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                       トルコの町で

  
11月28日
 トルコの町で爆破事件が起きた。あの美しいイスタンブールの町でテロ事件が起きた。世界の観光客は慌てるだろうか?日本の政府は、マスコミは慌てている。然し、本当にトルコの人たちがあの事件を日本のマスコミ程心配しているだろうか?と、不審に思う、今、イラクの問題があるから日本のマスコミは取り上げている。然し、トルコの民衆には関係ない事件だろう。トルコとイラクは国境を接している。あのイラク戦争の最中でも平然としていたトルコの民衆、外国の大使館が攻撃されても日本ほど騒がないだろう。
3月18日
3月18日午前10時アメリカ大統領がイラク、フセインへの宣戦布告があった。愈々戦争の幕は切って落とされた。60年まえ日本はアメリカに宣戦布告し真珠湾を攻撃した。つい、この間のことのようであり、遠い遠い昔の夢のようでもある。もう、戦争に反対しても駄目だ。日本はアメリカの側にある。戦いは始めた以上勝たねばならない。後は、戦いが早期に終結することを願うのみである。過去の戦争の歴史がそうであった。マスコミは戦争が始まると報道で利益を得ようと、早期の報道合戦を始める。戦争勝利の旗の波が全世界を駆け巡るだろう。株価は8000円の大台を回復し、有事に強いドルは反発した。
戦争が始まれば軍事株が高騰する。続いて石油株、鉄鋼、船舶、輸送株が高騰するだろう。何時ものパターンである。これで3月危機と云われた決算期を株高で乗り切る事が出来れば、小泉政権は万々歳だろう。議会も農林大臣の問題で審議拒否などやりにくくなるだろう。さて、と、私のトルコ旅行はどうなるだろうか?


3月22日
 私のトルコ旅行の日程が迫っている。イスタンブール空港えの旅客機はキャンセルが続いているもようであるが、文さんは困難な時ほど立ちむこう敵愾心が沸いてくる。怖い所、恐ろしい所、命の危険が迫る所こそ行って見たいのである。現在、予定通りトルコに行く。26日関西空港発、シンガポール航空でシンガポール空港着、同日、トルコイスタンブール着、世界遺産の旅、現在のトルコの世情と、イラク情勢の調査が目的である。  22日のテレビ放送を見ていると、外務省はイラク周辺11カ国に5000人の日本人が滞在ししており、それらの日本人に対し退避勧告をだした。
その中に私が行こうとするトルコも含まれている。
   
イスラーム世界では、イラク戦争に反対する群集のデモが次第に激しくなって来た。イスラーム世界対、キリスト教文明、アメリカ、イギリスの対立。日本の小泉首相は、とんでもない大失策をしでかしたものだ。イラク戦争に勝ってもイスラーム世界との対立と紛争は中東全体に広がる。
外務省の腰抜け役人が、戦争に協力して、日本人の旅行者を危険に陥れるような政策をとり、退避勧告を出さねばならないのである。私が乗る航空機はシンガポール航空だから、シンガポールは今度の戦争に荷担していない、同じイスラーム世界の国の航空機だからトルコ乗り入れは大丈夫た゜ろうと、思われる。が?                  トルコ、
トルコの旅は行けそうである。イラクとトルコは戦争をしていない、戦争しているのは、クエートからであり、イラク北部のクルド人が反乱を起してもトルコは国境の守備はしても、越境はしないし、アメリカ軍の地上軍の通過を認めていない。従ってトルコ旅行は安全である。JTBの幹部の方から電話がかかってきた。今度のトルコの旅どうされますか?と。
私は「行きます是非行きたいです、止めないで下さい。シンガポールとトルコは戦争していません、アラブ主長国連邦共和国のドバイ空港は安全です。其処からイラクの戦争に荷担していないトルコに行くのは大丈夫です」と、トルコ旅行の決行を主張した。後でガイドの松本さんの話では私が是非行くと云ったから行くことになったのです」との話であった。
3月27日
 
8人、10日間。このバスで周る
 関西国際空港を出発したのは午前12時だった。シンガポール空港に着いたときは17時50分だった。
シンガポールの町並み

シンガポールでは、町の案内で船の案内があった。道頓堀川に浮かぶ遊覧船のように赤い提灯の船が市内の川の繁華街を走った。絶景、高いビルディングの林立するシンガポールの町並みをデジカメ写真を撮った。イラク問題のため最初17名の参加者は7名に激減、ガイドの松本さんを含めて漸く一行8名。大阪からトルコ周遊10日間の旅が始まった。
シンガポール空港では厳しい検問と、パスポートの検査、23時50分。シンガポール航空の飛行機は関空からトルコまで美人のスチュワーデスのお姉さんのサービスがあった。関空からシンガポール空港間は満席だったが、ドバイ空港に向こう飛行機は戦争の影響で3分の一位。お陰で横になり寝転んでの旅が出来た。

 アラブ首長国連邦共和国のドバイ空港は国際テロ組織の暗躍する空港、ここでも厳しい検問が行われていた。漸く、ドバイ空港を飛び立った時、機内には10%くらいの乗席率だった。イラク戦争のお陰で飛行機の旅は4つの座席に一人寝のゆったりした旅が出来た。これから飛行機に乗るときは、どこかの国が戦争している時に限る。トルコのイスタンブールに着いたときは27日の朝午前七時五十分を過ぎていた。直ちに観光が始まった。24時間の飛行機の旅だったが、シンガポール美人のサービス、ガラアキの座席でぐっすりと寝ることが出来体力は完全に回復していた。直ちに観光が始まった。
イスタンブールの町

アヤソフィア大聖堂。325年コンスタンチヌス帝によって立てられたがいく度かの火災や修理がなされ1934年アタチュルク大統領によって博物館に指定された。トルコの代表的建物である。聖母マリア、洗礼者聖ヨハネとキリストを表したモザイク、トルコイスラーム装飾。全能の神アッラーとモハメット、彼らの孫達、などキリストとイスラームの世界の融合がなされているトルコである。
トプカプ宮殿、地下宮殿は、イスタンブールの重要な城であり市民の守りの為に建てられた宮殿である。
 そしてヨーロッパ側のトルコ高原を走り、ダーダネルス海峡の船の旅でアジア大陸のトルコのホテルに着いた。ダーダネルス海峡、金閣湾、船のたびは歴代トルコの壮麗な宮殿や城、現代建築の粋を誇る偉大なトルコ、世界を制覇したその昔のオスマントルコ帝国の面影が残っていた。
ここからチャナッカレのホテルに着いたのは午後6時を回っていた。トルコは平和な国である。日本人大歓迎、空港の検問も無く、トルコ側ガイドのカーンさんの案内が始まる。同じバスで10日間のトルコ周遊の旅である。
   3月28日
 
