが供与費がゼロである。こんなことでは会社なら倒産である。その生活費は水戸黄門が当分みてやっているが、何年も続かない。

 奈良尾村の経営が危機的状態であるらしい。夏山観光から撤退する民宿が一気に増えて居る。冬山のリフト起点をマックアースが独断で福定奥に移転。そのため奈良尾駐車場の駐車台数が激減。経営難が一気に押し寄せて居る。除雪費が払えない。民宿の宿泊客の減少。これでは奈良尾村の部落有地は養父市に貸すことは出来ない。部落有土地5ヘクタール、500万円支払えと請求。半分に負けても250万円支払え。昨年私は奈良尾字の土地、要山の土地に無断立ち入り禁止。と通達しました。スキーシーズン中一度も行っていないからどのように奈良尾の土地が使われたのかしらない。が無断使用は乗っ取りである。奈良尾字要山の土地は旧慣に基づく永代耕作権者の土地である。無断使用はは違法である。
以下の文田村課長に渡してかえりました。黒帽シ君が支配人らしい。違法な使用は出来ませんぞ。藤原文男。


4月23日
 今日は八鹿病院にでた。耳鼻科に行く。身体障害者手帳交付申請。のために検査をした。色々な音を聞かせてボタンを押す。が、結果は親からもらった耳がまだまだつかいものになるらしい。身体障害者などなりたい者はないだろう。水戸黄門が何故そんなこと考えたのだろうか?トイレに行くとき、身体障害者用のトイレに這入る。広いトイレ、誰も入らないからゆっくりとできるのである。立小便しているとき、後に人が並んだら小便がでない。車で駐車するとき、身体障害者用におけば何時もすいている。東垣さんや上田のおっさんたちと日本国中旅をした。高速道路が割引になる、安く旅行が出来る。から随分安い旅行を楽しんだ。もう10年くらいまえである。まあ、元気で毎日温泉に浸かり、健康な体を謳歌しようかなー。
それが天理の親神さまのお授けであり、さとりである。親からもらった耳は、補聴器をあてて使えばまだまだ使える。らしいのである。ありがとう親様。地獄の閻魔大王様。大日如来様。藤原文男教の神様。ありがとう。まだまだ元気だよなー。
しました。                        奈良。天理教春の大祭18日ー19日よっさん他
4月20日
 天理教教祖誕生130年祭。奈良天理市。に行ってきました。18日ー19日。関宮、但関分教会車の車で一行6名。
19日。天理教のいわゆる先生なる人の話。お席とか言う、最前列に座り話を聞いたが、水戸黄門はツンボだから話の内容が分からない。
教祖の大神様。とかいう声は聞こえたが、その後の話はチンプン、観分である。がまあ、雰囲気は満喫できた。

 その最後に天理教の拝み方の講習がありました。これはよく理解できた。先ず最初に手を四回たたく。手をあわせて、「たーすけたーまえ天竜王の命。」手をくるりと回して、手の平を上向き、その手を逆に回して前に手の平を見せる。続いて右指を自分に向けて、左手を胸に会わせる。また逆に左手指を自分に向けて、右手を胸に会わせる。今度は手の平をくるりと回して、手の平を前に向ける。右手の人指指を前に出して相手を指差す。左手は胸に当てる。次の動作は左手指で人を指さして、右手を胸に当てるまあ、こんな調子で拝んで行く。詳しいことは忘れたからが、まあ今後参ったときには横の人のまねをしていれば覚えられますよなー。宮岡さん。最期に四回手をたたく。まあ、すぐ忘れるから覚えている間にこのホームページに記録しておきます。


 この拝み方は天理独特の拝み方らしい。朝飯前に車で本部会場に全員集合。数万人の人たちが拝む、手を四回たたき上記の方法で手踊りを始める。前に後に動く群衆。どよめきの歌声が聞こえる。座りなおして数分間頭を下げて居る。もういいかいと、横の人をみるが両手を握りしめて頭をまだまだ下げて居る。はっと気いたら手を叩きだした。急いで後から四回手を叩く。大本も四回手を叩いて居る。普通の神社は二れい、二拍手、一禮が拝みかたであるが、まあ、いろいろな拝み方の勉強にはなり申した。がもう覚えていない。今日は豊岡但馬県民局の夢テーブル委員会。但馬文教府集合。午後一時である。
今回「天理教教学序説」深谷忠政著。天理教道友社刊を買った。初版は1977年である。著者は大正元年生まれだからわたくしより20歳は大きい。もう出直しされているだろう。と計算する。約1400ほどかかったがなかなか面白い。読み応えのある本である。一読に値する本である。

夢テーブル委員会。豊岡但馬文教府。で開かれました。
4月18日
 いよいよ今日出発である。よっさんが車に乗せてくれる。7時半頃くるだろう。車の運転をしなくてもよいから楽である。天理教参りは数年ぶりである。
よっさんが忙しくてまいらなかったからである。四国の寺詣りより楽である。歩かなくとも良い。天理教本部は奈良の天理市にある。大本教の本部は綾部市にあるが、綾部の大本本部の眼の前にキリスト教の寺院を作って居る。が天理市には異宗教はない。あれだけ広い土地によくも広い土地を買い占めて本部の建物をつくったのだと感心する。

 全国の教会の大教会を配置している。真ん中に本部がある。朝のお勤めに歩いて本部に集まる。数万人の信者が朝早くから本部にあつまり拝んでいる。凄いひとである。よくぞこんなにも信者がいるものだと感心する。藤原教は到底足元にも及ばない。自分一人の一人よがりの教えである。が、それでよいのである。が、藤原文男教は世界一の教えである。と、ほれているのであるから不思議だ。まあ、飯を食い準備しましようかなあ。
4月17日
明日はいよいよ奈良春の天理教大祭参りである。今日一日なにもしない。「暇で暇で志方が無い」出会いの上田さんが三日にあげず遊びに来ていた。
そのころの水戸黄門は毎日が日が短くて、する仕事がいっぱいあった。屋根の掃除、壁のペンキ塗り。畑の野菜つくり、会議、毎日が希望に満ちて居た。つまり毎日が銭も請けの為に働いていた。銭はいくら儲けても、もうこれでよいというときはない。銭は多くあるほど老後の生活がらくである。

 私が息子に世帯を譲った頃、毎年多くの金が貯金通帳に積み上げられていた。総額5500万円。それでも使わずに貯めたらもっと多くの金が私の貯金通帳に積み上がっていたかもしれない。議会を辞めた時、この金を使う方法を考えた。朝日新聞シルクロードの旅である。そこでネパールの旅を企画したが、秋である。それまでに弟を誘いヨーロッパ7カ国の旅に行くことにした。それまでにマレーシア、シンガポールの旅に行った。ネパールの旅は私の今までの人生観を変える旅であった。ヨーロッパ7カ国、弟夫婦とドイツ、フランス、イギリス、オーストリア、スイス、ルクセンブルク、など各国の旅をした。

 それが旅の始まりだった。次の年朝日新聞の玄奘三蔵のシルクロードの旅。パキスタンの旅、そのあくる年インド。ネパールの国境の釈迦の国の旅をした。インド仏教のルーツを求める旅は、インドからはもっうとっくの昔、仏教は消えて居た。なぜだろうか?とその前の年、インド北部のチベット文化圏、ダラっクの旅は私の過去の思想や物の考え方わ変えた旅だった。あれから20年近く過ぎて居る。世界の旅40カ国。誰も行かない、よう行かない国国の旅をした。「しらにしの吹く頃」に発表しました。80歳の誕生日に「但馬に生きて、遥かなるロマンを求め駈け巡る」の著書を発行しました。
今「天理と私」または「私の家と天理のかかわり」を書いてみたいとの欲望にかられている。明日はいよいよ天理の旅である。暇つぶしの旅である。
4月16日
 朝5時に目が覚めた。起きて道を歩く、毎日の習慣である。丹戸の神社まで出る。丹戸の村を見ながら歩く。森本、ロッジマコの横を通り、則り安君の横を通り、とっちゃんの家の前から小学校の横を過ぎると草谷山荘が見える。漸く夜があけたもようである。新聞配達の実のさんの嫁さんに出会う。家に帰り朝食。昼寝。今日は万灯の湯に出る。帰ったら11時を過ぎて12時半である。
4月15日
 桜の花は満開になりました。氷の山の雪はどんどんと消えて居ます。春真っ盛り。今18日19日の春の天理教大祭参りが最大の関心である。
聾唖者の身体障害者手帳取得の準備を進めて居る。先ず出会い診療所の先生から八鹿病院に手続き、22日その紹介文を貰い。23日八鹿病院に出る。耳鼻科に行き検査。が、耳が聞こえるようになる検査ではない。身体障害者としての認定の為。障害手帳交付申請のためである。誰が好んで身体障害者などになりたいのか。が毎日の生活が不便である。毎日温泉、障害者用の駐車場を使って居る。便所に行くと障害者用のトイレを使って居る。が、耳が遠いので若者が馬鹿にする。腹が立つが致し方ない。まあ、早く死ねば良いのだがなかなか迎えに来ないから致し方ない。

