嘆きの壁に立つ筆者 聖地エルサレム、岩のドーム。
シルクロードの旅、
イスラエルとはどんな国でしょうか?
イエス、キリスト誕生の地、ユダヤ教の聖地、イスラム教の聖地、キリスト教の聖地。そして、イスラエル、パレスチナ対立の世界の火薬庫、のように思われています。
私達が飛行機で降りた空港はテルアビブ空港でした。その昔、日本赤軍が銃撃戦を展開して有名な空港です。日本のマスコミは、イスラエルは危険なところだ、と、書きたてています。然し、私が見たイスラエルはヨーロッパ各地よりも、アジアのどの地域よりもあらゆる民族を受け入れている、人種差別のない、中東、アジア地域に類をみない豊かな民主主義の国でした。何故イスラエルに行ったのか? そんな危ないところに何故行くの
?
と、友人も、但馬の多くの人たちが聞きました。
まだ戦火の消えない焼け跡の神戸の町、新開地のキリスト教会の前で始めて新約聖書を買ったのは昭和22年ごろでした。新約聖書とは、キリスト教の歴史小説です。旧約聖書はユダヤ教の歴史小説です。ヨーロッパの歴史や、中近東の文学や思想を知ろうとするとき、キリスト教の思想と歴史がその原点にあります。
私は12年前、関宮町議会を退職しました、68歳でした。後2年で70歳になる。世界地図を開いてみました。

そこにはヒマラヤ山脈がありました。ヒマラヤ山脈に降った雨が大蛇行を重ねてインドのガンジス川からパキスタンに流れています。インダス文明が生まれています。トルコやシリアに降った雨はユーフラテス川からメソポタミア、今のイラク平原に流れています。メソポタミア文明の誕生です。エチオピアや、スーダンに降った雨はナイル川からエジプトに流、エジプト文明が生まれました。

砂漠の国イスラエル
ヒマラヤ山脈を源流として、チベットやタクラマカン砂漠、天山山脈から蒙古高原は黄河の源流だろうと思います。そこに中国の黄河文明が生まれました。世界文明の旅をしようと考えました。その年はヨーロッパから始めましたが、中国、インド、パキスタン、中央アジア、からイラン、シリア、ヨルダン、レバノン、トルコ、エジプトと、世界四大文明の旅は完遂しました。12年間に約40カ国回りました。
議会を辞めました年、ふるさとづくり大学にお世話になりまして、今年で約12年になりますが、その学習会で太田アドバイザーの情報部会に入りまして色々様々な遍歴の後、私はワープロからパソコンに進み、その後ホームページを立ち上げて、旅行記の編集と、世界各地で撮ってきました写真や画像、ビデオの編集、現在DVDの編集が私の道楽です。世界各地の写真やビデオの画像は沢山あります。イスラエルの旅は私の総仕上げの旅でした。是非皆様に一度見ていただきたいと、今回発表させていただきます。
8月9日
朝4時起床、イスラエル旅行の手配書を読む、出発日、帰る日、飛行便の確認、送付資料の点検、荷物、手荷物、危険物、海外旅行保険、名札、パスポート、関西空港カウンターの確認。イスラエルの通貨は米ドルがいいようである。ホテルの中で米ドルなら税金が無料のようである。消費税17%のようである。時差6時間、服装は夏服が基本だが、ホテルや飛行機では冷房が強いので薄手の上着が必要である。
国情、治安状況は「渡航の延期をお勧めします」から「十分注意してください」に引き下げられている。8月15日から{ガザ地区及び西岸北部のユダヤ人入植地の撤去}が行われる、デモ活動は警察に届け出でて行われるようである。ツアーに支障をきたすようなことは少ないだろう、との予測である。