朝4時に起きた。トルコ出発から今日までの記録を打ち込む。今回の旅行にパソコン持参は正解だった。
その日のことはその日に書き込む、五時三十分寝る。七時三十分起きる。出発は八時三十分。ゆっくりとした旅だった。チャナッカレ発、トロイの遺跡を見る。ホメーロスの叙事詩、イズミールの町には夕方着いた。人口500万。トルコ第三の都市である。戦争の危険など全く感じられない。カヤプレステージホテルに泊まった。日本人は一人もいない、観光客は少なく、少し寒いが絶好の好天に恵まれた観光日和だった。8人の仲間とは親しくなり、確実な観光の旅が続けられている。テレビはNHKが見られる。日本のニュースも見られる。予算案国会通過のテレビも見られた。
3月29日
エフェソス遺跡

                                       

イズミールのリッチモンドホテルに泊まる。朝、五時起床、生涯学習のページに日記記録。イズミール発7時30分、エフェソス遺跡観光、アルテミス神殿、聖母マリアの家見学。その周辺の遺跡見学。
エフェソスの遺跡はbC2世紀の頃以前から多くの支配者の城が築かれていた。
bc365年アレキサンダー大王がこの地に進出した。大王がなくなると王の武将リシマコスの時代に移る。
幾世紀もの間に多くの王がこの地にキリストの聖教会堂を健てた。広い地域に城当時の建物の遺跡が残されていた。ハドリアヌス神殿、セルシュウス図書館、大理石道り、大劇場跡、聖母マリアの教会、アルテミス神殿、聖ヨハネ教会堂など当時の繁栄の跡が偲ばれた。

エフェソスから7KMの山に登ると聖母マリアの家があった。紀元34-48年、マリアは聖ヨハネとともにエフェソスを訪れこの地で暮らしここで亡くなったとの説が立てられた。「十字架上のキリストに母の身柄を託された聖ヨハネは彼女をここに住まわせた」といわれている。
1891年、礼拝堂の遺跡が発見された。建物自体はビザンチン時代のものだが、基礎は確かに1世紀のものであった。1892年、イズミル大司教がここを巡礼の地と宣言した。1967年ローマ法王パウロ6世もここを訪れ祈りを捧げている。マリアの家はキリスト教徒はもとより多くのイスラム教徒の訪問を受けている。

  
バス、3時間走る。夕方、バムッカレ観光、世界遺産石灰棚の奇形を見る。その近くのホテルに泊まる。リッチモンドホテル泊。
ここのホテルはヨーロッパのお客さんが多かった。ここで初めて日本人観光客を見る。北九州から来た人たちだった。
今朝、イスタンブール空港でハイジャックあり、トルコの若い男性。すぐ捕まった模様である。人騒がせな事である。
私達の観光にはなんの影響も無い、テレビも新聞も読まない、隣のイラクでは戦争しているらしいが気楽な旅である。日本にいたときは毎日イラク問題を心配していたが、トルコの人たちは隣の国の戦争など我関せず平成である。
3月30日
 

カッパドキア地方のユルギュップ。ムスタフアホテルに泊まる。
朝7時30分ホテル発。カッパドキアまで700キロ。カッパドキアに着いたときは7時30分になっていた。途中、コンヤ市内、カラタイ神学校、やメヴラーナ博物館。の見学。キャラバンサライ見学、シルクロード沿いに点在する隊商の駱駝宿の見学。石造の大きな建築だった。夕方七時半にカッパドキアに着いた。
途中土器の店に寄る。コンヤの町にはメヴラーナがいる。
メヴラーナはイスラム神秘主義と宗教哲学者として有名である。メヴラーナ教団としてコンヤの町に育ちトルコに広まっていった。アラビアに生まれたイスラム教を砂漠の民トルコに広めたメヴラーナは宗教思想家であった。コンヤの町にメヴラーナ思想のメッカとして確立させたのである。
  イスラム世界では最も大きい宗派がスンニ派とシーア派である。またこの二つの宗派をさらに六つに分けることが出来る。ハネフィ派、マリキ派、シャフィイ派、ハンべり派、宗派の誕生には長い時を越えて異なった教団の誕生を、更に新しい宗派や教団の誕生を生んだ。イスラム教団が広がる以前のアラビア、イスラムの教えは、定住農耕民族の社会性を基準にしたものであったと考えてよい。トルコのイスラム教は他のアラブ諸国とは異なる生活習慣をもつ、1000年以上もの長い遊牧民の生活と、女性尊重の習慣は他のイスラム諸国には無い、独特の宗派が生まれている。このコンヤの町でメヴラーナ博物館を視察した。

トルコの旅も峠を越えた。健康状態は異常なし、平和な国、トルコの旅、ガイドの松本さんのお世話で、8名の仲間のチームワークも良く楽しい旅が続いている。ここに来る道々に残雪が残っていた。このあいだ降った雪が残ってるのだろう。遥かな山々には白雪の連山が望まれる。1500mくらいから上の山々だろう、3000mの山も見える。トルコにはスキー場もある。夏の黒海沿岸では午前中海水浴、午後は二時間くらい走りスキーが楽しめるそうである。
昨晩は韓国のツアー客も多く来ていた。ヨーロッパの観光客はイラク戦争など気にしていない。ヨーロッパは戦争反対である。従って戦争の危機を感じていない。戦っているのはアメリカとイギリスだと考えているのだろう。
3月31日
 3月最後の日になった。首都アンカラ市、ホテルスルメリに泊まる。カッパドキアの観光、カイマクル、ウチヒサール、ギョレメ野外博物館の見学。昼食は洞穴のレストランで名物料理クルクルフアスレ{豆の煮込み料理}を食べる。おいしい料理だった。首都アンカラに着いたのは夕方7時になっていた。カッパドキアは火山の噴火で出来た奇岩と奇形の山々であった。其処に地下の町があった。紀元2000年の昔から外敵から自分達の種族を保護するために地中の岩石を掘りぬき、地下都市を作っている。其処に数千人の人たちが住んでいた。生き残るために何千年の苦闘の歴史が刻まれている。感動だった。トルコの人たちは非常に友好的な人たちである。
隣のイラクでの戦争など町の空気には微塵も見られない。平和なトルコの人たちである。観光客が激減して困っている。日本の皆さん平和なトルコの旅に行って下さい。