 天理教では「出直し」と言う。仏教では「さとり」である。水戸黄門を早く迎えに閻魔大王が迎えに来ないのか?水戸黄門が地獄に行ったら、閻魔大王を横の席にやり、水戸黄門が真ん中の閻魔大王になるから、迎にこないのである。つまり、閻魔大王も水戸黄門を恐れて居るのである。が、「地獄の沙汰も金次第。」銭で何とでもなる世界なのである。
4月14日
 朝3時に目が覚めた。面倒くさいから起きた。今日は関宮やの上の交差点で交通安全週間の立番である。関宮町同友会で参加する。「同友会とはどうゆう会だね。」と皮肉られた時代があった。男と女、人の嫁さんもいる。関宮町が但馬文教府の勉強会を終了したもので造った会である。が、但馬の意識開発団体であった。が、運動とは右に左に大きく揺れるものである。但馬の部落解放運動に点火した。ら、運動の行き過ぎで未解放部落解放運動となり強烈な運動が展開された。その結果、八鹿高校事件に発展した。が、点火した但馬同友会では火を消すことは出来なくなった。井上町長の当時の若嫁さんはその運動で苦しんでいた。西垣町長がその運動の全面に立ち、燃え盛る人たちの前で両手を上げて当時の町会議員を守った。と、上田議員がはなしていた。「怖いと言う意識を植え付けた。」あれから数十年過ぎて居る。
4月13日
 明日朝は交通安全の立番である。関宮町同友会の歴史を振り返る。関宮町婦人会の西谷会長。別嬪さんだった。多くの関宮の婦人衆と旅行に行った。現在生き残って居るのは、三宅の和田悦男。音楽の店をだしている人、大谷の天理教から嫁いだ。名前は思い出せない人。関宮の西垣畳や。喫茶サチ。その他、鵜縄の藤森君。別宮の岡君。大久保の三輪君。丹戸の田淵さん、などである。
4月12日
 夕方田淵君が一通の手紙を持ってきました。「4月14日交通安全の立番に出てくれ」と言う。会長は鵜縄の魚養殖業の人に変わった。と言う。突然の手紙である。但馬開発同友会。40数年前但馬文教府の勉強会の卒業生で組織した。いろいろな時代の変遷。一時は関宮町で、150名の会員を越えて居た。現在の会員20名くらいか?鵜縄で一杯会をして解散したいと言う。みんな80歳に近い。それもよかろう。が、4月14日朝7時f半。関宮上の交差点に立番である。勿論無償である。春の交通安全週間の安全運動の一つである。最後のご奉公である。

 木下さん。メールありがとう。桜満開。熊次小学校。が、20日、但馬県民局の夢テーブル委員会が終わらないと落ち着かないですよ。それまでに天理教、春の大祭。吉野の桜見物など終わらないと気がむかないですよ。何分85歳。毎日の行事はえらい。昼寝して。食事して。また昼寝、毎日温泉で帰り一杯のむ。パソコンを開いて行政批判。インターネットで世界の情勢をつかむ。もう、赤旗も佼成会の新聞もお断りした。銭のいる新聞や本は断る。読みたくない。今更水戸黄門の思想はかわらないです。藤原文男教の教祖なのである。独断と偏見。それが教祖のお筆先なのである。わかりましたかなー。ホームページ信者のみなさん。嫌ならよまないでくださいね。
4月11日
10日夜奈良尾村の総会があったらしい。
養父市市長広瀬栄様。マックアース。一の本達美様
請求書。一つ金500万円也。
奈良尾区長。長村賢一。本人署名。
 今、奈良尾村で、氷の山国際スキー場の村の土地を誰が貸したのか?疑惑が浮上しています。養父市は指定管理者への委託で、関宮町と村と交わした村との約束はすべて解消しています。と、養父市議会議員がいっていました。が、慎擬のほどはわかりません。
 下記の如く藤原文男は、農林水産省から来ました部長と、個人有地の年貢を負ける話に同意しました。が、それらは村の共有地の年貢を貰う為の準備で松岡部長と話、同意しました。それが政治です。何の代償もないのに、松岡部長に、84歳にもなる藤原文男が同意するわけがないです。その含みがあって同意しました。

 が、松岡部長は農林水産省に栄転かえりました。毎年奈良尾村は字、要山10ヘクタールの半分の土地、5ヘクタールを養父市が今年も使いました。らしい。その年貢10アール当たり10まんえん。を支払うようマックアースと、無断使用を許可した養父市市長に請求するよう、奈良尾老人会で議決。奈良尾区長は請求書を提出することを奈良尾村総会で、住民が要求し、議決。されました。これを受けて養父市と奈良尾村との全員での話し合いがなされます。つまり、マックアースと養父市長に奈良尾字要山の無断使用の使用料5ヘクタール500万円請求をします。ことを議決しました。そのことを前提に村の総会を開きます。らしい。

 松岡部長が年貢を半分に値切りましたから、5ヘクタールの半分としても250万円請求する権利がはっせいしています、もちろん、オバナの起点基地はリフトを運行することが30年前からの約束であることに変わりはありません。その上で、奈良尾村の水源は、スキー場に使って居る田も、減反している田ももちろん水利権がありますから、スキー場の用水にはかせません。水利権とは地方治自法上の農地の最大の農民の権利です。藤原文男は地方治自法の研究専門家です。わからないことがあれば私に質問してください。

 数十年間奈良尾村の土地について地方治自法を研究してきました。永代耕作権も、部落有土地もすべて研究してきました。まだまだ85歳になりましたがボケてはいません。地方治自法上の法律の相談には応じます。
藤原文男は奈良尾村、福定村基本として議会に四期17年でていました。その間、先祖伝来の田畑をつぶしてスキー場造成を村の皆さんに要請しました。村の部落共有地を提供しました。福定奈良尾村でそれぞれ各個人個人が数百万円現金拠出して、食堂をたてました。まだその借入金が残って居ます。それが村の最大の難局です。八木川より南には村人も個人での建物は一切認めない。と関宮町と約束しました。今、マックアースに養父市長が貸しました。が永代耕作権者は了解していません。 無断使用です。
 永代耕作権者。氏名、長村豊、長村栄、長村道夫妻、長村重雄、藤原俊彦妻、藤原文男、藤原質妻、藤原実、長村勇夫長男はじめ。
その他、ですが永代耕作権者の土地代は奈良尾村区長に支払ってください。
この文責任者。奈良尾老人会会長。奈良尾130番地 藤原文男、
4月8日
 このはなの田淵君が8時過ぎに出る。とメール。「これから出る」とメールが入った。急いでパソコンを消した。車が来たので私が先道し、万灯の湯に出たら火曜日で休み。但馬楽座に車を置いた。和田山の散髪屋に這入る。八鹿病院に元関宮町議会議長の田淵君のお見舞い。兄貴の保君の昨日の話では、もう入院40日になる。飯も食べない、歩けないと言う、出てみたら点滴をしていました。食事も流動食だろう。糞尿は垂れ流しの入れ物がぶら下げられている。私は耳が遠くて聞こえなかったが、エラそうだった。笑顔がない。人間いつかそうなるだろう。他人ごとではない。水戸黄門もいつか逝くだろう。明日の日も分からない85歳の老人である。但馬楽座の温泉に入り帰る。急いでパソコンで報告します。




4月7日
 昨日万灯の湯に子供二人を連れて若い男が入ってきた。八北にスキーに行っていたが、雪が多くて登れなかった。リフトは回って居たが雪が多くて除雪ができず帰って来て温泉。小さな学校にはまだ行かない子供たち。母親も来ていた。「尼崎から来ました」次の週もまた来たいと言う。
大笹の村からなら登れただろう。除雪体制はもうやって居ないのだろう。高野山にも五センチ雪が降った模様。この雪が最後の雪である。次は苗代雲。後一週間後にやってくる。毎年苗代のころ手が震えた。冷たい苗代を手を抑えて居た。そこに種をまいた。今は温床苗代で気楽に苗が出せる。
  4月6日
 但馬県民局夢テーブル委員会。但馬山地のジオパーく。但馬山地の氷の山を中心とする。扇の仙。大屋、生野連山、神鍋山。高令化する民宿と観光地。の再生と高令化する民宿。スキー場の実態を調査し、日帰り化して経営困難な、但馬の民宿の再生と、固定資産税減免の方策を探る。
伸び行く但馬の観光とともに、取り残されて居る高令化して困って居る民宿と、観光地に光を当てる。実態調査。海の民宿も同じである。番号は11番。
10番も併記しています。

お菓子のグループ。夢のすイーツ。録画風景。5日の新聞にでます。サンテレビ。
4月5日
 但馬県民局。ビジョン課から連絡。夢テーブル委員会。4月20日の会議日程が送られてきました。
午後一時半。委員長選出、副委員長指名。アドバイザー就任要請。但馬地域ビジョンについて、兵庫県立大学教授井内善臣氏。ワークショップ。
午後佐久間さんが来られました。夢テーブル委員会で初めてあったかたです。奥さんと二人で来られました。佐久間さんは国道9号線。円山川の管理事務所に勤務。らしい。枚方市から転勤。豊岡在住。話していたら、東大阪市の瓢箪山が実家らしい。内の息子が下宿していた東大阪商業大学の近くらしい。また。

4月4日
 朝5時起床。歩く、朝飯の後少し昼寝。が氷の山国際スキー場の用地補償費の問題について、文さんの日記を記録用記録簿にコピー。印刷する。10枚ほど印刷し長村豊君に渡す。長村君から区長に提出。村全員に配布依頼。つまり奈良尾村の氷の山国際スキー場の永代耕作権者所有の土地。村の共有地の乗っ取り使用。無断使用の抗議とともに、養父市長とマックアースに対して年貢の請求書を区長として提出すること。奈良尾老人会決議事項を提出。五ヘクタール。反あたり10まんえん。合計500万円を請求すること、住民運動として取り上げること。の文を印刷配布。
但馬県民局、夢テーブル委員会は但馬県民局4階で夢のすイーツがおこなわれて居た。以下メール

タジマモリあげ隊のみなさん、2日のミーティング、今朝のプレス発表、お疲れさまでした!
早速サンテレビのお昼のニュースで放送されました。明日以降の新聞紙面も楽しみです。チェックよろしくお願いします。

4月3日
 明日4日但馬県民局に行かないか?と、誘い掛けたら行こうと言う。ハチ高原の田淵君。朝9時草谷山荘。11時但馬県民局。に行く予定です。
但馬盛り上げ隊。県民局総合庁舎。らしい。豊岡に行ったら田淵君の妹の顔を見に寄られる。行っても意識がない。ぽかんと口を開いて居る。田淵君の妹。若し時間が有ったら。出石のNpo法人ダーナ」の「ノーら」に寄ってみたい。第一期、二期と活躍した、但馬を映像で発信する会の木村尚子代表。のところにもよって見たい。私のホームページ参照。が明日の都合はまだ未定である。帰りに万灯の湯による予定。養父町のyタウンで旨い量り売りの焼酎、旨い酒、ウイスキーを買って帰りたい。5日にこの間初めて会合した佐久間さんが来る。いろいろと会合の準備がある。
明日から聖天さんの小豆島の旅に行こうかと、考えて居たが、やっぱり但馬県民局の会合に行きます。佐久間さん、5日待っていますよ。
18日、19日は春の天理教大祭に行く。20日は第7期但馬夢テーブル委員会の初会合がある。
4月2日
朝、4時半に目が覚めたので、面倒くさいから起きた。天気だから歩く、丹戸の藤原のり安君の家を壊している。新しく新築した家を壊し、固定資産税を安くする手段が流行している。固定資産税がいまスキー場の民宿を圧迫している。借入金のある民宿は死ぬまで借金を返せない。木造の家は壊しやすいから、下、のような建物は壊した方が固定資産税が安くなる。わずかな老後の年金で生活するなら、早く家を壊して税金を安くし、年金で生活できる体制を確立した者が、老後の左団扇での生活が出来る、基礎が確立するのである。観光産業もいよいよ最後の断末魔の、あと始末の時代を迎えて居る。