8月15日
朝4時起床、エルサレムについてインターネットに報告する文を書く、
歴史認識が今大きく報道されている。今度私が行くイスラエル、15日パレスチナ分離政策の柱である「ガザ」地区からユダヤ人入植者を全面撤退させる。そのためのデモが起きないか心配であるが、パレスチナ地域からのユダヤ人8500人の撤退はイスラエル紛争の治安の回復を意味する。パレスチナ和平回復を求めて、
世界は平和の回復に向っている。その日、小泉首相は靖国神社参拝を行わず、戦没者慰霊碑に参拝した。若し今、総理が靖国神社参拝していたら、中国は国交断絶、韓国の反発、公明党の反発、マスコミの反発、総選挙では国民、民衆の総反発を受けただろう。自民党は大儲け、株価回復、さあ、次の選挙はどうなるのかなー? 歴史認識、? 夜NHKテレビでは特集を報道していた。水戸黄門は世界の諸国漫遊の旅に出ます。
8月17日
いよいよ、17日朝出発である。血圧を測ると最高138.最低70である。腰いたもほぼ全快、関空夜23時過ぎ、日本を後に飛び立つ、中央アジア、ウズベキスタン、タシケント空港朝四時着、休憩と給油、五時十五分発、イスラエル、テルアビブ空港に着くのは八時三十分の予定であるが、時差が約6時間だから15間くらい懸かる。
一睡もせず、専用バスで地中海沿いに北上、イエス、キリスト宣教の地ガリラャ湖に二泊予定である。死海、にも泊まります。三年前行ったヨルダンに近いアカバ湾にも行きます。日本では選挙、政争の真っ只中、世界遺産とイエス、キリスト、イスラム教の聖地、ユダヤ教の聖地巡礼の旅に出ます。 イスラエルのほぼ全国を回ります。新聞報道と現地との報道の落差を調査してきます。


ガイドの安藤敦子さん。現地ガイドの日本人。信夫{しのぶ}兆平氏。鳥取市出身イスラエル25年在住
8月17日
関西空港で東京から来たガイドの安藤敦子さん、日野桂子さん、{中央アジア、ウズベキスタン同行}昨年中国の弘法大師空海の旅に同行した鈴木英世さんと再会を喜ぶ。兵庫県からは、梶原夫妻、大石真理さんが参加していた。熊本県から雑賀寿子さんが参加、鈴木さんの友人、内田綾子さん、山田隆義さん小児科医。高山軍邦さんは歯科医。スキーの好きな人だった。三橋道雄さん、高橋明さん、片野良子さん、金子美登里さん、総勢15名のイスラエルの旅が始まった。
テルアビブ空港に着いたとき、午前8時を回っていた。途中、中央アジアのウズベキスタン、タシケント空港で航空機を乗り換えた。タシケント空港は世界中から多くの乗り継ぎ旅行客を集めていた。古い宮殿のような建物に待合室があった。飛行機から乗り換えるたびにバスで輸送し、階段にはエレベーターの設備は無かった。ドアも戸を開ける旧式の建物だがその昔はかなり高給なホテルだったような待合室だった。帰りもこの空港の待合室で9時間待たされた。ローマからくる飛行機の出発が4時間遅れたらしい。

東京の日野桂子さん、
8月18日
テルアビブ空港で検問を出ようとしたらガイドの安藤さんが検問に引っかかった。イスラエルに来て始めて出ようとしたら空港の検問は厳しかった。周辺の国々に度々旅行に行っているガイドは特別室に連れ込まれ尋問されていた。現地ガイドのしのぶさん{信夫} と書いて「しのぶ」と読むらしい。今日から10日間、現地イスラエルのガイドとしてお世話になる。それにしても安藤さんが検問から出て来ない、2時間待っても出てこないので国際電話で西遊旅行社から日本の政府を通じて検査官に電話、漸く釈放された。イエメンやリビア、イランなどの国々に行ってるパスポートをみて危険人物と見なされたらしい。テルアビブ空港は、その昔日本赤軍の銃撃で有名な空港である。
私もイランやシリア、ヨルダン、レバノン、エジプトなど中近東の国々には多く行っていたが別段問題ではなかった。やはり75歳の年齢が信用されるらしい。荷物の検査、身体検査は当然だが、外国旅行の検査は致し方ない。やっと旅行が始まった。テルアビブの町に付属する世界最古の港ヤッフオの旧市街の散策。高い丘から地中海が見えた。予定時間は過ぎていたが、一応予定していた日程をこなしてガイドの「しのぶ」さんは簡単な説明をしてくれた。50人乗りの大きなバスに15人乗る。ゆったりとした旅である。イスラエルのバスは高級だ、地中海を北上し港町アッコへ。ヘロデ王が築いたカイザリアのローマ水道橋を見学。アッコ着後世界遺産の旧市街を見学する。ガリラャ湖二泊。