4月1日
アナトリア文明博物館を見る。首都アンカラの町に泊まった。アナトリアの歴史世界屈指のコレクションとして、旧石器時代から近代まで貴重な品々が年代順に配置されていた。
新石器時代、銅石器時代、初期青銅器時代、アッシリア植民市時代BC1950-1750年頃。古ヒッタイトと、ヒッタイト帝国時代、新ヒッタイト王国BC1200-700年。フリギアBC-1200-700年など多くの作品が陳列されていた。これらの写真を撮ったが暗くて良く分からなかった。ここで写真集の本を買った。
                                      
アナトリア博物館を見てからトルコの首都アンカラの町で、トルコ建国の父、アタテユルク廟の見学をしました。トルコ独立戦争で勝利し、トルコ共和国を樹立した初代大統領の慰霊が祭られています。多くのトルコの学生や民間人、世界中からの観光客が訪れていた。トルコ独立戦争の映像は印象に残った。
4月2日

                            世界遺産サフランボルの町で

トルコ風呂について、
 トルコ風呂と言えば日本では風俗営業として変な見方が一般的でした。この間トルコのサフランボル世界遺産の町に行きました。「トルコに来たんだ一度話の種にいって見よう」ガイド女性の松本さんの勧めもあり行きました。
  日本円で風呂だけ500円、垢すり500円。トルコはイスラーム世界ですが比較的解放的なヨーロッパムードが漂う国です。トルコ人はモンゴルと、中央アジアとギリシア、ローマ人、アラブ人な数千年間に混血した他民族国家です。
トルコ風呂の入り口は、男湯と、女湯は別べつの家の入り口があった。中に入る。髭面の大男のクルド人らしい男が裸で腰巻をしていた。金を受け取り、脱衣所に私達日本人3人一室に着物を脱いだ。
 大きなタオル一枚くれた。浴室に入って先ず驚いた。大きな三畳くらいな八角形の台の上に髭面の大男が三人寝ていた。「今日は」私は笑顔で三人の中に横になった。一緒に行った平野さん、吉田さんも台の上に横になった。
何か分からない言葉でクルド人が話しかけてきた。「どこから来た」と言っているらしい。「ジャパン」と、私は答えた。
 顔だけでなく胸から腹まで熊のように毛が生えていた。クルド人の特徴だと後でトルコガイドのカーンさんの説明であった。店のクルドの大男が入ってきた。私は小さな腰掛に座った。右手をタオルで擦った。左手と腕の辺りを擦った。体全体を擦り終えると頭から「ザーッ」と、何杯も湯を掛けた。その間15分。今度は吉田さんの番だ。トルコ風呂には日本の様な風呂は無かった。台の上で蒸す、背中が熱い、暫く寝ていると汗が出てくる。
  汗が出てから垢すりである。蛇口のある湯で頭から湯を流す、それだけで1000円である。大阪のニュージャパンの風呂はお姉さんが台の上であん摩してくれ頭から尻まで洗ってくれて4000円位だ。
トルコ風呂は「髭図ら」の怖そうな大男のクルド人、「これなら1000円でも高いな」私達は風呂を出た。
世界遺産の町、サフランボルの石畳の町並みを歩いて宿に帰った。木造住宅の部屋、隣のイラクでは戦争が始まっていた。クルド人はトルコ人とは全く違う民族である。髭が多いのがクルドの特徴です、熊のように背中一面髭の生えた人も居ます」カーンさんの説明であった。
 ニッコリ笑ったクルドの人たちは私達が入ると別の部屋に行ってくれた、歯だけが白かった。裸の付き合い、これも国際交流である。私は何処の国に行っても日本語で話しかける、日本語を世界中に広める、英語より日本語を世界の共通語にする、これが私の方針である。
 日本人は世界に毎年1500万人も出かけている。英語など使う必要は無い。トルコの町を歩くと日本語で話しかけてくる人たちが多いい、「日本語で話しかけてくる人たちは警戒しなければいけない」と、言う、私は別段気にしていない。外国に行ったら日本人は日本語で話しましょう。世界中を日本語圏にしましょう。世界を制覇したイギリスのように

サフランボルホテル出発、イスタンブールへ。
 途中アバン湖に立ち寄る。アバン湖の周囲はまだ冬、スキーが出来る状態だった。トルコの娘達と写真を撮る。トルコの平和な農村の風景を眺めながら、バスは90キロの速度で走っていた。トルコの人たちはアメリカの大統領を嫌っていた。フセインの悪口はあまり言わない。ラムズフヱルド国務長官がトルコ訪問したらしい。アメリカとトルコの中が少しは好転するだろうと期待している、ガイドのカーンさんの話であった。バスはイスタンブールに着いた。グランドバザールの見学をする。凄いバザールだ、ウズベキスタンのバザールも凄かった。その国の民衆の購買意欲が感じ取れる。ホテル、ヒルトンに着いた。イスタンブール最高のホテルだろう。窓からボスフオラス海峡が見える。明日はこの海峡のクルーズ、ヨーロッパ大陸とアジアを結ぶボスフオラス海峡。午後一時三十分イスタンブール空港から帰国の旅の予定である。
4月7日
日本に帰って
 イスラームの文化を求めて。パキスタンから中国ウイグル自治区共和国、中央アジア、ウズベキスタン、カザフスタン、トルクメニスタンを訪ねた私は、昨年の秋、ヨルダン、シリア、レバノンの旅を続けた、今年は更に戦乱の中、トルコ共和国を訪ねることに成功した。仏教はインドのネパールに始まり、偉大な釈迦が2000年昔悟りを開き人々を教えた。イスラームは釈迦やヒンズー教より歴史は新しい、然し、砂漠の民に厳しい戒律を課し、人々を導いた。イスラームとは何なのか。今回の旅では分からなかった。トルコの民はイスラームとはいえ比較的自由である。
女はベールを被らず、顔を現し、男女が肩を抱き合い町々を歩いている。男社会とはいえ女も働いている。
ヨーロッパ文明とアジア文明の衝突するトルコ、いや、二つの大陸の架け橋と云われるトルコは、地中海文明の明るさと、エーゲ海、ギリシアやエジプトや中近東を支配したかってのオスマントルコ時代の誇り高い民族の歴史を背景に、かっての昔、世界を支配したモンゴル族の後裔であるとの自尊心に似た自信を今も信じている。
砂漠の民モンゴル族が西に進み、ヨーロッパやアジアの民の融合により現在のトルコ民族が生まれたと言われている。中国から東に進んだ民は日本列島に流れ育った。従って、日本人とトルコ人の先祖は同じです。とは、トルコガイド「カーンさん」の説である。トルコの宗教は99%がイスラーム教である。対日本との関係は非常に良い。