 

 現在村の共有山の権利ある家は15戸です。地方治自法での永代耕作権保有の家は長村豊、長村栄、長村道夫、長村重雄。藤原文男、藤原質、藤原実。藤原俊彦妻。これは中河原より右側の権利者の家です。左側の家は長村勇夫、その他運動場の土地は除きます。他の家もすこしあります。

 が永代耕作権者の土地もその年貢はすべて村に入ります。永代耕作権とは地方治自法最高裁の判例です。詳しく書いて居ます。明治憲法制定以前からの耕作地に該当します。が奈良尾村に居住していることが条件です。国際山荘と藤原俊彦君の妻はまだ村人としての権利があります。
奈良尾村老人クラブでは過日総会を開き、奈良尾村の部落共有地の年貢を5ヘクタール500万円。養父市長、マックアースに請求するように、村の区長から出すように決議しました。
藤原文男は4月1日。養父町役場に田村課長と会談。詳しくその要点を説明し、了解をもとめました。田村課長は「よくわかりました。が奈良尾村区長を通じて話に出てください」とのことでした。

この文は長村栄さんを通じて村の区長に提出します。文責奈良尾村藤原文男。4月2日作成。



 今日、朝起きたら、息子たちは大阪出張。私は養父市養父町役場に出た。田村課長が留任していました。ので二時間あまり話す。下記4月1日、日記の如くです。その後、天女の湯に這入る。「風呂の入り置きは出来ない。」と書いたが消費税増税で100円値上げ。おまけに1000円の会員券がなければ400円出しても天女の湯には入れない。が水戸黄門は毎日風呂に入りに出て居ます。から400円は毎日万灯の湯に払って居ますから、別段抵抗はない。

 風呂から上がると会員券と、うどんの食事券。箸のサービス。ありがとうございます。とお礼をいい天女の湯を帰りました。が100円値上げの天女の湯は、「カン小鳥」がないていました。帰りに吉井のトヨタで旨い大根と竹輪、その他をかつた。600円の支出である。消費増税だからなるだけ高いものは買わない。外食すると高くつくから、トヨタで買って、家で煮て食べれば安く食事ができるのである。がまあ、消費増税。スキーシーズンの初めでなくてよかった。スキー場が終わってからで、消費増税。ありがとう安部内閣総理大臣さんよ。が、だから次の阿部内閣に投票するとはわからないですよ。
有権者心理はこわいのである。が水戸黄門はもう、選挙には関係ないからね。言いたい放題。書き放題。好き放題。の天下の副蔣軍水戸黄門。
うわっはっはっハー。
4月1日
 養父市人事で松岡部長は農林水産省に栄転。置き土産に「農業特区」に新潟市と兵庫県養父市も 国家戦略特区、発表へ。
さて、氷の山国際スキー場の事であるが、田村課長は留任か?藤原文男は松岡部長の要請に賛同して、年貢の半額にする方針に賛同しました。
彼を助けた。が、村の部落共有地の年貢を、奈良尾字要山10ヘクタールの半分の土地5ヘクタール。500万円を認めさせる話ができていた。が、年貢を半分に負けたから、5ヘクタール毎年、250万円でも妥結しようと、話して居ました。福定村も同じ面積で半分の250万円。で話し合おうと度々松岡部長と、心が通じて居ました。過日の養父市議会本会議をテレビで聞いて居ましたら、松岡部長はスキー場の借地10ヘクタールと認める発ごんをしていました。
 が今回の異動。奈良尾の村の区長に話したが、政治や行政の素人。「そんな話をしたら氷の山国際スキー場が潰されたら困る」と、考えて居る。政治の世界を知らない、素人の区長、副区長。行政とは、政治とは、住民の意見で強引に政治はしないのである。すべて住民の強い意見が政治、行政に反映されるのである。ことを知らない素人である。先輩の長村豊、長村栄、藤原文男の意見を聞かないといけない。

 私たちは熊次村、関宮村の合併で当時兵庫県で、美方郡東部五ケ町村に熊次村合併が「兵庫県の策定案」で決定して居た案を住民運動で関宮町をけんせつしました。50年昔、奈良尾むら長村勇夫、長村豊、藤原文男、丹戸の田淵万寿夫、森本貢、五名が結束して三年間闘い関宮町を建設しました。闘士です。合併運動の勝利は期成同盟をつくり三年間闘いました。経験があります。

 
 3月31日
 貰う嫁の見置き。と共有山の草の刈り置きは出来ない。と、昔から言われて居た。欲しい嫁が有ったら早く貰いにゆくことである。明日の朝刈らうと草の見置き、あくる日行ってみると、人が刈っている。昭和の戦争以前の時代、一戸に牛一頭飼って居た、牛は農耕用耕運機だった。牛の朝草刈りは百姓の仕事だった。その朝草刈が若者の仕事だった。いよいよ明日、消費税値上げである。が温泉の入り貯めはできない。一日一回風呂に入るのも限度だ。一回に二時間も風呂に入れない。そこで養父市の温泉の消費税を調べて見ました。

 万灯の湯は400円据え置き。他より100円高かったので最近客足が減って居た。天女の湯は400円に値上げ、一般客は700えんか?知らないが大幅値上げらしい。但馬楽座据え置きの養父市高齢者。300円。らしい、八鹿の高速道路開通で但馬楽座の温泉客の客足が大幅に減って居た。そこで値上げしたら更に落ち込む。と心配している。が一般客600円だろうか?会員制の切符で常連客600人登録している。高齢者会員券提示で300円である。最近客足が増えて居る。近くの高齢者、大屋町、養父の町、八鹿の人も養父温泉。

 天女の湯は明日から100円値上げらしいが、値上げ前の今日まで前売り券、5000円で割安になるので、一年分前売り回数券を買う人もいる。万灯の湯は、午前中、かん小鳥が鳴いて居る。だれも11時から入りに来ない。午前中、一般客400円にすれば、高齢者だけでなく。姫路、氷上町あたりから一般客が増えるだろう。高柳八鹿バスパスの開通で一時増えた客足。が最近来なくなっている。スキーシーズンが去った。商売は暇だ、暇だの泣いて居てもはじまらない。積極的に売り込むことである。姫路近郊には良い温泉がない。春日、氷上から一般客を多く午前中に来させる工夫が必要である。

 水戸黄門は自分の商売だけではない。町の監査委員で町の発展策を絶えず考えて居た。但馬広域の監査委員の経験もある。積極的商売がひつようである。消費増税。今こそ儲けるチャンスである。(人の行く、裏に道あり、花の山)株式投資の常道である。が変化の時こそ儲けるチャンスなのである。
消費増税。が、値上げしなかったから違反にはならないだろう。逆に値下げして儲ける手もあるのである。競争に打ち勝つものが世の中の勝者なのである。

3月30日
 朝5時半に起きた。外は雨。傘をさして散歩しかけたが、歩くのを止めた。朝飯の汁を造った。野菜少々、フ、豆腐。わかめの混ぜ合わせ。その他、忘れたが旨い汁を造る。飯は少し、朝から焼酎と言うわけにはゆかない。飯を食べたら昼寝。今日は但馬楽座の温泉にでた。8時半過ぎに出た。11時には家にかえる。缶ビールを飲む。昼飯の後ウイスキーに水、焼酎の水割りを飲む。昼寝。起きて新聞を読む。東洋経済の論文を読む。インターネットで時事評論を読む。世界の情勢は大体つかめる。「大本の出口王仁三郎」を少し読む。「松陰と妹」を読み終えた。4月4日は夢テーブル委員会。お菓子のグループの会合、但馬もりあげ隊」の会合が但馬県民局総合庁舎。11時からある。参加してみようか?と考えて居る。

夢テーブル委員会。のみなさん
 午後遅くなって昼寝から目が覚めたのでパソコンを立ち上げる。メールを開いたらこの間の佐久間さんからのメール。4月5日草谷山荘に昼ごろ。来訪の予定らしい。これで尾崎の聖天さんの旅行取りやめる決心がついた。佐久間さん、よろしくお待ちしています。が私は独身の隠居です。焼酎。缶ビール、酒かウイスキー以外のおもてなしは出来ません。
 食事が必要なら草谷山荘の経営する息子の嫁に電話してください。ホームページにかいています。
変人の水戸黄門は奥の部屋にねています。がなるだけ外に出てまっています。まあ、私の著書「但馬に生きて」は差し上げます。その他、政治、経済評論。山林林業が但馬地方に大洪水を起こす原因になった。過去の歴史認識。などは「但馬に生きて」にかいています。

それじゃあ5日お待ちしています。

 今ょっさんが来ました。四月十八、十九日。春の天理教大祭に参ろうと言う。毎月どこかに旅行しているから、これ幸いとゆくことにした。このホームページの愛読者。ます君も行こうか?が商売を休んでまで行けないだろうな~。従って聖天さんの旅行は遠慮しようか。

「農業特区」に新潟市と兵庫県養父市も 国家戦略特区、発表へ

産経新聞 3月28日(金)10時25分配信

 政府は地域を限定して大胆な規制緩和を行う国家戦略特区に、東京都、神奈川県などの「首都圏」と、大阪府や兵庫県などの「関西圏」、「福岡市」に加え、農業特区として「新潟市」と「兵庫県養父市」を指定する方針を固めた。28日に首相官邸で開く国家戦略特区諮問会議(議長=安倍晋三首相)で決める。

 国家戦略特区は、アベノミクス第3の矢である成長戦略の柱で、首都圏と関西圏は広域特区として指定し、容積率緩和などを実施しビジネス環境を整える。

 新潟市と兵庫県養父市は農業特区として農地転売などの円滑化を図る。福岡市は雇用特区として指定し、ベンチャー企業の創出促進を目指す。この地域のほかに沖縄県が浮上している。