8月19日
ガリラャ湖周辺はイエス、キリスト宣教の地である。マタイ伝に登場する「さいわいなるかな」の一節で有名な山上の垂訓の教会。イエスが説教された礼拝堂が残るカペナウムを見学、受胎告知教会の残るナザレの観光、ガリラャ湖の遊覧を楽しんだ。6時ごろホテルに帰る。今回の旅行は夜遅くまで観光しないので助かる。
みんな高齢者が多いいので夕方は疲れてから何時までも観光しない。早々にホテルに帰る。年の若い人たちと観光すると、次から次えと夜遅くまでバザールの町歩きに付き合わされる。へとへとに疲れる、観光ではない地獄だ。
そのてん安藤さんは無理をしない。5時ごろになると高齢者をホテルに入れる。希望者だけ買い物ツアーに出かけるから助かる。年を取ると夕方5時にはホテルに着き、風呂に入りビールを飲み、ゆったりとした気分で夕食に望む、それが世界の観光である。夜遅くまでお客を引き回す観光は嫌だ。
夕方、「アカバ湾」の近くでテロの爆撃があったというニュースが入った。ヨルダン領あたりからアメリカの施設を狙ったテロらしいが「イスラエル領のアカバ湾周辺も危険だ」と、最大公約数での安全第一のため今回はアカバ湾の手前20kmで引き返し、エルサレム4泊することに決定した。アカバ湾には一昨年ヨルダンの旅で行ってるから行かなくとも良い、と、私は即座に賛成した。地図をみるとアカバ湾には、ヨルダン、イスラエル、エジプト3カ国が国境を接している。
8月19日
死海泊。イスラエル最大のローマ劇場跡、紀元前4000年ごろベイト、シエアンの町が築かれていた。その後ヨルダン渓谷を南下し、荒涼とした台地が広がるユダの荒野を見ながら死海へ、その死海のほとりにローマ軍に追い詰められた最後のユダヤ人が篭城した要塞都市、マサダ。ロープウエイが懸かっていた。
死海が見える砂漠のなかにロープウェイで登る要塞と都市マサダ。ローマ軍に追い詰められたユダヤの民が篭城の後自決した話をガイドの「信夫、しのぶ」さんから聞いた。イスラエルに来てユダヤ人の歴史を見つめなおす機会となった。ガイドの「しのぶ」さんは日本人である。鳥取県の鳥取市出身であるイスラエルに来て25年になるそうであるが日本に残した母に会いに時々日本に帰っている模様であった。もうイスラエルに骨を埋める覚悟で日本人のガイドを務めている、イスラエル通である。イスラエル人以上にユダヤ民族の理解者となっている。
私はイスラエルとパレスチナ人との現地の話が聞きたかった、時々、パレスチナは国家ですか? 一地方自治区ですか?
と、そして現在のパレスチナ政府についての質問をしたが、「しのぶ」さんは「また次の日に話します」と逃げた。遂にパレスチナ人の話は深く聞けなかった。然し、エルサレムの街に来ると、ユダヤ人もパレスチナ人もアラブの人たちもアルバニア人も、世界中から集まった諸々の民族の混合帯の国がイスラエルの国を作り上げていることを実感した。
世界中から迫害されたユダヤ人といっても、純血のユダヤ人などぞんざいしないだろう、何故なら、2000数百年前にイスラエルを追われ、世界各地に放浪の民として散ってゆき、迫害された悲劇の民族ユダヤ人、イスラエル建国とともに、世界中から迫害された避難民が集まった。それがユダヤ人の国を作った。
イスラエルは、すべての流入する避難民を受け入れた。世界中から迫害されたユダヤの民を避難してくる人たちをすべて受け入れたイスラエル。民主主義国である。従って宗教はユダヤ教が多いいが、キリスト教、イスラム教、アルバニア教など「モザイク」のように門戸を開放している。 日本ならこんな避難民を一人も受け入れないだろう。イスラエルは、男は3年間、女性は21ヶ月間兵役の義務がある。そのご男性は51歳まで、女性は24歳まで予備役に服する義務がある。イスラエル国防軍は事実上、国民による市民軍である。西部地方の農村は、キブツ、と言う組織の中で共同生活が営まれている。土地は国有で、資産や生産手段は共同所有である。国民の2.6%が270のキブツに住み、イスラエル農業の中枢であり、キブツは国の農業生産の40%を生産している。然し最近、工業に転じる傾向にあり、イスラエル工業生産の7%がキブツの工場で生産されている。私達が泊まったホテルも「キブツ」経営であった。その広大な敷地のホテルに一晩泊まった。
もう一つ「モシャヴ」という制度がある。「モシャヴ」は販売、供給、設備事業は共同で行うが、約450の「モシャブ」がイスラエル国内にある。総人口の3.9%である。イスラエル国内には「ベドウィン」族が7万人いるが最早遊牧民ではない。様々な民族が入り混じり生活している。エルサレムの旧市街だけでもイスラム教、キリスト教、ユダヤ教、アルバニア教、など様々な宗教と民族が住んでいる。日本人の感覚では理解できないが、様々な生活様式の中でイスラエルと言う国は成り立っているのであり、数千年の歴史を持つ抑圧に耐えて生き延びてゆくイスラエルの人たちに強い共感と、それが本当の民主主義だと私は感じた。国民皆兵、女子も軍隊に勤め、商店街などの入り口には機関銃を持った女の軍隊が警備していました。治安の良い都市国家です。エルサレムに近づいたとき、反対派のプラカードを少年たちが掲げていましたが、警備する警官の指導で秩序正しく行動していました。