国名(日本語) トルコ
国名(英語) トルコ共和国 Republic of Turkey
首都 アンカラ
面積 約81万4,578平方キロメートル
人口 約6,286.5万人

 トルコ共和国は1923年10月29日成立を宣言した。大統領は7年制の任期である。首相を指名し内閣を作る。議席数は400の議員であり72の州知事がおる。学校は小学校5年4万5870、中学校3年4260、技術訓練校1900校、27の大学がある。国土はダーダネルス海峡、マルマラ海、ボスフフオラス海峡によって分断されている。西部はギリシア、ブルガリア、東部は旧ソビエト連邦、イラン、イラク、シリア、と国境を接している。ヨーロッパとアジアを結ぶ架け橋といった位置にある。トルコのヨーロッパ側には肥沃な丘陵地帯が広がっている。
アジア側は南北の海岸沿いに山脈が走り、内陸も1000mの高原が走り西部はエーゲ海まで伸びて多くの盆地を形成している。西部はトルコの中でも最も肥沃な土地である。

東部トルコ一帯は平均1800mのアナトリア高原と呼ばれ、南にはトルコの最高峰アララット山5165mがある。
私達が回った西部地方やエーゲ海、地中海地方、マルマラ海沿岸黒海沿岸の地方は比較的降水量も多く、中近東や、中央アジアの国々に比べ土地は肥沃であったが、古くから山々の木を燃料に伐採しているため木が生えず、放牧で草原が多かった。内陸部には植林が必要であると感じた。相対的にトルコは豊かな農業国の印象を受けた。

トルコの歴史は古く、6000年の昔から民族の興亡が繰り返され、様々な民族の侵入と侵略を受けている。
現在のトルコは第一次世界大戦にドイツに味方したオスマントルコ帝国が敗北し、西欧列強はイスタンブールに大軍を上陸させトルコの解体を図った。

                    サフランボルの小学校
 このときトルコの一司令官であったムスタフア、ケマル、パシャは独立戦争を指揮しギリシァの大軍に勝利した。1923年トルコ共和国を樹立し初代大統領となった。トルコ議会は彼にトルコ建国の父として、「アタチュルク」の称号を贈った。
 死後60年の今日でも絶対的崇拝の対象であり、「アタリュルク廟」に祭られている。
アタチュルクは国家再建にあたり「内に平和外に平和」のスローガンでそれ以後のトルコ外交政策の基本として今日まで巧みな外交政策を駆使し、厳正中立で戦争から逃れてきている。
今回のイラク戦争でも巧みな外交戦術でアメリカやアラブ諸国との危機を脱した。

現在のトルコには総兵力60万の軍隊と準軍隊20万人合計約80万人のアメリカに次ぐ軍隊がいる軍事大国である。またトルコは世界有数の親日国である。その親日の理由は色々な見方があるが、日露戦争でロシアに勝利した日本人を尊敬していると云われる。トルコはロシアの南下政策に苦しめられてきた。
朝鮮戦争へのトルコ軍派兵の帰りに日本に立ち寄った兵士が帰国後色々な所で日本を紹介したといわれている。又第二次大戦後の日本の奇跡的復興、経済的繁栄に対するトルコ人の畏敬、などあげることが出来るといわれている。

また日本企業の経済協力、イスタンブールに架かる第二ボスポラス海峡大橋は石川島播磨重工、三菱重工、日本鋼管によって建設されていた。また多くの日本の都市や町が姉妹提携を結んでいる。
こうした民間外交が様々な形でなされているトルコ、私はイラク戦争の最中であったが、3月26日トルコ訪問を決意し実行した。ご協力頂いたJTB幹部の皆さんの勇気と共に、ガイドとして同行くださいました松本さんに感謝申し上げます。帰りましてから私は真っ先に小泉内閣総理大臣にメール送信いたしました。
トルコの皆さんは非常に親日的でした、行く先々でイラク戦争の最中にトルコ訪問の大歓迎を受けました。
本当に有難うございました。

 