 同日の特区諮問会議では、民間議員から規制緩和のさらなる拡充を求める見通し。



 今日は朝、夜中に目が覚めた。のでビールを飲んだ。夜10時また飲んだ。焼酎もかなり飲んだ。酒も飲んだ。旅行に行って居る時ほど呑んだ。
仕事が無い。暇だから飲む。いろいろとホームページに書きたいが、咳がでる。えらいのである。85歳。伊達に年とってはいないのである。
旅行に行きたいが旅行に行くと銭がいる。まあ、焼酎の水割りと、温泉に這入るくらいで辛抱しようか?と辛抱しているこの頃である。
松陰と妹。をよんでいる。一冊大方読んだ。明治末期の長州藩の動き。吉田松陰の松下村塾。尊王の志士たちの動きが良く分かるのである。
3月28日
 夜2時眠れないから起きた。缶ビールを開けた。旨い。テレビを付けたら夜ドウシやっている喜席。が目に入った。一人でやって居る。
なんぼ貰って居るのだろうか?夜中だから三万円か、五万えんか?銭も請けはえらい仕事である。今日行った和田山から夜久野の売店、シイタケを売っていた。シイタケの炭火焼は美味しい。蕗のとうの炭火やきも美味しい。もうすぐ春が来る。スキーシーズンは終わりました。シイタケの炭火焼、カニの炭火焼き。そして、草谷山荘独特のすき焼き。美味しい。が、水戸黄門は一度も食べられない、隠居様はお客様のところに出られない。から時々旅行して居る。
 四月には聖天さんの小豆島旅行があるらしい。この間、三泊四日で全島回ったが今回は、一泊二日である。寺詣りばかりではなかろう。観光地も回るだろう。また申し込んでみようか?と考えている。小豆島極楽寺。宿泊は面白くない。朝早く起きて御経。民宿に泊まり、朝から旨い魚の料理を食べたい。民宿に泊まるなら行ってもよい。聖天さんに聞いてみようか?水戸黄門の寺詣りは信仰ではない。仏様などどうでもよい。旨い魚を食い。旨い酒を飲み、気らくにバス旅行。適当に歩くと、行く先先の風景が素晴らしい。小豆島は海あり、山あり、人々の人情が厚い。四国の旅もそうである。が四国のお寺は階段が多いい。85歳の老人にはえらい。が、段のしたから拝めばよいだろうが、負けず嫌いの水戸黄門は真っ先に歩く。からえらいのである。

3月27日
 今日、和田山ジャスコ、書店から「松陰と妹」松下村塾の志士。変革の原動力。長州藩。歴史探訪シリーズ。を買った。2015年大河ドラマの世界を最速報らしい。「大河ドラマ」「松陰と妹。」の大河ドラマの映画化らしい。読んでいます。ご期待ください。

3月26日
 四国の高知では桜の花が満開らしい。数年前、高知県の旅でみた桜満開の花嫁、やがて、も但馬各地も桜満開の地方を迎えるだろう。
四国の旅に行きたい。が今すぐとはいかないだろう。たまたま行った時桜満開、花嫁に出食わす、ああ青春。の結果としての花嫁。が、水戸黄門は今更うれしくも悲しくもない。「ちんぽもたたない。」孫が結婚している。一度こや―と、手紙を書き送った。が、来たらまた金がいるだろう。が、生きて居る間に
一度顔を見たいと思って居る。孫は可愛い。が親を通り越して化愛がってはいけない。これが順序であ。
3月25日
 知らぬ間にこ25日になっている。何もせずに25日になったのではない。大本、出口聖師とかいう、王二三郎聖師の本を読んでいたから、書く暇がなかったのである。出口王三郎の月鏡を読み、更に巨人出口王仁三郎。天声社刊。を読んだら、父の考えと行動が完全に一致していたものと初めて受け止めた。出口王仁三郎は幼名喜三郎。といった。生い立ちから貧乏な家まで父の喜三郎と似て居る。

 私の父は17歳のころ、肝臓病で四国88ケ所歩いて祈願して回ったらしい。と、お婆さんから聞いた。母と結婚したのは28歳。そのかん大本の出口聖師と出会い一命をとりとめたらしい。昭和大弾圧で大本教を偽装改宗。天理教。一族みんな天理教。が父は心の底で改宗しなかった。私は天理教に反発していた。父は私の心を見抜いていた。戦後、大弾圧から改修、が時代は過ぎ去って居る。
私は家仏教を守って居る。妻の死、父の死、母の死、すべて仏式である。弘法大師空海。の旅をした。が、真言密教とは、その神はすべて同一の神、仏なのである。「大日如来」とは天照大神。つまり大日如来と同一神、同一仏なのであります。大本教の神も、天理教の神も、天照大神、神神は同一神、の大日如来なのですぞ。

       大本教本部派。の本部。          藤原教の本部。草谷山荘。に雪。
下記「但馬に生きて」は80歳の誕生日にそれまでのホームページに発表していました、藤原文男の思想、をおりおりに書きまとめた思いを宮崎裕子氏。が編集。発表した本です。が、不思議と大本教の出口王三郎聖師の月鏡に書かれて居る思想と似て居ます。私の事を「変人」と但馬を映像で発信する会
木村尚子代表の顧問としている情報発信の住民ディレクター養成講座の岸本さん

がいいました。変人とはなにか?がまあ変人で結構。下記の本を読んでください。

3月21日
 世界の医学、生物学会。か何か知らないが、小ぼ方保子博士論文。疑惑が浮上しています。今、養父市の氷の山国際スキー場。の指定管理疑惑が浮上しているらしい。補正予算も養父市議会で難なく通過らしい。「マックアース」のと言う株式会社か何か知らないが?滋賀県に本社のある会社に養父市市長らしい男が惚れて。奈良尾字の。字要山。のスキー場用地を無償でかしたらしい。養父市議会は、本会議を通過らしい。レンタルスキーのような儲かる仕事もすべてマックアースに事業委託したらしい。


3月20日
山口、角島大橋。下関の旅。

角島大橋。                         大谷山荘3月18日夜泊。
山口県。角島大橋の旅。下関の旅に行ってきました。農協養父市。140名。関宮28名参加しました。
全員元気で帰りました。
3月18日
 愈々今日。出発します。昨夜早くねたら、11時過ぎに飛び起きた。小便をして一時過ぎまで焼酎を飲んだ。横になり寝たら四時ごろ目が覚めたので起き上がり、朝飯。を食べた。五時半過ぎには出なければならない。五時55分出発だが、40分には家を出なければならない。旅行は寝過さないように気を着けなければならないからえらい。


 旨い酒。焼酎が見つかった。九州博多の酒。養父町Yタウン。あさぶん。焼酎の量り売り。「どんどこどん」二升で1980円。入れ物を持っていったら次から200円安くなります。焼酎だけれど癖がない。旨い焼酎です。ぞ。外に出て歩いてみたら急に暖かくなっていました。陽気は春です。早く消え雪。
写真は熊次小学校の残雪。

3月17日。
 愈々明日出発である。まだ寒い、彼岸の中日をすぎないと春はまだ遠い。養父市議会が開かれて居る。市長候補はまだ見つからない。見つかったら直ちに選挙態勢に突入。広瀬市長の断末魔の日も近いだろう。が、まだまだ早い。が水戸黄門はもう、85歳。今更である。関宮町から物色して居ます。
良い候補があります。が、まだまだ発表は早い。大屋町と提携。ひそかに手を打って行く。



3月13日
 朝起きたら、「今田淵やにいるから出て来い。」とメールあり、この花君が田淵やの前にいた。「今日はどこ行く」と聞いたら「浜坂」と言う。車は村岡の役場の前から右折した。暫くゆく、{どこ行くんだ、こちらは神鍋だ。浜坂はあちら」と言う。そこで引き返した。香住の方に行かぬよう。オジロのほうにハンドルを切る。トンネルを抜けると湯村温泉。の手前で工事していた。前にはポリさんの車が赤ランプを回している。追い越すわけにはゆかない。
湯村温泉を過ぎると七釜温泉。そこから右折したら、七釜温泉病院があった。どうやら今日の目的は丹戸のみどりの田淵敏行君の見舞らしい。
何時逝くのか分からないから、生きて居る間に会いに行くらしい。湯村の七釜病院は七釜温泉の中ほどから右折したところにあった。

 平屋建ての奥の長い温泉だった。受付もせずに奥に進んだ。部屋を聞いたら田淵敏行君の部屋が見つかった。「おーい」と声をかけた。大本信者の本部派の神主。である。まだまだ死なないな~。と、水戸黄門は直観した。目がギョロリと光って居た。呼吸器を着けて居る。がまだまだ死なない。もう、五光に予約したらしいが、大本本部にも死んだらすぐ来るように。と、本部派の関宮の人に連絡。葬儀の準備でここに来たが、まだまだ死なないよ。水戸黄門は人の顔を見たら瞬時に第六観が働く。毎年のように楯前をしていた。草谷山荘の敷地造成工事のお祓いは田淵敏行君にお願いしていた。
これで私の気持ちは収まった。まだまだ死なないよ。みどりの田淵敏行君。
3月12日

 田淵君と綾部市の大本の神社売店に行く。神社の機器を買もとめていた。約8万円買う。神機具一式買い求めて居た。田淵君は分派の神を祭る、その御本尊も買い求めて居た。四代教祖を建て祭っている。分派大本の棟梁である。水戸黄門は同じ大本教に属するが、藤原文男教を立ち上げて、そのいわゆる教祖である。その御神勅は「但馬に生きて」にかいています。その他、但馬ふるさとづくり大学論文。ホームページなどに毎日、「お筆先」を発表しています。「人間の生きる道」の独特の教義を毎日ホームぺじに発表しています。これが藤原教の「お筆先」であるぞよ。平凡な毎日を如何に生きるのか。について世の中の人々の生きて行く指針を指ししめしています。わかりましたかなー。