イスラエルの農村人口の20%がアラブ人、ドルース族である。豊かな農村地帯はイスラエル北部の地中海からレバノン、ヨルダンに近い地方に点在している。然し、死海からヨルダン渓谷を下ると砂漠地帯が広がる。死海からアカバ湾に近づき、ここから中央山脈をエルサレムに向けて走った。行けども行けども雨の一滴も降らない砂漠の連続だった。砂漠の中の道路も整備されていた。 死海に臨む高級ホテルに泊まった。ホテルの窓から死海の海を望む、死海で水浴を楽しむ人たちを見たが、私は入浴、夕食、一杯飲む。鈴木さんと夜の更けるまで飲んだ。日本から持参の酒を開けた。
8月20日
アカバ湾に行く予定を変更、バスは砂漠の中央山脈を走る。ネゲブ砂漠を北上、聖地エルサレムに向こう途中、予言者、アブラハムゆかりの町、ベエル、シエバの井戸を見る。雨の降らない砂漠の町は深い井戸を堀り生活していた。何よりも敵に襲われたときに生活する水が必要だったろう。はるか下のほうにラクダの大群が来ていた。ビデオで映す。
8月21日
エルサレムに着いた。今日から4泊エルサレムのホテルに泊まる。ホテルを毎日替わることは苦痛である。
同じホテルで毎日暮らすことは楽だ。22日、23日、24日も泊まり、最後の日25日エルサレム発、テルアビブ空港である。毎日エルサレムの町々を見学した。「嘆きの壁」を見た。感動その極に達する。長年の間是非行きたいと憧れていたエルサレム、「嘆きの壁」「岩のドーム」がエルサレムの街の中央に見えてきた。エルサレムの街に近づくと車が渋滞して前に進まなくなってきた。何故だろう?と、エルサレムの交差点でパレスチナ「ガザ地区」から撤退反対派の人達のデモがあるらしい。と、車が近づいたら、撤退反対のプラカードや幟、横断幕を子供たちが広げていた。別段紛争が起こっている様子も無かった。イスラエルの軍隊が見張りをしていた、
パレスチナ人の住むまちまちは軍隊が各所に出て警戒していた。治安状態はすこぶる良かった。日本のマスコミが騒ぐような非常識な行動はイスラエル人もパレスチナ人も起こしていなかった。多くの民族がモザイクのように生活するイスラエル、聖地エルサレムの街は安全だった。