拝啓、小泉内閣総理大臣様。
兵庫県関宮町、藤原文男
 私達はただ今日本に帰ってまいりました。3月26日、世界の焦点、イラク戦争の勃発して数日たったJTBの旅行計画を支援し「まるごとトルコ大周遊の旅」に参加しました。外務省では、渡航者に厳重注意するような勧告が出されていましたが、JTB、ガイドの松本さん以下8名のグループで無事帰ってまいりました。関西空港発、シンガポール航空を利用しました。
途中アラブ首長国連邦共和国のドバイ空港に休憩し、乗務員交代、同じ航空機でトルコのイスタンブール空港に着きました。イスタンブールからヨーロッパ大陸側を縦断し、フェリーでダーダネルス海峡を渡り、チャナッカレ、トロイの遺跡など見ながらイズミール、エフェソス遺跡、聖母マリアの家、バムッカレの石灰棚、コンヤ、カッパドキア地方経由、トルコの首都、アンカラ、木造住宅の独特の建築様式を誇る石畳の町、世界遺産のサフランボルの町並みを散策し
てまいりました。3月28日、イスタンブール空港でハイジャックあり、トルコの若い男性すぐ捕まった模様である。
人騒がせな事である。私達の観光にはなんの影響も無い、テレビも新聞も読まない、隣のイラクでは戦争しているらしいが気楽な旅でした。日本にいたときは毎日イラク問題を心配していたが、トルコの人たちは隣の国の戦争など我関せず平成である。
トルコの西部地方の人たちは、私達日本人がイラク戦争の最中に観光に来てくれたと大喜びでした。
何処に行っても歓迎されました。対日感情は非常によろしい。ヨーロッパの人たちはイラク戦争、あまり気にしていないようです。シンガポール、トルコは同じイスラーム教国、その飛行機を利用すれば戦争の危険はありません。
日本人は、政府も、マスコミもイラク戦争を騒ぎたて、「慌てふためく平家の様に」「水鳥の羽音に驚き」世界中の観光を中止するなど、腰抜け外交ですぞ。こんな時こそ、外国に行ける方法を模索し、一人でも多くの日本人が世界に出かけ、日本の平和を求める声を世界中の人々に訴える、私達一人一人の民間外交が、日本の立場を理解してくれるのです。危険なとき、中近東の国々に、金をばら撒く政府の外交も効果はあるでしょうが、国民の税金を使わなくとも
外務省の役人の責任逃れのための「危険注意勧告」などで日本人の海外渡航を規制するなど可笑しなことです。
トルコの首都アンカラの町では、トルコ建国の父、アタテユルク廟の見学をしました。トルコ独立戦争で勝利し、トルコ共和国を樹立した初代大統領の慰霊が祭られています。多くのトルコの学生や民間人、世界中からの観光客が訪れていました。トルコに来て、こんなに平和な国に何故日本人は来ないのだろうか ?と、不思議です。
 民間の旅行は世界に情報網を持つ民間の旅行事業者の自主判断に任せたらどうでしょうか。「戦争が始まった、さあ、日本人は海外旅行は一切危ないから禁止だ」など、馬鹿げた外交です。今まで民間の事業者が苦心して築き上げた信用も台無しです。外交は外務省一人がやる時代ではありません。海外えの旅行の事は旅行社に任せてはどうでしょうか。税金をばら撒かずとも、民間の私達がこうした時こそトルコに出かけ、世界に出かけ、世界の人たちと仲良くすることが日本の立場を世界にアッピールできる機会だと思います。


3月18日
3月18日午前10時アメリカ大統領がイラク、フセインへの宣戦布告があった。愈々戦争の幕は切って落とされた。60年まえ日本はアメリカに宣戦布告し真珠湾を攻撃した。つい、この間のことのようであり、遠い遠い昔の夢のようでもある。もう、戦争に反対しても駄目だ。日本はアメリカの側にある。戦いは始めた以上勝たねばならない。後は、戦いが早期に終結することを願うのみである。過去の戦争の歴史がそうであった。マスコミは戦争が始まると報道で利益を得ようと、早期の報道合戦を始める。戦争勝利の旗の波が全世界を駆け巡るだろう。株価は8000円の大台を回復し、有事に強いドルは反発した。
戦争が始まれば軍事株が高騰する。続いて石油株、鉄鋼、船舶、輸送株が高騰するだろう。何時ものパターンである。これで3月危機と云われた決算期を株高で乗り切る事が出来れば、小泉政権は万々歳だろう。議会も農林大臣の問題で審議拒否などやりにくくなるだろう。さて、と、私のトルコ旅行はどうなるだろうか?

3月22日
 私のトルコ旅行の日程が迫っている。イスタンブール空港えの旅客機はキャンセルが続いているもようであるが、文さんは困難な時ほど立ちむこう敵愾心が沸いてくる。怖い所、恐ろしい所、命の危険が迫る所こそ行って見たいのである。現在、予定通りトルコに行く。26日関西空港発、シンガポール航空でシンガポール空港着、同日、トルコイスタンブール着、世界遺産の旅、現在のトルコの世情と、イラク情勢の調査が目的である。  22日のテレビ放送を見ていると、外務省はイラク周辺11カ国に5000人の日本人が滞在ししており、それらの日本人に対し退避勧告をだした。
その中に私が行こうとするトルコも含まれている。
イスラーム世界では、イラク戦争に反対する群集のデモが次第に激しくなって来た。イスラーム世界対、キリスト教文明、アメリカ、イギリスの対立。日本の小泉首相は、とんでもない大失策をしでかしたものだ。イラク戦争に勝ってもイスラーム世界との対立と紛争は中東全体に広がる。
外務省の腰抜け役人が、戦争に協力して、日本人の旅行者を危険に陥れるような政策をとり、退避勧告を出さねばならないのである。私が乗る航空機はシンガポール航空だから、シンガポールは今度の戦争に荷担していない、同じイスラーム世界の国の航空機だからトルコ乗り入れは大丈夫た゜ろうと、思われる。が?                  トルコ、
トルコの旅は行けそうである。イラクとトルコは戦争をしていない、戦争しているのは、クエートからであり、イラク北部のクルド人が反乱を起してもトルコは国境の守備はしても、越境はしないし、アメリカ軍の地上軍の通過を認めていない。従ってトルコ旅行は安全である。JTBの幹部の方から電話がかかってきた。今度のトルコの旅どうされますか?と。
私は「行きます是非行きたいです、止めないで下さい。シンガポールとトルコは戦争していません、アラブ主長国連邦共和国のドバイ空港は安全です。其処からイラクの戦争に荷担していないトルコに行くのは大丈夫です」と、トルコ旅行の決行を主張した。後でガイドの松本さんの話では私が是非行くと云ったから行くことになったのです」との話であった。
3月27日
 
8人、10日間。このバスで周る
 関西国際空港を出発したのは午前12時だった。シンガポール空港に着いたときは17時50分だった。
シンガポールの町並み

シンガポールでは、町の案内で船の案内があった。道頓堀川に浮かぶ遊覧船のように赤い提灯の船が市内の川の繁華街を走った。絶景、高いビルディングの林立するシンガポールの町並みをデジカメ写真を撮った。イラク問題のため最初17名の参加者は7名に激減、ガイドの松本さんを含めて漸く一行8名。大阪からトルコ周遊10日間の旅が始まった。
シンガポール空港では厳しい検問と、パスポートの検査、23時50分。シンガポール航空の飛行機は関空からトルコまで美人のスチュワーデスのお姉さんのサービスがあった。関空からシンガポール空港間は満席だったが、ドバイ空港に向こう飛行機は戦争の影響で3分の一位。お陰で横になり寝転んでの旅が出来た。