 わからぬ人には藤原教祖が直々に指針を指し示すぞよ。
[人間は正直に、横着をせずに一生けん命働け」父の言葉である。「銭も請けの方法は、人が要らないような安い時に買い、値が高くなってから売る。」これしか儲かる方法はない。儲けようと思って買っても儲からない。儲けずに、要らぬ金を川に投げ捨てる、のがつまり投資なのである。欲を忘れて、銭を川に投げ捨てる心。が大切な投資の心である。欲を捨てること、無念夢想の「さとり」に達するとき平和心がうまれるのである。つまり、無念夢想の心境が欲、得を離れた藤原教の真理なのであるぞよ。

 つまり藤原教とは世界中の宗教を見て回り、その良いところばかり寄せ集めて、創立した世界一の教えなのである。が、銭儲けを目的としていないのである。信者から一銭も頂かない。与えない。慈尊自律、福沢諭吉の精神に立脚している。哲学を基本としています。が、キリストやイスラムの教えではない。水戸黄門の家には昔から、恵比寿さん、天照大神、が祭られて居る。すすけて居る。明治以前から祭られて居た。仏壇。大本教の神、奈良尾の村の神社。など、そして世界中旅をした。集めた諸々の思想、宗教の哲学書。新聞は赤旗。佼成会報。朝日新聞。神戸新聞。東洋経済、毎日のインターネットの情報。テレビ、など世界中の情報を毎日集めて居る。

 そうした根拠の情報の中から教祖の哲学が発表されているのである。つまり、人の造った宗教は信じない。あくまで自分の頭で考え、現在の世の中に適する思想を創造する。全くあたらしい教えなのですぞ。神に依存しない。自分の事は自分でする。人のことより先ず自分が人のお世話にならずに生活する。が、何時かは動けなくなるだろう。が、その瞬間まで毎日温泉。温泉は身と心を清浄にします。まあ、今日はここまで。また書きます。



 「大屋の町にはジャが出るそうじゃが、嘘じゃか本じゃか知らんじゃが」子供のころから大屋の町には「じゃ」と言う言葉が流行って居た。七歳のころ長男の私は初めて大屋の栗の下の母の家に歩いて行った。出会いから轟きを越えて、じいが墓から天滝、大屋の筏まで約二時間の峠を越えて、母の家栗の下についた。母の母は長男の私を喜んで迎えた。その父も「ふみ―来たか」と暖かく迎えた。母の下には長男の弟、その養子の女の子がいた。
弟は嫁と二人で鳥取大学の前でうどん屋を始めた。戦前の話である。そのうどん屋の家に私の弟は下宿し、鳥取大学を卒業できた。長男の私は何回か栗の下につれて行かれた。義理の父であることが分かったのは戦後、のことである。母の父は日露戦争で戦死した。再婚して栗の下に嫁した。

 現在の大屋町、西谷村は横行き、若杉、栗の下。仲間、イカだ。などてある。イカだに小学校があった。栗の下の小畑家は西谷村では一番の名門であった。八鹿高校の校長をしていた模様。その分家の小畑家も様よばわりされて居た。名門の新宅である。山林も多く田もかなり集めて居た。祖父は炭焼きでよく稼いでいたもよう。
 その義理の父は奈良尾まつりには毎年来てくれた。私の父は義理の父を大切にして毎年親籍付き合い、結婚式、祭り、法事など付き合って居た。
「飯は腹一杯食われるか、やー」母の母は質問していた。七歳のころと言えば昭和12年、支那事変戦争のはじまったころである。父は毎年のように田んボを買った。五反百姓では飯が食えない。柳を作り、朝仕事から夜遅くまで働いた。母は毎日文句を言いながらも父を支えていた。昭和初年から農村恐慌を経て、戦争がはじまった。今も父の夢を見る。母の夢も見る。なぜだろうか?大屋町栗の下は母の故郷である。今も栗の下の従兄弟が元気に暮らしている。時々その噂を聞いて居る。その従兄弟を生んだ母の親籍、従姉妹の家が分かった。大屋前町長、元町長の家らしい。暇があったらまた行ってみたい。
3月11日
 今日は東日本大震災。あれから三年すぎている。が、私たちの村には直接の被害はない。むしろ阪神大震災のほうが、大きく影響があった。
あれからもう20年近く過ぎて居る。が日本の政治経済に与える影響は大きい。

 朝四時に起きた。ら除雪車のライトの光が眼に這入る。何時までも大雪の降る年である。昨日食べた夏カンが美味しいので切って食べた。
元来果物は食べないが、美味しい。これからは毎日食べようと思う。
下。佐久間維美さん、豊岡河川国道事務所副所長。中谷席次さん、藤田智子さん、石原さと子さん他のみなさん。
出席者のなかには大勢智人。下雅意満。宿南登、中安さん、世良純一。太田博章。浮田君、西谷昭徳、
草出の西上君が県民運動推進協議会。事務局として課長として出席。八鹿長寿の郷にて。8日

3月10日
 今年の雪は必くどい。3月に入っても毎日雪が降る。この調子だと四月まで雪が降るだろう。この間の夢テーブル委員会。[藤原さま、昨日、ワークショップでお世話になりました佐久間です。早速ブログを拝見しました。84歳とは驚きました。藤原さまのお話を聞いていると人生を楽しまれていると感じます。草谷山荘にも訪ねてみたいと思います。その節は、ワークショップの続きの話を聞かせてください。}と、メールをいただきました。ありがとうございます。
が、当分死にそうもないが毎日がエライ。生きて行くのがエライ。午前中万灯の湯。かえり焼酎を飲む。パソコンを開く。
後一週間で角島大橋、長門湯本温泉の旅である。大谷山荘泊であるる親睦旅行のメンバーがよい。農協旅行は家の前から車に乗り、のみながら帰るまで呑み放題、の旅であるから気楽だ。腰が痛くなるので、腰に貼る膏薬が必要であるが、長い山口県の突端の旅である



3月8日
但馬夢テーブル委員会。

太田君か、夢テーブル委員会。お菓子のグループ。左は私たちのクループ発表。
3月6日
 但馬楽座の温泉に入った。杖をついて歩いてくる常連のおじいさん。まだ80歳らしい。元気そうだ。万灯の湯は「ありがとうございました」と挨拶しない。と言う。そう言えば銀行に行っても「ありがとうございました」と、声が聞こえない。水戸黄門がツンボになったからだろう。
8日9日の聖天さんの西国旅行は取りやめにする。ゆけば5万円支出いるから、財政赤字を食いとめるための緊急の措置である。その代り、但馬県民局主催の夢テーブル委員会に8日午後出席予定である。平成26年は田淵君も参加したら本格的な但馬山地の観光事業開発の先進的な提言のりイだ―としての活動を展開したいと考えて居る。

 但馬山地の観光を再度検討するグループを但馬中から集めて、本格的なグループ活動を進める。但馬の観光を刷新する最後のチャンスでもある。世の中に怖いものはいない。自分の利益を考えない。強きを挫き、弱キを助ける水戸黄門の精神をむき出しにして活動を始める。幸い但馬県民局には草出の西上課長がいる。多くの知り合いが県民局にいる。兵庫県の本庁の中には隣のふるさとの息子、護君が県税を集める課長である。多くの仲間が県庁の中に居る。夢テーブル委員会。夢を追う。明日の夢を語る委員会。が但馬中に鳴り響いて居る。のである。政治を動かすのはてこの応用である。
奈良尾、この時期に最後のご奉公。水戸黄門
3月5日
 「認知症を生きる」東洋経済3月8日号。認知症とはなにか?。の解説である。85歳。徘徊。村をぐるぐると歩いて回る。徘徊である。あの家は何をしているのか。あそこの家は何をしているのか?水戸黄門に聞けば毎日見て居る。がこれを徘徊というのだろうか?が水戸黄門は見て居る時は覚えて居る。が、後で聞いても何も覚えていない。痴ほう症の徘徊である。が、することが無いから暇つぶしに徘徊しているのである。
銭が入ったらしいので、但馬信用金庫から五万円引き出した。暇つぶしに聖天さんの西国33ケ所、の旅がある。3月8日ー9日の旅である。。但馬県民局の夢テーブル委員会。土曜日8日の午後あるが、そんなの面白くもないから、聖天さんの旅に行って見ようかと、にわかに思いだしている。また明日になってから考えよう。徘徊である。
 水戸黄門の徘徊は毎日温泉にでている。徘徊である。関宮の但馬信用金庫から金を引き出し、下の方に出ようとしたらバスが先頭にいた。指示器をだしたら先頭のばすが待ってくれました。咄嗟に車を前に出した。上の方から車は赤信号。誰も来ないから、下の方に指示器を切り替え進んだ。バスの運転手さんありがとう。右手を挙げて合図して進んだ。高齢者マークは勿論、年取った水戸黄門の顔が読み取れたのだろう。ありがとう、バスの運転手さん。死ぬまで忘れないよ。が明日はもう覚えていないだろうな~。
水戸黄門のホームページは、左翼の思想である。地底のうた。平林たいこ。林文子の放浪記。そして明治文学の、石川啄木、哲学ではああ忘れた。ギリシアのアリストテレス。共産主義など世界中探しても今頃無い。中国も早く豊かになる所から銭も請けしよう。と、鄧小平が講和してから急速に資本主義経済の国が発展しました。社会主義など今頃どこの国の哲学をひも解いても、そんな国はないのである。今日はここまで。水戸黄門の講座でした。
3月3日
雪が降って居る。まだまだ冬だ。3月8日は夢ーブル委員会が但馬長寿の郷である。この会議に出席予定の為、西国33ケ寺の旅には行けない。
但馬県民局の会合を優先したい。日本の聖域。偽装の国。「選択」編集部、新潮社刊。1470円送金。但馬信用金庫。

私はクリミア情勢ではロシアを支持しています。民族自決。世界の注目はクリミア情勢であ。

 【ワシントン=小雲規生、モスクワ=佐々木正明】ロシアのプーチン大統領は1日、ウクライナへのロシア軍投入の承認を上院に求め、上院は全会一致で同意した。プーチン氏は同日、オバマ米大統領と電話会談し、ウクライナ南部クリミア半島だけでなく親露派住民が多い同国東部への派兵を示唆した。露政府は否定しているが、欧米メディアは、ロシア兵とみられる集団がすでにクリミア半島を支配下に置いたとの見方を伝えている。(産経新聞)


