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][13.]http://www.hachi-hachikita.co.jp/
index.htm へのリンク 「円山川の源流、但馬山地のジオパーク」から自然環境の改革を訴える
ジオパークの研究


氷の山遠望。鉢伏山頂上から望むDSC01954
左氷の山 右鉢伏山
はじめに
国を挙げての拡大造林の時代。
今年の平成9年夏の台風9号は作用町では多くの命を失う被害が起こりました。朝来市でも、豊岡市でも多くの被害が起こっています。その被害の状況や但馬山地のジオパーク、自然環境の改革を訴える前に、過去造林に一生懸命だった私が始めての関宮町議会一般質問で行った質問要旨を述べてみたいと思います。本文のまま記載しました。
私も当時、森林林業育成の先頭に立ち、人工林育成のため議会や森林組合の指導者として植林に毎日精力を注いでいました。私が議会に出た頃の森林組合は毎年赤字でした。その原因は何処にあるのか?作業班員の年間雇用制度を導入しました。そのための各種保険制度の導入を進めました。安定した就職を求めて多くの専門職の作業班員が年間雇用者として集まりました。そうした小さな努力が雇用の確保と人口減少の歯止めに多少でも貢献したことは事実です。又、関宮町の予算も造林、保育、新植事業に多く投入しました。その結果、赤字経営の関宮町森林組合は、合併まえには5000万円、の預金を生み、黒字経営に転換することが出来ました。
当時の日本は世界経済のなかでも最高の時期を迎えていました。多くの外材が入る中での更なる拡大林業を政策として掲げ、多くの予算を投入してきました。私も議会議員と関宮町森林組合の代表監事など、関宮町の財政経済と林業振興の先頭に立って活動していた頃です。こうした拡大造林林業が、過剰生産を生みました。
昭和56年9月21日、第192回定例議会一般質問。{注、56年4月初当選後、二回目の本会議}藤原文男。
森林行政について。拡大造林と保育の徹底、人工林率南但地域で関宮町は最低の42%を向上のために、質問。
1、「森を治めるものは国を治める」去る8月25日に行われた関宮町森林組合通常総代会に於ける町長の名言でございます。「家を治むる者 は国を治む」と は徳川家康の言葉でございます。町長の言葉もどうせその当たりから引っ張り出した言葉のような匂いがいたします。今後 町長は森林総合整備事業、間伐促進総合対策事業、拡大造林と保育の徹底のを期するために森林行政に積極的に取り組む意思があるのかどう か?お伺いいたします。{注、ここでの町長答弁は省略します}
2、本年、森林総合整備事業の網をかぶせられた3、210ヘクタール以外の地域は来年度その指定を受けるといいますが、果たして8、36 6ヘクタールに及ぶ関宮町 全域に対しましてその指定を確約できるのかどうか?また中核林業振興地域育成特別対策事業は昭和53年指定 を受け、公民有林8353ヘクタールの内 林業振興の見込まれない地域、スキー場等}を除いた7、507ヘクタール{約90%}に対し て林業振興の基本となるべき事業計画の樹立を行ったということではございますが、スキー場等の地域即ち846ヘクタールの地域とは何処 を指しているのかお伺いします。{注、答弁は産業課長、省略}
3、熊次地域にもこの網をかむせるよう配慮されたい。また、森林総合整備事業は、その団地地域が5年間に80%以上の事業を達成しないと 補助金を返上しなければならないとも聞くが、その辺のところを説明して頂きたい。{注答弁産業課長省略}
4、関宮町の森林は人工林率42%で南但地区では最も低く森林の有効利用が遅れている。林分も6令級以下が71%占めている。人工林とし て植栽された森林は現在間伐期にあり、早急に除伐、間伐の必要がある。小径木の需要の減退とコスト面で採算が取れず、多くの山林は放置 されているため林道の開設、機械の導入、および動労力の確保が必要である。と、過疎地域振興計画書には誇らかに書かれています。尚また 、55年度予算の執行実績に関する説明書によりますと、林業従事者は年々減少と高齢化の一途を辿っていますが、山林業務の重要な課題と して、労力の若返りと作業の安全性、省力化を図る必要があります。とも、書かれています。さて、ではどのような方法で以上の難問題を解 決しょうとされるのか?具体的な説明をお伺いしたい{注、産業課長答弁省略}
5、森林組合と生産森林組合との違いと、役場に手続きすれば生産森林組合をつくれるようにしてはどうか?プロの森林組合作業班だけでは、 この膨大な森林総合整備事業の達成は困難ではないか?拡大造林と下刈り保育で現在の作業班は手一杯となる。従って何処にでもいる百姓の 有給労力を活用する小グループの生産森林組合を、役場に届け出さえすれば作れるようにして、この事業の早急な達成を図ってはどうか?