岩のドームに立つ
「イスラエル」とはどんな国だろうか?。イスラエル、パレスチナ紛争、は今世界の頂点にある。テロは何故起こるのか? 中東の中でもイスラエルが建国されてから紛争が起こっている。第一次中東戦争、第二次中東戦争、第三次中東戦争で現在のアラブ諸国とイスラエルをめぐる紛争は収まったとはいえ、イスラエル、パレスチナ紛争は今も続いている。 それは3000年以上も昔、ダビデがイスラエル統一王国を建国した。モリャの丘にソロモン王が神殿を建てた。紀元前965年であった。世界の聖地エルサレム、「嘆きの壁」あるいは「西の壁」はユダヤ教徒の信仰の中心であり、世界中のユダヤ教徒が訪れている。
ユダヤ人は 以後様々な民族やローマ帝国に追われ、破壊された。ユダヤ教徒はエルサレムに立ち入ることさえ許されず、2000年近くにわたり世界各地に離散した。キリスト教発生以前からユダヤ民族は周辺の国々に圧迫された。流浪の民として世界中に散っていった。ヨーロッパ世界、ロシアから中東世界、多くのユダヤ人は抑圧に耐えて資本を蓄え、経済力をつけた。 アメリカ大陸に世界中のユダヤ人が移民し、人口が増え、アメリカの中で強力な財力と知力、政治力を発揮して行った。そのアメリカを後ろ盾にイスラエルに帰り「イスラエル共和国」を建国した。
世界の偉大なイエス、キリストはユダヤ人である。紀元前30年ごろ、エルサレムで生まれたイエスはユダヤ教を信じ、ユダヤ教を教え広め、そしてユダヤ教徒として昇天した。「イエスを十字架にかけよ」。人々が騒ぐ中、茨の冠をかぶったイエス、キリストは、十字架を背負い刑場「ゴルゴタの丘」まで歩いた。イエス、キリストは死後復活した。 その教えは多くの弟子たちにより「イエスキリスト」としてキリスト教の教えの中心に祭られている。キリスト教は聖墳墓記念聖堂がゴルゴタの丘に建っている。
その同じイスラエルの中でイスラム教も発生した。638年、イスラム教徒はエルサレムを包囲攻略する。エルサレムに入城した第二代カリフ、ウマール一世は、神殿の跡地であるこの岩を包み込む巨大なドームを健立した、691年である。イスラーム教「岩のドーム、」「神殿の丘」は聖地として有名である。その聖地に行ってみたいと私は最後の旅行を試みる。

エルサレムの街は、宗教的、歴史的な見所が集中する旧市街。4000年近くの歴史が息づく古都エルサレム。
約1KM四方の城壁内が旧市街となっている。この狭い地域に世界遺産に登録された建物すべてが集まっている。{イエスが十字架を背負うて歩いた道、ヴイア、ドロドーサ」{悲しみの道} ゴルゴタの丘に建つ「聖墳墓記念聖堂」「神殿の丘」「岩のドーム」「嘆きの壁」などのほか、「ダビデの塔」「ダマスカス門」「アル、アクサー、モスク」「フルヴァ、シナゴーグ」「カルド」「オリーブ山」などがある。その歴史遺産をすべて見学できる。
エルサレムの街には四つの民族が住んでいる。キリスト教徒地区、イスラム教徒地区、ユダヤ教徒地区、アルメニア人地区。周囲は城壁に囲まれ、シオン門はアルメニア人、ドウング門、{糞門} はユダヤ人地区、聖ステフアン門、黄金門、ヘロデ門、はイスラム教徒、ダマスカス門、新門、ヤッフオ門はキリスト教徒。狭い地域に其々の民族が共存している。私達はこの城壁の上を歩いてみた。
イスラエルの魅力は多彩だ。聖書の舞台となった土地としてユダヤ教、キリスト教、イスラム教それぞれが聖地としているエルサレム。最近人気の死海エステ、ダイナミックな地球の息吹が感じられる ネゲヴ沙漠、サンゴと熱帯魚が揺らぐ紅海、地中海沿岸のローマ遺跡、北部に広がる豊かな自然など・・・。四国ほどの小さな国ながらたくさんの見どころが詰まっている。
イスラエルを語るとき「モーセ」は神と人との仲介として、また旧約聖書の中でも、新約聖書の中にも登場する。又、マホメットが書いたとされる「コーラン」の中でもモーセはイスラームのマホメットの先駆者であると位置付けている。では、「モーセ」とは何時生まれてどのような人であったのか ? モーセの生涯を読んだが遂に確答は得られなかった。エジプトを旅したとき、エジプトのシナイ山で律法を説いた、との伝説がある。また、ヨルダンを旅行したとき死海の見える「ネボ山」で最後に息引き取ったという遺跡を見た。今度イスラエルに行ったらもう一度モーセについて研究してみたいと思う。