3月2日
 養父市の評価。賞味期限の切れた養父市長。次の選挙は選挙基盤はガタガタ。だからもう今回限りだろう。
其処で水戸黄門が評価してみたい。今養父市議会が開かれて居る。その中から次の市長の人物評価をしてみたい。先ず、水戸黄門と同じ名前の藤原議員。水戸黄門ほどの天下の副将軍にはならないだろう。ちょこちょこと職員に質問しているが、後について居る日本共産党の看板を降ろさないと、選挙には勝てない。時代が違う。部落解放運動華やかなりしころ日本共産党で当選したときがあるが、今は時代が違う。其処で公明党の大久保の田中君。は、細かいようなことばかりほぜり上げて居る。まあ公明党の議会議員くらいが、性にに会って居る。

 議長している高柳のだれかさんも賞味期限が切れて居る。今更市長など狙うより、もう一度議長を狙うほうが、しょうに似合って居る。
消費税の事で関宮出身の西垣君に問い詰めて居るが、可愛想に。が財政課長の西垣君は堂々と答弁している。藤原議員の質疑に杉本健康福祉部長もしどろもどろに答弁している。まあ、東京から来た部長さんよ。早く農林水産省に帰られたほうがよろしいよ、こんなところで副市長になっても、市長選挙など打てないだろう。し、選挙は選挙違反は覚悟の上。だから早く帰って衆議院か、内閣補佐官でも狙ったほうがよろしいよ。

 副市長さんよ。次の市長など狙っても、地元の村の区長か村長か、村に長年の貢献がないと、選挙の時村が総動員での個別訪問。の選挙が出来ないと、養父市長の当選は不可のうですよ。まあ、次の市長選挙など色気わ出さずに、サラリーマン副市長で今の市長わ支えたら、退職金わもらい次の仕事を探した方が無難ですよ。
水戸黄門は賞味期限の切れた次の市長候補を物色しています。
2月28日

今日28日はハチ伏せスキークラブ。研修会だったのでスキーに上がった。いつもの宿で昼。ビールの研修会。やまなみ、太田垣君。浜坂のナントカクン。スキークラブの面々が集まってきた。今日は八北にはゆかなかった。高丸のリフト斜面ばかり滑った。11時ころ休憩した。が誰も来ないのでもう、帰ろうと、林間コースを大久保の空まで滑り降りたが、やまなみの会長の顔が見たくて、またリフトに乗った。ら皆さん喜んでくれた。6月にスキークラブ50周年の記念パーていを開きたい。と言う。上記の日程は聖天さんの旅行に行く予定です。
三月には養父市内の農協旅行に行きます。ひょっとしたら、聖天さんの旅行。3月8日、9日。西国33カ寺の旅に行くかもしれない。旅行キチ害。

 私が初めての選挙に立候補したのは、昭和56年。51歳春だつた。何も知らない、関宮町議会議員。長村勇夫、藤原広之君に勧められた。福定の清弘さんを議会に出ないか?と話に行ったら逆に、君が出たら?と勧められた。選挙は、地盤、看板、カバン。だと言う。君ならすべて大丈夫。と勧められた。一晩寝て考えた。妻に話したら、猛烈に反対された。釈迦も、キリストも、一人の信者から布教を広げていった。
 勇夫君が熱心に勧めた福定の弘之君も勧めた。一週間後に届け入れが迫って居た。急きょ立候補したのは、関宮町議会議員届け入れ、の一週間前。だった。後は、福定の藤原清弘さんの指示に従った。清弘さんが選挙責任者となった。すべては清弘さんの指図だった。

 私の下の田淵貴志松氏。が公明党の議員を辞表していた。その後を受けて立候補した。関宮町創価学会のほとんどが応援してくれた。天理教、も熊次地域の人々も、大久保の同志も、奈良尾、福定、丹戸の人も、梨が原、草出、外野の人たちも、川原場、小路頃、別宮、葛畑、、そして出会。関宮町全域の同友会の友人。が応援してくれた。選挙の結果7位の275票だった。激戦の選挙だった。あれから35年経過している。選挙。ほどイヤナマのはない。が、選挙が近づくと血が燃えてくる。養父市長選挙にクロクの選挙事務所に毎日出て、選挙の方法を教えた。広瀬市長は選挙の浦側を何も知らない。
 自分一人で当選したように思って居る。八鹿の小山の娘の父が一生けん命応援していた。その前まで、小山の町長選挙に区長をしていたから選挙責任者になった。ら、見事当選。その隣の元町長が何回も立候補していた。が、こともあろうに佐々木県議が立候補したときにも、市長選挙に出てきた。
娘の家は佐々木さんとは、おぐらタイルのお婆さんが姉妹だった。大屋町の元町長の家ともお婆さんが姉妹の間柄。それ以後隣のオリンピック選手の元町長とは縁が切れた。九漉の広瀬の家とは同じ寺らしい。と、言うような間柄で広瀬栄を応援したらしい。

 選挙とは支持が縁戚で広がる。当選三日後に当選祝いを但馬長寿の郷で開いた。私が金をだして、その宿を切り受けて、但馬で映像を発信する会のメンバーと、後援会長の栃下君。広瀬本人。と一泊祝賀会を開いた。その写真をホームページに載せたら田淵君があくる日、「もろ刃の剣だ、消せ」と言ってきた。が私は消さなかった。逆に「但馬に生きて」の本にその写真を載せた。多くの人たちが読んでいる。二回目の選挙、次は無投票当選を目指して、映像発信に努めてください」と声援を送った。

 選挙の方法を水戸黄門がすべて教えた。が、無投票当選したら、自分の実力で当選したように思って居る。が、次の選挙に立候補しても後援会の組織は全滅している。二度とふたたび立候補は出来ないだろう。でたら落選間違いない。と、風評である。大屋町の母の実家は前大屋町長、その前の町長の家と親籍らしい。今回の聖天さんの旅行で判明した。私は母の親籍の後援会長の押す候補を落選させていた。ことになる。いとこは広瀬が立候補したとき、何も私に話さなかった。八鹿の娘の父の押す広瀬の応援に走った。親籍。選挙は血の血脈の戦いである。
佐々木良友会。も血のつながりの選挙だった。

明日はハチ伏せスキークラブ研修会。行くつもりである。

2月27日
 『日本の聖域 偽装の国』の本注文した。雨、明日は晴れるだろうか?午前中温泉に行く予定。天女の湯にゆく。

 天女の湯に這入る。八鹿農林。大幹線林道事務所に努めて居た人と、風呂で話した。平成9年に退職しました。77歳。と言う。大幹線林道氷の山線。奈良尾福定などよく知って居る。現職の仕事士だろう。八鹿の中学校の近くです。と言う。大幹線林道。氷の山開発反対ののろしの政治の世界はあまり知らない。現地の職員だろう。この大幹線林道を、氷の山頂上通過から引きずり下ろし、福定から奈良尾村の土地を通過、関宮、安井、鵜縄の上から、安井峠か、癌蔵の下から大段平まで、更に大屋の横行の谷を越えて、播州戸倉峠に至る氷の山林道。この林道の御蔭で奈良尾村、福定村は今日のスキー場造成。村に日が差してきた。この林道の建設に最初着目したのは、万久里の井上町長である。兎余曲折を経て氷の山開発はなされたのである。私の一生は氷の山開発であった。
午後は国会質問、を聞いた。いろいろ様々な考えにもとズク質問である。
2月26日
 今散歩していたら、丹戸の勉君とばったり顔を合わせた。顔色が良い。「元気だな日は長くないか」と声をかけた。毎日忙しいと言う。一人暮らしの勉君である。去年の秋、いえを改造して便利な家にした。元気だ。88歳くらいになるだろう。内の親父とお竜さんとは従姉妹くらいだうろ。だからまっ皿他人ではない。昨日、八北にすべりに行ったらハチ高原まで帰って来たら、「28日に鉢伏せスキークラブの会合に上がってください。昼ごろおがってきたらよろしい。」と言う。天候が良ければ上がる予定である。が天気はどうだろうか?28日朝鉢北に滑りに行き、11時過ぎに帰ろうか?と考えて居る。明日は雨だろう。三月を迎える聖天さんの西国33カ所参り、3月8日、9日の旅である。琵琶湖の竹生島、宝厳寺はまだ行っていない。ので行ってみようか。と考えて居る。費用は3万円である。まあ、三月になってから申し込もう。
2月25日

2月24日誕生日である。
君の行く道は、果てしなく遠い、だのに何故、日が昇とき、君は行くのかそんなにしてまで。
木村さん、今日はありがとう。50年前。はじめて準指導員に合格した日の思い出を書いて居ます。苦節6年。30歳からスキーを始め、妻と子供を養いながら、民宿創業。毎日スキーの芸術に取り組んだ30年間。36歳で合格。51歳で関宮町議会議員に立候補当選。以後17年間。そしてパソコン、インターネット。世界の旅10数年。しらにしの吹く頃。「但馬に生きて」創刊。今日84歳の誕生日。ノーらの訪問でやっと落ち着きました。皆さん元気でやっていまして安心しました。メールアドレス。携帯では旨く書けません。ので。
 運転免許証を貰いに出る。木村さんのノーらに行く。温泉は出石の乙女の湯に行く。午前中大勢のお客が来ている。400円である。みんな400円である。名前など書かせない。養父市ないだけというケチなことでは商売は流行らない。みんな400円にすればよそからのお客がもっと増えるだろう。出石は豊岡に近い。出石の町に近い。が万灯の湯は八鹿氷の山インターから10分で来れる。氷上、姫路、八鹿、村岡、神鍋などのスキー客をもっと呼び寄せる方策。400円をすべての客に。そして午前10時からの営業にすればもっとお客は増えるだろう。名前など書かせない。営業方針の大転換が必要である。


2月19日
 万灯の湯に這入る。午前11時。外湯の小枝に小さな小鳥が来た。温泉は温いので小鳥が出てきた。今年はじめて見る小鳥である。しばらくしたら飛びたった。温泉に入ったまま見て居た。今度は二羽飛んできた。がすぐに飛び立った。春だな~。との予感がする。いつもの今滝の親父が入ってきた。高柳の秋田から嫁に行った家の親戚かもしれない。水戸黄門には愛想よく挨拶する。が、他人には挨拶も者も言わない変わり者である。最近万灯の湯に毎日来ている。但馬楽座にしばらく行っていたが、万灯の湯が気にいったもよう。大屋町市場のちょぼ鬚の男が入ってきた。阪神大震災で家が焼けた。
大屋の市場に住んでいるらしい。神鍋の下のほうからいりに来る人もいる。昨日は天女の湯に入った。一昨日は但馬楽座に入った。
何所の温泉も入ると気持ちがよい。寒いのにスキーなど行くより温泉がぬくもる。ああ天下泰平である。歴史発見。織田信長。東洋経済。人口減少の真実。徳川将軍15代。をよんでいる。オリンピックは宮本武蔵の真剣勝負であ。スキー芸術を求めて滑った。若き日。が思い出される。