 アラブ首長国連邦共和国のドバイ空港は国際テロ組織の暗躍する空港、ここでも厳しい検問が行われていた。漸く、ドバイ空港を飛び立った時、機内には10%くらいの乗席率だった。イラク戦争のお陰で飛行機の旅は4つの座席に一人寝のゆったりした旅が出来た。これから飛行機に乗るときは、どこかの国が戦争している時に限る。トルコのイスタンブールに着いたときは27日の朝午前七時五十分を過ぎていた。直ちに観光が始まった。24時間の飛行機の旅だったが、シンガポール美人のサービス、ガラアキの座席でぐっすりと寝ることが出来体力は完全に回復していた。直ちに観光が始まった。
イスタンブールの町

アヤソフィア大聖堂。325年コンスタンチヌス帝によって立てられたがいく度かの火災や修理がなされ1934年アタチュルク大統領によって博物館に指定された。トルコの代表的建物である。聖母マリア、洗礼者聖ヨハネとキリストを表したモザイク、トルコイスラーム装飾。全能の神アッラーとモハメット、彼らの孫達、などキリストとイスラームの世界の融合がなされているトルコである。
トプカプ宮殿、地下宮殿は、イスタンブールの重要な城であり市民の守りの為に建てられた宮殿である。
 そしてヨーロッパ側のトルコ高原を走り、ダーダネルス海峡の船の旅でアジア大陸のトルコのホテルに着いた。ダーダネルス海峡、金閣湾、船のたびは歴代トルコの壮麗な宮殿や城、現代建築の粋を誇る偉大なトルコ、世界を制覇したその昔のオスマントルコ帝国の面影が残っていた。
ここからチャナッカレのホテルに着いたのは午後6時を回っていた。トルコは平和な国である。日本人大歓迎、空港の検問も無く、トルコ側ガイドのカーンさんの案内が始まる。同じバスで10日間のトルコ周遊の旅である。
   3月28日
 
朝4時に起きた。トルコ出発から今日までの記録を打ち込む。今回の旅行にパソコン持参は正解だった。
その日のことはその日に書き込む、五時三十分寝る。七時三十分起きる。出発は八時三十分。ゆっくりとした旅だった。チャナッカレ発、トロイの遺跡を見る。ホメーロスの叙事詩、イズミールの町には夕方着いた。人口500万。トルコ第三の都市である。戦争の危険など全く感じられない。カヤプレステージホテルに泊まった。日本人は一人もいない、観光客は少なく、少し寒いが絶好の好天に恵まれた観光日和だった。8人の仲間とは親しくなり、確実な観光の旅が続けられている。テレビはNHKが見られる。日本のニュースも見られる。予算案国会通過のテレビも見られた。
3月29日
エフェソス遺跡

                                      

イズミールのリッチモンドホテルに泊まる。朝、五時起床、生涯学習のページに日記記録。イズミール発7時30分、エフェソス遺跡観光、アルテミス神殿、聖母マリアの家見学。その周辺の遺跡見学。
エフェソスの遺跡はbC2世紀の頃以前から多くの支配者の城が築かれていた。
bc365年アレキサンダー大王がこの地に進出した。大王がなくなると王の武将リシマコスの時代に移る。
幾世紀もの間に多くの王がこの地にキリストの聖教会堂を健てた。広い地域に城当時の建物の遺跡が残されていた。ハドリアヌス神殿、セルシュウス図書館、大理石道り、大劇場跡、聖母マリアの教会、アルテミス神殿、聖ヨハネ教会堂など当時の繁栄の跡が偲ばれた。

エフェソスから7KMの山に登ると聖母マリアの家があった。紀元34-48年、マリアは聖ヨハネとともにエフェソスを訪れこの地で暮らしここで亡くなったとの説が立てられた。「十字架上のキリストに母の身柄を託された聖ヨハネは彼女をここに住まわせた」といわれている。
1891年、礼拝堂の遺跡が発見された。建物自体はビザンチン時代のものだが、基礎は確かに1世紀のものであった。1892年、イズミル大司教がここを巡礼の地と宣言した。1967年ローマ法王パウロ6世もここを訪れ祈りを捧げている。マリアの家はキリスト教徒はもとより多くのイスラム教徒の訪問を受けている。

  
バス、3時間走る。夕方、バムッカレ観光、世界遺産石灰棚の奇形を見る。その近くのホテルに泊まる。リッチモンドホテル泊。
ここのホテルはヨーロッパのお客さんが多かった。ここで初めて日本人観光客を見る。北九州から来た人たちだった。
今朝、イスタンブール空港でハイジャックあり、トルコの若い男性。すぐ捕まった模様である。人騒がせな事である。
私達の観光にはなんの影響も無い、テレビも新聞も読まない、隣のイラクでは戦争しているらしいが気楽な旅である。日本にいたときは毎日イラク問題を心配していたが、トルコの人たちは隣の国の戦争など我関せず平成である。
3月30日
 
ガイドの松本さん
カッパドキア地方のユルギュップ。ムスタフアホテルに泊まる。
朝7時30分ホテル発。カッパドキアまで700キロ。カッパドキアに着いたときは7時30分になっていた。途中、コンヤ市内、カラタイ神学校、やメヴラーナ博物館。の見学。キャラバンサライ見学、シルクロード沿いに点在する隊商の駱駝宿の見学。石造の大きな建築だった。夕方七時半にカッパドキアに着いた。
途中土器の店に寄る。コンヤの町にはメヴラーナがいる。
メヴラーナはイスラム神秘主義と宗教哲学者として有名である。メヴラーナ教団としてコンヤの町に育ちトルコに広まっていった。アラビアに生まれたイスラム教を砂漠の民トルコに広めたメヴラーナは宗教思想家であった。コンヤの町にメヴラーナ思想のメッカとして確立させたのである。
  イスラム世界では最も大きい宗派がスンニ派とシーア派である。またこの二つの宗派をさらに六つに分けることが出来る。ハネフィ派、マリキ派、シャフィイ派、ハンべり派、宗派の誕生には長い時を越えて異なった教団の誕生を、更に新しい宗派や教団の誕生を生んだ。イスラム教団が広がる以前のアラビア、イスラムの教えは、定住農耕民族の社会性を基準にしたものであったと考えてよい。トルコのイスラム教は他のアラブ諸国とは異なる生活習慣をもつ、1000年以上もの長い遊牧民の生活と、女性尊重の習慣は他のイスラム諸国には無い、独特の宗派が生まれている。このコンヤの町でメヴラーナ博物館を視察した。
トルコの旅も峠を越えた。健康状態は異常なし、平和な国、トルコの旅、ガイドの松本さんのお世話で、8名の仲間のチームワークも良く楽しい旅が続いている。ここに来る道々に残雪が残っていた。このあいだ降った雪が残ってるのだろう。遥かな山々には白雪の連山が望まれる。1500mくらいから上の山々だろう、3000mの山も見える。トルコにはスキー場もある。夏の黒海沿岸では午前中海水浴、午後は二時間くらい走りスキーが楽しめるそうである。
昨晩は韓国のツアー客も多く来ていた。ヨーロッパの観光客はイラク戦争など気にしていない。ヨーロッパは戦争反対である。従って戦争の危機を感じていない。戦っているのはアメリカとイギリスだと考えているのだろう。