家に帰り、今日はあさからイスラエルから買い求めたテープのDVDを紐解いてみたい。エルサレムの歴史は遠く紀元前数世紀、歴史を紐解くとき何処まで遡れば良いのか迷うが、聖書時代、およそ4000年前、ユダヤ民族の族長、アブラハム、イサク、ヤコブ、が当時カナンと呼ばれていたイスラエルの地に定着した。その地に飢饉が広がり、ヤコブは後に12部族の長となる息子たちを連れてエジプトに移り、その子孫はエジプトで奴隷となった。
数世紀後モーセはイスラエルの民をエジプトの奴隷から解放するため、エジプトから連れ出し、再びイスラエルの地に導いた。彼らは40年間エジプトのシナイ砂漠をさ迷った。そこで一つの民族として結ばれモーセの律法と十戒を得た。モーセは川に捨てられているところをエジプトの王に拾われた。イスラエルの歴史はモーセから始まる。そのモーセはヨルダンのネボ山で死んだと、私はその遺跡を見に三年前ヨルダンに行った。今のように2000年以上昔には国境など無かっただろう、エジプトもヨルダンも、シリアも、イスラエルも当時の人々は自由に交流していた。
ギリシアのマケド二アに生まれたアレキサンダーは中近東アジアを席巻した。エジプトの王はアレキサンダーの後裔、その王女がモーセを拾い育てた。アレキサンダーは中央アジアに攻め込み、パキスタンからインダス川を渡った。そのアレキサンダー大王がインドに渡った中洲の視察に数年前出かけた。七世紀の頃、同じ川を玄奘三蔵が渡ったらしい。
2000年後、世界に離散したユダヤの民はイスラエルの地に集まった。「ユダヤ人」という特別の人種がいるだろうか?世界中に離散したユダヤ民族、其々の地方で混血している。混血していてもユダヤ教を信じる、いや、イエス、キリストを信じるユダヤ教徒が、第二次大戦後世界各地からイスラエルのエルサレムを求めて集まってきた。世界中のユダヤ教徒の憧れと信仰の中心の地、エルサレム、「嘆きの壁」に2005年8月22日。私達は遂に立つことが出来ました。感激だった。多くのユダヤ人が
「嘆きの壁」向い嗚咽していました。

嘆きの壁。
ユダヤ人は戦時中、世界中の人々から差別の目を向けられていた。ドイツのヒットラーは占領地のユダヤ人を600万人虐殺したという、嘘かもしれない、然し、割引しても多くの人たちが殺されたことは事実であろう、祖国を追われた流浪の民が祖国を求めて集まったイスラエル、私は過去数年間、イスラエル周辺の国々を歴訪しました。イエス、キリストが生まれ育ったイスラエル、その中心のエルサレムの丘には、世界中の宗教が集まっています。この国には民族差別はありません。すべての人々を受け入れています。中東地方のどの国よりも豊かな生活を享受していました。本当の民主主義の国です。 そのイスラエルは国民皆兵の国です。成人すると男女兵役の義務があります。エルサレムの小さな商店街の要り口には、若い女の子の兵士が機関銃を肩に、仲間の兵士と談笑しながら警備についていました。私達が始めてエルサレムの街に入るとき、道路は渋滞していました。パレスチナ自治区からのイスラエル人撤退に反対する人達の支援者のデモと横断幕で、道路交通が渋滞していました。然し、警察の交通整理で困難なく渋滞は解消していました。反対派の若い少年が旗と横断幕を掲げて意志表示していました、その後、何らのデモも反対も無く私達のバスはエルサレムの街の通行が出来ました。