{注、産業課長答弁省略}
6、人工林率南但地域で関宮町は最低の42%であり、昭和53年20ヘクタール新植を行ったものが、昨年は7、0ヘクタール548万50 00円の工事 であり、更に本年度の予算は、5、0ヘクタール、420万5000円の工事であります。来年度の新植予算はこの状態で行 きますと、段々と先細りになりそうでございます。人工林率向上のために、来年度予算に向けて、産業課長はどのように努力されるのか?{ 注、産業課長答弁省略}
7、昭和55年3月発行の関宮町総合振興計画によりますと、近年外材輸入の増大による木材価格の低迷と、労働力不足により、林業経営はき わめて困難な状況にある。と、嘆いています。事実また、人工造林面積や丸太生産量の動きを見ましても、それらの原動力である林業就業者 数の変化を見てもこの十数年来減少の一途を辿っています。反面依然として外材の輸入は激しく、日本林業全体が大きな打撃を蒙っておりま す。そうした非常に緊迫した苦しい木材需給の中では ございますが、現況の事態に一喜一憂することなく百年の大計の中で、森林総合整備 事業、間伐促進対策事業を最大限に利用し、更に拡大造林を図り、雇用の促進を図るべきだと思います。造林債、返済予算圧縮の中での林業 振興は可能かどうか?「森を治めるものは国を治める」と、広言を切った町長に来年度以降へ向けて林業の育成、伐出、製品消費の拡大に対 して、森を治め更に関宮町を治めようとする意欲があるのか、どうか、
注、町長答弁ここでは 省略}
{注、この当時は拡大造林事業が行政の仕事でした。}
一般質問と質疑について
ここで一般質問と質疑について説明しておきます。一般質問とは年四回の議会本会議で質問できるのですが、質問要旨はあらかじめ提出し、答弁を求めるものです。が、質問とは分からないから質問するのではなく、すべての質問と答弁の結果を予測し、旨く自分の目的とする政策に行政側を誘導する誘導尋問のようなものです。答弁する側もよく研究している課長や町長は滅多に誘導尋問に引っかからないですが、議会本会議の一般質問は議員と行政側の決戦場なのです。三文議員は分からずに質問し、答弁を聞いて「ああそうですか分かりました?」などと引き下がれば、現在のように有線テレビで議会の質問現場が映像で映し出されていると、視聴者の失笑を買うことになります。
質疑とは、提案された議案に対し質疑します。この場合はぶっつけ本番、質疑には何が飛び出すか分からないので、答弁する側は周到な準備で答弁を予測して議案を提出する必要があります。養父市議会などでも質疑の状況が有線テレビで映像が映し出されています。が、頭の良い議員か、頭ののろい議員かが映像を見ているとすぐ分かります。映像発信の時代には議員の服装、よれよれのワイシャツやズボンなど、有権者にすべて映し出されています。質疑は提案された議案のみ質疑できますが、旨く誘導尋問で、他の問題にも答弁を引き出すことが出来ます。一般質問はあらかじめ提出した行政上のすべての問題を質問することが出来ます。
私の林業体験と経営
山で林業に従事することは一瞬の油断もすきも無い、何時襲うか分からない獣や、蛇、マムシ、ハチ、の襲撃を警戒していなければならない。その上、山道はよくすべる。足が木や石につまずく、私は、20町歩の山林を育てて60年以上過ぎました。然し、木材は金にならない。その間の生活費は、投資した金と家族の養育費は、他で稼ぎました。まだまだ当分収入になる見込みは有りません。私が生きている間に、売れることはないだろう。山は私の命である。森づくり、森林林業の事業は長く、森林組合の役員としての活動も20歳のころからでした。日本の林業の発展と、山で働く人々。森つくりは100年の大計なのです。