3月31日
 3月最後の日になった。首都アンカラ市、ホテルスルメリに泊まる。カッパドキアの観光、カイマクル、ウチヒサール、ギョレメ野外博物館の見学。昼食は洞穴のレストランで名物料理クルクルフアスレ{豆の煮込み料理}を食べる。おいしい料理だった。首都アンカラに着いたのは夕方7時になっていた。カッパドキアは火山の噴火で出来た奇岩と奇形の山々であった。其処に地下の町があった。紀元2000年の昔から外敵から自分達の種族を保護するために地中の岩石を掘りぬき、地下都市を作っている。其処に数千人の人たちが住んでいた。生き残るために何千年の苦闘の歴史が刻まれている。感動だった。トルコの人たちは非常に友好的な人たちである。
隣のイラクでの戦争など町の空気には微塵も見られない。平和なトルコの人たちである。観光客が激減して困っている。日本の皆さん平和なトルコの旅に行って下さい。
4月1日
アナトリア文明博物館を見る。首都アンカラの町に泊まった。アナトリアの歴史世界屈指のコレクションとして、旧石器時代から近代まで貴重な品々が年代順に配置されていた。
新石器時代、銅石器時代、初期青銅器時代、アッシリア植民市時代BC1950-1750年頃。古ヒッタイトと、ヒッタイト帝国時代、新ヒッタイト王国BC1200-700年。フリギアBC-1200-700年など多くの作品が陳列されていた。これらの写真を撮ったが暗くて良く分からなかった。ここで写真集の本を買った。
 
                                     アナトリア博物館の馬の像
アナトリア博物館を見てからトルコの首都アンカラの町で、トルコ建国の父、アタテユルク廟の見学をしました。トルコ独立戦争で勝利し、トルコ共和国を樹立した初代大統領の慰霊が祭られています。多くのトルコの学生や民間人、世界中からの観光客が訪れていた。トルコ独立戦争の映像は印象に残った。
4月2日

                            

 世界遺産の町サフランボルの民宿に泊まった。ホテルとは名ばっかりの木造民宿だった。中に入ると薄暗い部屋の広間があった。机と椅子、その横にソファが置いてあり、朝は其処の食堂で食べた。

 広間の奥の戸を開けると中庭に出た。塀で囲まれた庭園と植木、その奥に更に部屋があった。鍵を開けて中に入ると広間があった。広間にはソファがあり絨毯が敷かれている。広間の横に階段があり其処から二階の部屋に登れた。
 
 一段上の奥の部屋にもソファがあった。その横に部屋の入り口が二つあった。二階の部屋にはカーンさんが泊まった。私の向かいの部屋にはガイドの松本さんが泊まった。其々の部屋はみな広間から直接部屋の戸を開けてはいる。鍵は昔の錠前のような鍵だった。しっかりとした板戸で出来ていた。シャワーはあるが風呂は無かった。風呂はトルコ風呂に行く予定だった。私は一人用の部屋に入った。机が無いのでベッドの上にトランクを置き、その上でパソコンを開いた。写真はサフランボルの木造の町である。

サフランボルホテル出発、イスタンブールへ。
 途中アバン湖に立ち寄る。アバン湖の周囲はまだ冬、スキーが出来る状態だった。トルコの娘達と写真を撮る。トルコの平和な農村の風景を眺めながら、バスは90キロの速度で走っていた。トルコの人たちはアメリカの大統領を嫌っていた。フセインの悪口はあまり言わない。ラムズフヱルド国務長官がトルコ訪問したらしい。アメリカとトルコの中が少しは好転するだろうと期待している、ガイドのカーンさんの話であった。バスはイスタンブールに着いた。グランドバザールの見学をする。凄いバザールだ、ウズベキスタンのバザールも凄かった。その国の民衆の購買意欲が感じ取れる。ホテル、ヒルトンに着いた。イスタンブール最高のホテルだろう。窓からボスフオラス海峡が見える。明日はこの海峡のクルーズ、ヨーロッパ大陸とアジアを結ぶボスフオラス海峡。午後一時三十分イスタンブール空港から帰国の旅の予定である。

4月7日
日本に帰って
 イスラームの文化を求めて。パキスタンから中国ウイグル自治区共和国、中央アジア、ウズベキスタン、カザフスタン、トルクメニスタンを訪ねた私は、昨年の秋、ヨルダン、シリア、レバノンの旅を続けた、今年は更に戦乱の中、トルコ共和国を訪ねることに成功した。仏教はインドのネパールに始まり、偉大な釈迦が2000年昔悟りを開き人々を教えた。イスラームは釈迦やヒンズー教より歴史は新しい、然し、砂漠の民に厳しい戒律を課し、人々を導いた。イスラームとは何なのか。今回の旅では分からなかった。トルコの民はイスラームとはいえ比較的自由である。
女はベールを被らず、顔を現し、男女が肩を抱き合い町々を歩いている。男社会とはいえ女も働いている。
ヨーロッパ文明とアジア文明の衝突するトルコ、いや、二つの大陸の架け橋と云われるトルコは、地中海文明の明るさと、エーゲ海、ギリシアやエジプトや中近東を支配したかってのオスマントルコ時代の誇り高い民族の歴史を背景に、かっての昔、世界を支配したモンゴル族の後裔であるとの自尊心に似た自信を今も信じている。
砂漠の民モンゴル族が西に進み、ヨーロッパやアジアの民の融合により現在のトルコ民族が生まれたと言われている。中国から東に進んだ民は日本列島に流れ育った。従って、日本人とトルコ人の先祖は同じです。とは、トルコガイド「カーンさん」の説である。トルコの宗教は99%がイスラーム教である。対日本との関係は非常に良い。
 トルコ共和国は1923年10月29日成立を宣言した。大統領は7年制の任期である。首相を指名し内閣を作る。議席数は400の議員であり72の州知事がおる。学校は小学校5年4万5870、中学校3年4260、技術訓練校1900校、27の大学がある。国土はダーダネルス海峡、マルマラ海、ボスフフオラス海峡によって分断されている。西部はギリシア、ブルガリア、東部は旧ソビエト連邦、イラン、イラク、シリア、と国境を接している。ヨーロッパとアジアを結ぶ架け橋といった位置にある。トルコのヨーロッパ側には肥沃な丘陵地帯が広がっている。
アジア側は南北の海岸沿いに山脈が走り、内陸も1000mの高原が走り西部はエーゲ海まで伸びて多くの盆地を形成している。西部はトルコの中でも最も肥沃な土地である。