 最近、小説を書いてみようか。と考えて居る。題材は、「和田幹夫とその時代。」「氷の山国際の夜明け」「歴代の関宮町長選」「和田幹夫の生きた時代」題材は私の頭の中にある時代小説である。「昭和から平成の時代に生きた和田幹夫」関宮町議会に立候補。する以前に日本陸軍に徴収されて満州に派遣された。敗戦。ソ連に抑留されてソビエトの奥地につれて行かれた。そこで徹底的な革命思想教育を受けた。和田幹夫の家は三宅では大地主だった。が戦後の農地革命、農地解放の嵐の中で農地は解放されていた。が残された山林で炭焼きをしながら共産党の細胞を組織したらしい。
多くの同志が関宮町改革の細胞が生まれた。彼は意を決して関宮村の議会議員に立候補した。

 熊次、関宮村の合併運動の結果、関宮町が生まれた。
三宅に生まれた和田幹夫は継母に育てられた。父は旧関宮村議会議員。村長などの要職をしていた模様。三宅の村の真ん中に土地がある。
山林は農地解放されなかったので、戦後戦争から帰国すると炭焼きをしながら青年団運動。共産主義革命の細胞などの活動を始めた。
議会議長をつとめて合併後の町長選挙に立候補した。が、相手は万久里の井上清だった。選挙に負けてまた立候補した。次は助役の西垣が出てきた。激しい選挙戦の結果、三宅村と大谷村の決選となった。が遂にまけた。次の選挙は見送った。西垣町長は二期務めて善譲。が選挙が始まると関宮村挙げて谷本を応援した。日本共産党、同士の谷本だった。三宅と関宮の村との戦いとなった。選挙の結果漸く和田幹夫町長がその椅子についた。

 次の選挙は漸く無投票。三期目出たがまたまた尾崎の男が出てきた。が漸く当選。が尾崎の男が1500票集めて居た。和田幹夫はそして四期目の選挙。またまた五名の立候補者が現れた。和田幹夫、谷垣、西谷、尾崎の男、和田悦男。五名の立候補。が和田幹夫、和田悦男。二人が同点。ついにくじ引き。それでも運が強くてくじ引き当選。四期16年の和田幹夫町制が行われた。この歴史は私は和田幹夫町長誕生の翌年から関宮議会に出たので印象が強い。それらの歴史的事実を詳しく書いてみようか。と考えて居る。がまだ生きて居る人たちが多いのでどのように表現するのか難しい。

2月17日
 夕べ夜中から下痢がはじまった。原因は食べ過ぎらしい。昨日昼、牡蠣を食った。夕食に白菜、豚の煮たのを鍋一杯食った。焼酎の水割り、腹一杯食った。夜なかに三回起きた。下痢を止めよう。と外国旅行の薬を一つ飲んだら下痢が止まった。朝天女の湯に浸かる。帰ってから昼飯を食った。その前に出会い診療所により薬をもらう。が。下痢止めはよく効くから。と話したら整腸剤をくれた。昼飯を食ったら少し早かった。のでまたしても下痢がはじまった。
 劇薬でもいた仕方ない。外国旅行に行っていたころの丸薬をまた飲んだら、下痢は止まった。ウイスキーを少し飲み昼寝していたら起こされた。
出てみたら但馬信用金庫が紙に署名捺印させられた。何故だと聞いたら、養父市の有線テレビの申込だつた。そういえば昨年11月ごろ有線テレビのホームページに加盟もうしこみしたことがあった。ら、金が毎月3000円自動払となるらしい。が、そんなのもう少し考えよう。と、捨て置いたら、有線テレビが印鑑を押さして毎月3000円儲けようとする魂胆である。からもうひと考えしよう。と捨て置いたことがあった。

 水戸黄門は85歳、今更ホームページのふあイル転送に有線テレビでもあるまいと、ほって置いたら、毎月3000円。年間三万6000千円自動引きである。まあ、毎日ひまだからふあイル転送に暇が掛っても今までの方法で辛抱しようと思う。ので断った。水戸黄門のホームページの画像は皆さんご存じの如く、数百枚のホームページ画像である。養父市の有線テレビのホームページなど足元にも及ばない。先進てきなホームページであると、自画自賛している。まあ、三万六千円ももったいないから、但馬信用金庫の職員が、それなら廃棄処分にします。と、書類を没にした。



2月24日
 藤原文男誕生日である。
人間の生まれるのは10月と10日らしい。逆算すると前の年はの昭和4 年四月ごろ。私の父が酒屋の出稼ぎから帰り母と交尾したのだろう。変な逆算であるが、父は毎年奈良の酒屋に出稼ぎしていた。大和の酒屋と言う。丹戸の角野君の父が酒屋の親父をしていた。私の父は頭をしていたように聞いて居る。12年間大和の酒屋に酒造りに出稼ぎしていた。太平洋戦争のころには大和の酒屋を辞めて、灘の白鶴酒屋に出稼ぎしていた。ように記憶している。丹波の親父は度胸があった。出稼ぎしていた。
氷の山国際スキー場を私の柳畑、わさび畑をすべて提供して造った。あれから30年の歳月がながれている。今年83才の誕生日を迎えた。少しもうれしくはない。明日は天候が良ければ氷の山国際スキー場に滑りに行ってみようか。

但馬木曽路の歌。作詞、岡村夢村。作曲、酒井喜久男。村岡の歌の代表たかもとさん。提供
1、そよ風さそう  杉木立ち
 但馬木曽路にコブシ咲く、朝つゆ踏んで みつふさ峠
 子牛が誰かを  呼んでいる
2、 出会いふれあい  久須部川   
   美方シャクナゲ   花畑
   おじろ娘も      薄紅つけて
   うれし恥ずかし    雪の肌
3、 雪のふるさと      ぜひ一度
   和牛の里も      雪化粧
   青春          燃える   花吹雪
   おじろスキーの奥但馬
 


父の言葉
「人間は正直に、横着をせずに一生懸命働け」が私の父藤原喜三郎の何時も毎日の言葉であった。
その父が私の心の神様です。人を騙すより、騙される立場のほうが幸せです。

 関宮町関宮の安木酒造の社長の草谷山荘の息子の嫁に対する馬鹿暴言。面罵事件に対する調査はすすんでいます。まあ、そんな男の言葉はほっとけ。と、関宮町の有力者はいいます。皆さん、このホームページを読んだ皆様。安木酒造の社長に知らせてください。まだまだ多くの関宮の有識者にこの事実を伝えてゆきます。恩儀知らずの若者に。が大変な豪勢な旦那さま育ちのお坊ちゃんではある。


11月14日
 今日はこれから四国88ケ所めぐりに出発である。孫を八鹿の駅まで見送り天女の湯に入った。家に車を運転して帰ってきたが、えらい、しんどい。
どつと倒れこんだ。毎日昼寝しているが体がえらい。「ああえらーいなー」が挨拶になっている。何もしていないが体がえらい。朝2時半にもう起きた。
乗り遅れては大変である。いつも余裕を持って何所にも行ってっている。五時出発である。今回は36番から30番までの予定である。

八鹿の駅にて。これが最後の別れか?「これからは、会った時が最後の別れですね」と、昨年妹のいえの父に告げた。あれから一年孫が東京から帰って来た。生きて居る間にもう、会えないだろう。可愛い孫たちの幸せを祈って居る。「幾らもらって居る」と聞いたら「おじいさん20万円にならないよ」と言う、
 「年金掛け金はしているのか?」「かけていない」「傷害保険は」と聞いたがそうした掛け金などしらないらしい。国民健康保険を掛けて居るのだろうか?
短大を出て、憧れの東京に就職、が、東京に飛び出してから美容師の世界に入ったらしい。「資格は取ったか」「美容師の資格は取ったよ」ああそうか、
短い間の会話だった。「郵便局の定期貯金にしとけよ、六か月定期でこれを基に毎月一万円づつでも掛け金をしてゆけよ」と、教えた。「ローンでは物を買わないように、金は貯めてから少しづつ引き出して使うように、絶対ローンを組んではいけないよ」と教えた。
 貧乏なサラリーマンの家に育ち、金の使い方は考えているだろうが、金の貯め方、使い方を僅かな日程の中で教えた。八鹿の駅の電車乗り場まで見送った。「さよなら」と手を振った。本人は気付いていない。これがこの子との別れだろう。高校をでてからの再会まで8年経って居る。後数年も生きられない83才。
 60才で初めて新婚旅行に行った。岡山の孫のいえである。妻とは初めての嫁に行った孫の家である。「おばあちゃんまた来てね」と手を振って別れた。それが初めて嫁に行ったわが子の孫たちとの別れだった。その子が今26才になって居る。良い人に恵まれて幸せに暮らせばよいがと、思いながら、
「また来いよ」と言わなかった。これが今常の別れだろうと思う。
11月12日
 朝五時に起きる。北斗七星を秋になり始めてみる。東ではない、上空より少し東である。夜明けの明星も見える。昨日東京より帰ってきた孫のゆうなを迎えに出た。いつもの養父町のガソリンスタンドで満杯にする。八鹿の駅に久しぶりに出た。寂れて居る。トイレは養父市で造って居るが駐車場がない。駅前の開発を提唱する地元の議員は一人もいない。トンネルができたので車は養父町から和田山の方に流れて居る。八鹿駅前のさびれ方は酷い。