昭和20年、私は初めて2ヘクタールの山林を買いました。当時の金で10万円でした。サラリーマンの月給が2000円くらいの時だったろう、高いのか安いのか分からないが、家の裏山だから買いました。栗林が多く松も少し生えていました。勿論当時は毎年のように物価がインフレで上がる時代だでした。栗の木は切り出して家の材料に使いました。従って当時の民宿増築時代には栗の木を土台や柱材料に使っています。栗の木は雨にぬれても何十年たっても腐らないです。鉄道の枕木に多く使ってます。たる木も全部栗の木を使いました。山の木を切った跡地には笹や雑技を一本一本鎌で刈り取り、杉の植林を行っていました。炭焼きをして跡地に杉の木を植えました。昭和25年ごろ植えた杉の木は今60年たっています。
毎年40日以上、下草かりをやりました。議会に出てからは、暇さえあれば枝打ちに取り組みました。小学校の運動会にも行かずに杉の木に登りました。2mの梯子を3本繫ぐと6mの上に立つと更に手を伸ばして枝打ちをすると約8mの枝打ちが出来ます。二間丸太が二本取れるところまで枝打ちをしました。鉈で手を打ったら手を離しました、瞬間に6m下に転落しました。あるいて30分かかる山道を走って降りました。15分くらいで熊次農協の事務所に駆け込んだ。ら、救急車が迎えに来ていました。顔中血まみれの形相になっていたから驚いて職員が電話してくれたらしいです。八鹿病院に救急車で乗りつけたのは、生まれて初めてのことでした。
雨の降る日は合羽を着て枝打ちをしました。花粉が飛ぶ日も私は枝打ちをしていました。顔中杉花粉が降りかかるが、一生懸命枝を打ちました。私の林に入ると綺麗に枝打ちをしているから、林全体がすべて見渡せるように、徹底的に枝を打って行きました。森林組合はほとんど頼まず自家労力でやると補助金はもらえないが、自分の林の手入れに補助金など考えもしなかったです。林の手入れや枝打ちは楽しく、時間が短く生き甲斐のアル仕事でした。自分の代には金にならずとも、何時か金になるだろう、と楽しい毎日でした。

氷の山大段平から頂上を望む
氷の山の広葉樹林
氷の山にも戦後杉の植林がなされました、が、標高が高く、杉が育たず、下刈り作業も放棄し、そのため数十年の間に雑木が生い茂り、広葉樹が全山に広がりました。ブナや、みずなら、とちのき、などの広葉樹で、其のため毎日休むことなくこんこんと、綺麗な清水が氷の山国際スキー場の中腹に湧き出ています。今になり「氷の山の自然を守る会」の偉大な功績を自覚しています。コンコンと湧き出る奈良尾村の氷の山の清流。これが何ものにも変えがたい村のただ一つの財産です。氷の山、後山、那岐山国定公園に指定されましたが、那岐山、後山は頂上付近まで杉やヒノキの植林がなされています。大仙は国立公園のため杉の植林は少ないですが、蒜仙にも杉の植林が多くなされています。戦後の指導者がこぞって水源涵養林養成のため行った杉、ヒノキの針葉樹を今後、広葉樹に変えてゆく政策が必要だと私は考えます。それにしても植林王国、宍粟郡、波賀町の国有林が全山紅葉樹が残された事に敬服しています。
氷の山の広葉樹を守るため大幹線林道建設にに反対した、自然保護団体の先頭に立っていた関宮部落の『中島さん』は大幹線林道が氷の山の頂上付近を通ることに反対していました。当時大久保部落は夏山観光が発展期にあり、頂上付近を林道が横切ることに反対していました。当時関宮町役場の産業課長をしていた中島さんは、自然保護団体と提携し、地元の反対運動を組織化しました。運動の結果大幹線林道は奈良尾逆水地区を通過し現在の路線に決定しました。 日本の国を挙げて杉やヒノキの針葉樹林への転換が水源涵養である。との国策でした。
但馬の山々や、河川と海
氷の山、
1510mはひようのやま、ヒヨウノせん、すがのせん、須賀の仙、しかのせん、鹿の仙、四カ国仙、などと色々な呼び名があります。私たちは「ヒョウノ山」と呼んでいます。奈良尾の字帳には昔から「四カ国仙、しかのせん、」「ヒョウノ山」と書かれています。然し、普通は「ひょうのせん」と呼ぶのが一般的です。また、この呼び名は1510mの最高峰だけを指すのではなくこの峰から四方に伸びる全ての山の総称でもあるのです。氷の山は死火山ですが、鉢伏山も含めて、大きな火山湖があった水際の痕跡か?氷の山の北斜面、奈良尾村から見える方に二段の崖線が続いているのも一つの謎です。