「嘆きの壁」
イスラエルの国は平和な治安の最もよい国です。パレスチナ自治区もエルサレムの中にありますがイスラエルの軍隊と警察の指示に従って行動しています。街の住民は仲良く暮らしています。又報告します。
8月27日
家に帰りやっと落ち着いた。10日間の旅だった。イスラエルに行く、行ってきました、、話しただけで、聞いただけで異邦人の地に行くように日本のマスコミに育てられた日本人は言う、そんな国に是非行ってみたい?と、水戸黄門、文さんは考えた。{小泉解散、郵政民営化反対か、賛成か?
}
そんな日本の世情を後に、水戸黄門の諸国漫遊の旅は始まった。イスラエル、テルアビブ空港に着いたとき水戸黄門、こと、文さんはイスラエル政府率いる政府、検査官に何の尋問も受けなかった。帰るときもノーパスであった。イスラエルに着いて私達の専用バスは一行15人を乗せて先ず、イエス、キリスト宣教の地だったガリラャ湖、北上、イエスキリストの足跡をたどる旅が始まった。
ご一緒した高山さんのhttp://www1.seaple.ne.jp/takasun/ホームページです。
8月28日
ユダヤ人とはどんな人種なのだろうか? イスラエルとはどんな国なのだろうか? 多くの日本人はそう思っている。今晩、避暑に来ていた息子の妻の父に、{何故イスラエルに行って来たのですか?。」と質問された。 旅行から帰りやっと一息、写真の整理、ビデオテープの整理、DVDに焼付けが漸く終わりに近づき、イスラエル旅行の話をしたとたんに「何故イスラエルに行ったのですか?} と、質問を受けた。無理も無い、戦争に狩り出され、支那戦線で苦労し、ソ連に連行されずにやっと日本に帰ってきた兵隊にとり、ユダヤ人は敵国人であった。 そのユダヤのイスラエルに旅行に行く、多くの日本人が今でも危険国視している、「イスラエルに行ってきます」と、言うだけで友人も、但馬の多くの人たちも、「そんな危ないところに何故行くの」と、危険視している。 何故だろう、私は志願して徴兵検査を受けたが、出征、兵隊に取られる、後三ヶ月で日本は戦争に負けた。お蔭で戦争には行かずに助かった。戦争は嫌だ。兵隊は嫌だ。戦争に、軍隊に取られた人たちとは基本的に考え方が違う。
戦後いち早く読んだ本は西欧の文学だった。キリスト教の思想、に感銘を受けた。何時かエルサレムに行きたいと考えていた。エルサレムはキリストのふるさとである。そのエルサレムに行ってきました。

岩のドーム
感動。あの始めて見た「岩のドーム」と、「嘆きの壁」は感動だった。数十年来の願いがかなった。ユダヤ民族の祖先はイエス、キリストである。ユダヤ教はキリスト教の元祖である。イエス、はユダヤ教徒として生まれ、ユダヤ教を信奉し、ユダヤ教を布教し、ユダヤ教徒として受難した。そして、イエス、キリストとして復活したのである。色々な学説があるだろうが、今でもイスラエルの人たちはイエスを自分達の信仰の中心に抱いていた。そして、ユダヤ教とキリスト教は同一のキリスト教のように信じている。ガイドの「信夫」 {しのぶ} さんもキリストの新約聖書を片時も放さず説明されていた。
今回の旅でイスラエルの、ユダヤ民族の気持ちが理解できました、イスラエルは素晴らしい近代的な都市国家です。私は中近東の国々をここ数年旅をしましたが、イスラエルは周辺のアラブの国々は勿論、ヨーロッパ以上に優れた民主主義国です。住宅建設も下水道も都市国家としての整備も出来ています。
ユダヤ人、キリスト教を信奉する人々、イスラム教を信奉するパレスチナ人、アルバニア教のアルバニア人ともエルサレムの旧市街には同居しています。様々な民族が同居するエルサレムの街。

治安は日本よりよろしい。イスラエルの軍隊が全面的に治安の維持に当たっています。平和な都市国家イスラエルです。税金は所得税35%以上、17%の消費税をみんな不服も言わずに支払っています。数千年間祖国を追われた「流浪の民」ユダヤ人です。どんな苦境にも耐えて民族の独立と結束のために頑張っていました。
また、世界の人々を広く受け入れています。どんな国から流来た人々も拒まずイスラエルは受け入れています。
イスラエルは、私が近年訪れた周辺の国々は足元にも及ばない生活を享受していました。人口は650万人ほどですが経済は豊かです。隅々まで舗装道路が行き渡り、下水道設備も上水道施設も完備していました。都市国家イスラエルは山の丘に住宅が密集していました。まるで雪山かと間違えるように、山のテッペンまで住宅が出来ています。 一面、砂漠の国イスラエルは水の確保に昔から最大の経費と努力を注ぎ込んでいました。嘆きの壁の地下道も水を保有し、確保するための貯水槽が数千年前から出来上がっていました。パレスチナは国家ではなく一地方組織としての治自政府であり、イスラエル全域の国防はイスラエル軍により維持されている。 以上。兵庫県養父市奈良尾130藤原文男記。2005年9月20日
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