 民間の駐車場は1000円取られる。今日から明日まで置くと2000円取られる。だから八鹿の駅を利用する人はいなくなる。車の時代とはいえ八鹿駅を利用する車はいなくなっていた。土産物売りやは閉鎖している。この近くの駅前駐車場を和田山のように安く置けるようにならないのだろうか?
仕方がないと諦めて居るのだろうか?和田山の駅前駐車場は朝から夜まで置いて300円くらいである。今日から明日の夕方まで置いても600円くらいである。
 2000も取られるようなところに置く人はいない。日高町駅前なら無料の駐車場が一杯ある。八鹿の駅前再開発はまず安い駐車場の整備が必要であるが、地元の人は知らぬ顔。関宮町や大屋町、八鹿の下の離れた地域から来る車の事など知らぬ顔。だから八鹿の駅前はますます寂れるのである。全但バスも無料の車の駐車場の事など知らぬ顔。だから八鹿の駅前はますます寂れてゆくのだろう。

 駐車場の無料化、は氷の山国際スキー場にも言えることである。私が言うように熊次小学校の校庭とプールを埋め立て、近くの駐車場をスキー場で借り上げ、無料化すれば俄然スキー場は活性化する。リフト料金に含めて経営する必要がある。おじろスキー場は全日無料である。神鍋は平日無料、土日1000円である。しかもどこのスキー場に移動しても金は取られない。スキー客は安い方に流れて行く。のである。
11月10日
 今日は但馬ふるさとづくり大学。八鹿の但馬長寿の郷で開かれる。午前中太田ゼミ、私は但馬と日本、世界のスキーの歴史考察。と言う論文を発表する。すでにホームページには発表しています。が公式の論文である。午後は講義、「大石良雄(よしたか)の妻理玖の生涯」を聞く、あと万灯の湯に入り、夕方から忘年会。ハチ高原やまとよ。一泊

 明日は午後東京に行っている孫のゆうなが来るので迎に出る。孫には去年東京に行った時あって居る。「おじいさん、わたしもう25才になっているのよ」と話していた。高校三年の年スキーに来ていた。二級を目指していたが正規の鉢伏スキー学校でなく、家に来ていた人に教えてもらって居た。二級だけは取らせたかった。がその年から専門学校に通い、東京に就職してしまった。いつも気にしている。孫たちである。13日まで滞在の予定。14、15、日四国88ケ所の旅に出る。毎日忙しいこの頃である。
 万灯の湯
11月8日
 朝電話が掛ってきて居た。耳が遠いいからよく聞こえない。が嫁が「お父さん電話」と言う。誰だろうと受話器を取って見ると「神戸の西浦です」が耳が遠いから何回も聞きなおしたが良く分からない。「いつもホームページ読んで居ますが、万灯の湯は12日やっていますか」らしい。「火曜日が休みです」「それでは12日は月曜日ですから、12日に行きます」らしい。私のホームページの裸の風呂屋談義 や文さんの日記。その他をよんでいるらしい。
ありがとうございます。毎日書かねばならないけれど、毎日の温泉や行動が忙しくてなかなか日記を書く暇がありません。このホームページも、プロバイダーへの「フアイル転送」に時間が掛り二日間掛って外国旅行記など大幅に削除しました。二台のパソコンを電話回線で繋ぎ、二つのパソコンに記録する方法をとっていますから、多くの画像の削除にも暇が掛りました。画像容量が大幅に増えて居ます。中なか重くてフアイル転送にも時間がかかります。
漸く国内の問題だけに絞りホームページを短くしました。また書きます。
11月6日
 衆議院議員解散が迫って居る。特例公債法案。定数削減法成立。オバマ大統領再選の公算。

 話は変わるが万里の長城八達嶺で凍死。20年前北京を訪れた時、11月の万里の長城は寒かった。スキーの服ソウを準備していたからよかったものの、同行の栃下さんは風邪をこじらせていた。あんなに寒いところは初めてだった。スイスの4000M以上の山や、パキスタン中国国境4700Mも寒かったが。零下15℃の猛吹雪のハチ高原で毎日スキー学校の生徒を教えて居た私は旅行に行くときには耐寒の服ソウは忘れずに持参していた。旅行に行くときには耐寒の予防の服装持参は常識である。暑い砂漠の国に行くときの服装。寒さに対する服装。予防の医薬品持参。どんな国からも家に帰れるだけの銭をパスポートとともに持って行かなければならない。あらゆる対策をたてて外国旅行に行かなければならない。同時に苦境にも耐えられる準備と備えがなければ旅行など行くべきではない。83才にもなるともう旅行はいかない。四国遍路の旅くらいで辛抱している。気楽な気持ちで観光旅行など行く者が阿呆なのである。死にに行くような阿呆な観光旅行はするべきではない。
11月2日
 葬儀発生。妻の従姉妹の母、つまり別宮の慶子さんの母、明日葬儀10持から五光葬儀場。今日午後別宮に上がって見る予定。夜は運転が怖いからでない。色々な会議や会合と重ならないからよいだろう。

但馬史研究会豊岡仏像研究視察。
10月30日
 朝4時半過ぎに起きた。今日は「豊岡の仏像を巡る」秋の探訪である。いつものように丹戸の村を歩く、西には満月が沈みかけて居た。中秋の名月だろうか?夜明けの明星が見える。秋、若いころ10月の終わりころから11月中旬にかけて柳刈りが始まって居た。朝、前日刈った柳を負いに氷の山の畑まで歩いて行っていた。朝は星影を踏みながら働いていた。夜は比較的早く切り上げて居たがいつも朝仕事をしていた。柳刈りは毎年の仕事だった。
その柳の話がこの間、中嶋宮司が語りかけてきた。私の著書を丁寧によんでくれていた。「豊岡の柳商人」の話がでていた。「杉の植林」の話もされていた。「但馬に生きて」を丁寧に読んで栞りを付けて居た。私は本に一杯線をいれて本を汚すが奇麗な本のままそこにサインを書いた。

 今日は豊岡の仏像を見に行く。じばさん。9時30分集合
東楽寺。国指定の重要文化財。の四天王。
文常寺聖観音立像。(国指定重文と県重文の二体)
帯雲寺十一面観音立像。県重文。
野垣。十一面観音立像(県指定)
四時解散。
 写真を多数撮ってきましたが詳しくは平成22年発行の但馬ふるさとづくり大学研究レポートの最後のページに「仏像の研究」藤原文男。12ページ写真と解説を載せて居ます。私の10数年間世界の旅で研究した仏教の起源から仏像の変遷の歴史。と、但馬の仏像を載せて居ます。
最後に訪れた帯雲寺、丸山川から少し山手に入り、小高い土地に帯雲寺があった。木造十一面観音立像。そばに毘沙門天像二体あった。

    帯雲寺の木造十一面観音立像と、         庭園
寺の年取った坊さんが案内してくれた。裏にはには小高い山を背景の庭園があった。良く整備された寺は檀家の人たちの協力で整備されていた。
歩いて居ると廊下に「毛沢東」の書籍が並んでいた。老僧が丁寧に案内していただいた。ありがとうございました。私は家に帰ってから文化財「但馬の錦」を開いてみた。この本は外野の西本仏壇さんから寄贈を受けて居ました。東楽寺や、慈等寺、文常寺、などの仏像の写真はすべて記録されていました。ありがとうございました。
10月28日
 朝八時でるからと、メールが入る。この花君が出てきた。但馬県民局に勤務していた「岩手旅行」に書いて居た小野寺君が今月いっぱいで岩手に帰るらしい。ので一度会いたいという。「今日、上野の里山の森公園に県民局から応援に来ているから会いたい」と言う。和田山で散髪。はさまじの里山公園に行ってみた。小野寺君は子供たちを遊ばせる掛りをしていた。大ぜいの子供と、親たちが遊んでいた。鉄板でラーメンや肉などの昼飯を作って居た。
此処で昼飯を食うわけにもゆきそうにもないので近くの食道で飯を食う。

 ここの里山公園には多くの養父町市民や市会議員が来ていた。元町長の朝倉さんも来ていた。「朝倉です。あなたも町会議員にでていましたか?それならソフトボールを一緒にしていましたね」と言う。毎年養父郡の議会議員が連合のソフトボール大会を開いて居た。私は玉拾いくらい、元来野球は大嫌い、スキーは一人でどんどん滑れるスポーツだから、人が打ってる間見て居るようなスポーツは姓に会わない。と、スキー以外のスポーツには興味がわかなかった。

 と、朝倉町長は確か梅谷と戦い選挙で敗退。したように記憶するがもう、20年も前の事だろう。共産党の藤原議員を押していたらしい。吉井稔議員の顔も見えた。養父町の観光スポーツ広場に億円の金を投入と、何時かの新聞や議会の報道を聞いて居た。どうせ日本の国の税金で造ったのだろう。が、経営は養父市の大きなお荷物がまた一つ増えた。ここからの収益は一切上がらないだろう。人件費は養父市の税金から支出するのだろう。ここの支配人の若者が居た。非常勤の職員らしい。「東京の方から来ました」名前は良いが不安定な仕事である。可愛想に。カメラを一生けん命撮っていた。

青  春

サミエル・ウルマン

青春とは人生のある期間を言うのではなく心の様相を言うのだ。優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情熱、怯懦を却ける勇猛心、安易を振り捨てる冒険心,こう言う様相を青春と言うのだ。年を重ねただけで人は老いない。理想を失う時に初めて老いがくる。歳月は皮膚のしわを増すが情熱を失う時に精神はしぼむ。苦悶や、狐疑、不安、恐怖、失望、こう言うものこそ恰も長年月の如く人を老いさせ、精気ある魂をも芥に帰せしめてしまう。年は七十であろうと十六であろうと、その胸中に抱き得るものは何か。曰く「驚異えの愛慕心」空にひらめく星晨、その輝きにも似たる事物や思想の対する欽迎、事に處する剛毅な挑戦、小児の如く求めて止まぬ探求心、人生への歓喜と興味。

人は信念と共に若く
人は自信と共に若く
希望ある限り若く 
   疑惑と共に老ゆる
恐怖と共に老ゆる
失望と共に老い朽ちる

大地より、神より、人より、美と喜悦、勇気と壮大、偉力と霊感を受ける限り人の若さは失われない。これらの霊感が絶え、悲歎の白雪が人の心の奥までも蔽いつくし、皮肉の厚氷がこれを固くとざすに至ればこの時にこそ人は全くに老いて神の憐れみを乞う他はなくなる。

原作 サミュエル・ウルマン  訳詞 岡田義夫


中国密教、弘法大師空海の研究

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