鉢伏山は遠くから眺めると、鉢を伏せたように見えることから、鉢伏山と名づけられたものです。頂上が大鉢と小鉢という二つの峰に分かれており、三角点は大鉢の方にあります。鉢伏山も死火山です。鉢伏山は「八伏」とも書けるし、この山を源に「八木川・矢田川」が流れ、村の産土は「八千鉾の神」、JR「八鹿駅」(養父市)、鉢伏山の南側には鳥取県の「八頭郡」等、「八」の字に関係のある地名が多く、また但馬の竹田城址は「虎臥山」、綾部の本宮山は一名「桶伏山」といい、大本にも神縁の深いところから、「鉢伏山」も何か神秘的な因縁があると考えられた。地元古老たちからは毎年旧正月元旦に、鉢伏山頂に火が灯り、頂上には不思議な形の岩があるなどと聞かされていたので、昭和20年3月20日実地調査をする事となる。
古老の言う「こっとい(牡牛)岩」をはじめ「みろく岩」「大亀岩」「牛伏岩」「虎伏岩」等々を発見。「鉢伏山は、太古、日本海底の最深地点、龍宮の大黒柱の立っていたところで、地殻の大変動によって爆発隆起し、現在のお山を形造ったものである。
氷の山、後ろ山、那岐山国定公園の中心がこの氷の山です。氷の山国際スキー場から東尾根を登ると歩いて三時間くらいで氷の山の頂上に登れます。頂上から向こうは鳥取県です。天気の良い日には大山はすぐ其処に見えます。朝早く登ると雲の上遥かに加賀の白山が見えます。木曾の御嶽山も見えます。瀬戸内海も見えます。 日本海も見えます。氷の山国際スキー場から広域林道を登れば、大段平駐車場{1200m}此処から約1時間半で氷の山山頂1510mに登ることができます。 但馬の山々が皆見えます。鳥取県の山陰海岸の浜はすぐ其処に見えます。この氷の山を中心として扇の仙や岡山県境の後山、そのほか中国山脈の山々が但馬地方を取り巻いています。氷の山、後山、那岐山国定公園となっています。
この中国山脈の山々を境に日本海に面した方には冬になると、シベリア大陸から吹きつけた雨や風が雪となり、日本海地方には多くの雪を降らせます。この山脈から南の方は山を越えると雪が降らず雨となり、瀬戸内海に流れています。こうした地形から雪の降る氷の山地方には、ハチ高原や氷の山国際スキー場が出来ています。鳥取県側にも氷の山スキー場があります。
但馬の真中に蘇武岳1074m、妙見山1139m、などがあり何れも千メートルを越える山々で神鍋スキー場があります。阿瀬渓谷の源流は蘇武岳、金山峠ですが西は村岡町に流れ、湯船川、矢田川の源流となっています。白菅山896mは射添渓谷を経て矢田川から香住浜に流ています。三川山888mは左津川にながれていますが竹野川と山田渓谷を経て矢田川に流れています。大岡山652m、矢吹山568m、は竹野川、の源流となっていますが奈佐川を経て円山川に流れています。
一方、円山川の上流には八木川が氷の山から、と大屋川が藤無山1139m源流となっています。また須留ヶ峰1054m、は明延川から大屋川へ、南は建屋川、からと、佐中川を経て円山川にそそいでいます。笠杉山1032mは田路川から円山川に流れています。もう一つ生野高原の上流には段ガ峰がありますが市川から瀬戸内海に流れています。
生野町の銀山湖は市川に流れています。多々良木ダムと黒川ダムは円山川に流れています。粟鹿山962mから遠坂峠、糸井渓谷の東、西、床尾山839mは出石川から円山川に流れています。但東町の三国山577m、江笠山728m、高竜寺ヶ岳697m、法沢山644m、は何れも出石川を経て円山川に流れています。但馬の山々から流れ出る川が日本海に流れています。岸田川は浜坂海岸に、矢田川は香住海岸に流れています。
氷の山を源流とする八木川は丸山川を経て豊岡海岸となり、但馬海岸となっています。これらを総称して山陰海岸国立公園となっています。この海岸線ぞいに城崎温泉、湯村温泉、浜坂温泉があります。海岸線には多くの海水浴場が出来ています。諸寄海岸。浜坂海岸。香住浜、柴山、佐津、安木浜、切浜、弁天浜、浜須井、竹野浜、気比の浜、海水浴場が有る。但馬はこのように山と川と海と温泉に恵まれた自然環境の豊かな地方です。
私が見た世界の林業
日本はバブル絶頂期に世界中から木材を輸入し、南洋材をきりつくしました。が、更に拡大造林を続けていました。マレーシアの木はほとんど切りつくしました。日本の森は輸入材に押されて今、林業は放置され省みる人さえ無い状態であります。私は10数年前にマレーシアの現地を見に行きました。南洋樹林を切った跡地には、ゴムと椰子の木が植林されていました。
ギリシアの山は数千年前から人類が住み着き都市国家として発展していたが、山々の木は燃料や船材料として切りつくされ、加えて、牧畜、放牧で草や木が食べつくされ温暖な気候ではあったが岩肌が露出しています。もっと早くから植林と、計画的な放牧がなされていたら今日の山野の荒廃は無かったであろうと思われます。トルコのアナトリア地方も早くから文明の開けた地方は、森をきり薪にし、人間生活の燃料と牧畜による強度の放牧、草や木をたべつくす放牧が山野の荒廃をもたらしました。有名なレバノン杉といわれるが現在レバノンに杉はほとんど残っていないです。国宝級のレバノン杉が奥地に保存され、もはや木材として利用することは不可能です。イタリア半島に上陸したら、イタリアは雨も多く、ギリシアに比べて地中海気候も受けやすく、山には緑が多く残っていました。山々には緑の山林も栽培され豊かなイタリア、との感をふかくしました。西欧のドイツの林業は良く整備された人工林が多く、適宜に間伐と植樹の転換がなされていました。
数千年の昔、早くから文明が開けた中東の国々は殆ど砂漠化しています。森の木を切り薪し、家を立て、鉄を造り、船を作りました。森の多い国が栄えました。森を切り開き食料をつくり、牧草を作る。放牧でやがて土地は痩せ、木は生えなくなります。まだ牧草が育つ地方は良い、シリア、ヨルダン、イラク、イラン、パキスタン、中央アジアの国々は殆ど砂漠であり、そのオアシスに人々が生息しています。ギリシアのクレタ島も森を切りつくして文明が消滅しました。私は本を読んだ学問や、大学の講義を聴いた学問ではありません。実地にそれらの国を旅をしました。すべて自分の目で確かめた感想の文です。
円山川流域の23号9号台風の襲来被害
私は平成21年9月8日台風9号で被害甚大な朝来町の須留ヶ峰1064mを源流とする佐中川の被害地を見に行きました。大屋町明延から一円電車で神子畑選鉱場のあった神子畑鋳鉄橋も被害を受けた模様でした。植林した杉が根こそぎ道路に地すべりし、大勢の人たちが倒木を引き出し、ユンボで引き出していました。洪水を受けた人家も多く被害の甚大さが、伝わって来ました。一宮町の福知渓谷は、その谷谷の人家や観光施設は全滅になり、多くの人災も発生しています。その上流一帯には生野の大造林地帯があります。針葉樹はすぐ水が表面を流れて河川に氾濫します。広葉樹なら河川に流れ込むのに時間がかかります。広葉樹はダムの役割をします。大きなダムを作る費用を杉などの針葉樹から広葉樹林えの転換が必要なのです。大自然改造計画なのです。
9月8日の神戸新聞にも朝来市新井の円山川にかかる橋脚に、多くの間伐材や倒木などが流出し、泥流をせき止めて浸水被害を大きくした。と、昨日私の見た村落の模様が一面記事に書かれていました。被害が集中した朝来市、宍粟市、作用町、県によると3市の森林約、11万7700ヘクタールのうち、約6割植林された杉檜が占めるそうです。今回の豪雨は短時間に集中、斜面崩壊による土砂に加え、山の木や倒木などが大量に河川に流れ込んだといいます。兵庫県は「橋の欄干などに流木が詰まり、川をせき止めて水が溢れた。{神戸新聞記事}
また県は今回の豪雨で発生した倒木について、二次災害が生じないよう処理を促すため、森林所有者や市町に処理費用を補助する。また、谷沿いの立ち木の本数調整や、根が強い広葉樹への植え替えの必要性を強調。写真や現地の痕跡調査で、流木が発生した状況を調べている。と有りました。{この記事若林幹夫氏引用}
台風23号の時、台風の前後に多くの熊が出没してきました。毎日のように裏山に出没する熊被害を私はインターネットで訴えました。メールを毎日但馬各市の議会や町長、市長、兵庫県知事さんにも送りました。 台風が来ると熊も安全に生息する場所が無くなり、安全な人家の近くに出て、食物をあさったのでしょう。毎日熊被害を訴えましたが23号台風の襲来で、熊被害どころではなくなり、但馬地方の人家や農地の被害が毎日報道されたのは、ついこの間のことです。
台風は、そして風到木が谷沿いに押し出し、道路から河川に一気に流れ込み、橋や欄干、堤防の決壊を招き、田や畑に土砂を流し込み、人家を押しつぶす。ではどうしたらそれらの被害を無くすることができるのでしょうか?今回の神戸新聞に記事として書いていましたが、記者も読者も、「ああそうだったのか?」
「のど元過ぎれば暑さ忘れる」のである。前回の台風23号に苦しめられた木下さんは、山の上に豪邸を建てられました。正解である。今回の台風9号も其処に住んでいたらまたまた床下浸水に見舞われていただろう。が、思い切って家を移転する勇気は誰にも無いだろう。豊岡や日高町の低地の住宅は、移転しない限りまた襲われるだろう。ではどうしたら少しでも豪雨の被害から逃れられるのだろうか?私は一生懸命に考えてみました。
針葉樹林から緑のダム広葉樹林への転換を
私は今後の林業政策は、計画的に皆伐し、伐木、集材、搬送に補助金を出して広葉樹林に変更する。広葉樹は地中深く根を張るため地すべりや倒木が起こりません。従って台風でも一気に河川の増水が防げます。過疎の村が今後活性化します。これ以上の杉やヒノキに補助金を出してはいけません。広葉樹への植生の大転換。30年前から日本の松林には松くい虫が入り、植生の転換が自然になされてきました。松林の後には常緑樹が多く自生しています。特に瀬戸内海沿線を旅をしますと、松林が常緑樹に転換されたのが目を引きます。今年の平成9年夏の台風9号は作用町では多くの命を失う被害がおこりました。朝来町でも、豊岡市でも多くの被害が起こっている。その被害の状況や但馬の山地のジオパーク、岩層の中に深く根をはる広葉樹林への転換。自然環境の改革を訴える必要があります。
戦後、多くの植林がなされましたが、杉は杉花粉を撒き散らし、台風23号や9号の被害に見られますように、風倒木、地すべりで針葉樹は多くの雨を吸収することなく、一気に河川に増水の被害を及ぼす原因になって来ました。木材の価格は暴落し、枝打ちをした杉林をいくら間伐しても線香造林ですから、地中深く根を張る広葉樹のようには行きません。国は下流の円山川の改修工事をやっていますが、源流の山の構造を変えない限り、台風9号、23号がまた来ます。
スギ人工林を広葉樹に植え替えていくことは、日本の戦後における行き過ぎた人工林化を是正するという意味で長期的に取り組まなければならない課題だと考えています。 杉花粉予防のためにも必要ですが、広葉樹林への転換が台風被害防止と目的が一致しますので私が提唱したいのは、計画的に杉の植林を半分に減らす。そのためには戦後60年かけて達成した造林地を今後30年かけて広葉樹林に転換する。その為の、伐木、架線集荷、搬出、木材市場までの運送費、などに補助金をだして広葉樹林への転換を計画的に実施する。そうしない限り現在のような低価格では誰も切、売りしないだろう。広葉樹林への転換が台風23号、9号の被害を将来にわたり予防する唯一の方法である。事を提議してこの項を閉じます。
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