東部トルコ一帯は平均1800mのアナトリア高原と呼ばれ、南にはトルコの最高峰アララット山5165mがある。
私達が回った西部地方やエーゲ海、地中海地方、マルマラ海沿岸黒海沿岸の地方は比較的降水量も多く、中近東や、中央アジアの国々に比べ土地は肥沃であったが、古くから山々の木を燃料に伐採しているため木が生えず、放牧で草原が多かった。内陸部には植林が必要であると感じた。相対的にトルコは豊かな農業国の印象を受けた。

トルコの歴史は古く、6000年の昔から民族の興亡が繰り返され、様々な民族の侵入と侵略を受けている。
現在のトルコは第一次世界大戦にドイツに味方したオスマントルコ帝国が敗北し、西欧列強はイスタンブールに大軍を上陸させトルコの解体を図った。

                    サフランボルの小学校
 このときトルコの一司令官であったムスタフア、ケマル、パシャは独立戦争を指揮しギリシァの大軍に勝利した。1923年トルコ共和国を樹立し初代大統領となった。トルコ議会は彼にトルコ建国の父として、「アタチュルク」の称号を贈った。
 死後60年の今日でも絶対的崇拝の対象であり、「アタリュルク廟」に祭られている。
アタチュルクは国家再建にあたり「内に平和外に平和」のスローガンでそれ以後のトルコ外交政策の基本として今日まで巧みな外交政策を駆使し、厳正中立で戦争から逃れてきている。
今回のイラク戦争でも巧みな外交戦術でアメリカやアラブ諸国との危機を脱した。

現在のトルコには総兵力60万の軍隊と準軍隊20万人合計約80万人のアメリカに次ぐ軍隊がいる軍事大国である。またトルコは世界有数の親日国である。その親日の理由は色々な見方があるが、日露戦争でロシアに勝利した日本人を尊敬していると云われる。トルコはロシアの南下政策に苦しめられてきた。
朝鮮戦争へのトルコ軍派兵の帰りに日本に立ち寄った兵士が帰国後色々な所で日本を紹介したといわれている。又第二次大戦後の日本の奇跡的復興、経済的繁栄に対するトルコ人の畏敬、などあげることが出来るといわれている。

また日本企業の経済協力、イスタンブールに架かる第二ボスポラス海峡大橋は石川島播磨重工、三菱重工、日本鋼管によって建設されていた。また多くの日本の都市や町が姉妹提携を結んでいる。
こうした民間外交が様々な形でなされているトルコ、私はイラク戦争の最中であったが、3月26日トルコ訪問を決意し実行した。ご協力頂いたJTB幹部の皆さんの勇気と共に、ガイドとして同行くださいました松本さんに感謝申し上げます。帰りましてから私は真っ先に小泉内閣総理大臣にメール送信いたしました。
トルコの皆さんは非常に親日的でした、行く先々でイラク戦争の最中にトルコ訪問の大歓迎を受けました。
本当に有難うございました。

 

拝啓、小泉内閣総理大臣様。
兵庫県関宮町、藤原文男
 私達はただ今日本に帰ってまいりました。3月26日、世界の焦点、イラク戦争の勃発して数日たったJTBの旅行計画を支援し「まるごとトルコ大周遊の旅」に参加しました。外務省では、渡航者に厳重注意するような勧告が出されていましたが、JTB、ガイドの松本さん以下8名のグループで無事帰ってまいりました。関西空港発、シンガポール航空を利用しました。途中アラブ首長国連邦共和国のドバイ空港に休憩し、乗務員交代、同じ航空機でトルコのイスタンブール空港に着きました。イスタンブールからヨーロッパ大陸側を縦断し、フェリーでダーダネルス海峡を渡り、チャナッカレ、トロイの遺跡など見ながらイズミール、エフェソス遺跡、聖母マリアの家、バムッカレの石灰棚、コンヤ、カッパドキア地方経由、トルコの首都、アンカラ、木造住宅の独特の建築様式を誇る石畳の町、世界遺産のサフランボルの町並みを散策してまいりました。3月28日、イスタンブール空港でハイジャックあり、トルコの若い男性すぐ捕まった模様である。

 人騒がせな事である。私達の観光にはなんの影響も無い、テレビも新聞も読まない、隣のイラクでは戦争しているらしいが気楽な旅でした。日本にいたときは毎日イラク問題を心配していたが、トルコの人たちは隣の国の戦争など我関せず平成である。トルコの西部地方の人たちは、私達日本人がイラク戦争の最中に観光に来てくれたと大喜びでした。何処に行っても歓迎されました。対日感情は非常によろしい。ヨーロッパの人たちはイラク戦争、あまり気にしていないようです。シンガポール、トルコは同じイスラーム教国、その飛行機を利用すれば戦争の危険はありません。日本人は、政府も、マスコミもイラク戦争を騒ぎたて、「慌てふためく平家の様に」「水鳥の羽音に驚き」世界中の観光を中止するなど、腰抜け外交ですぞ。こんな時こそ、外国に行ける方法を模索し、一人でも多くの日本人が世界に出かけ、日本の平和を求める声を世界中の人々に訴える、私達一人一人の民間外交が、日本の立場を理解してくれるのです。危険なとき、中近東の国々に、金をばら撒く政府の外交も効果はあるでしょうが、国民の税金を使わなくとも外務省の役人の責任逃れのための「危険注意勧告」などで日本人の海外渡航を規制するなど可笑しなことです。
トルコの首都アンカラの町では、トルコ建国の父、アタテユルク廟の見学をしました。トルコ独立戦争で勝利し、トルコ共和国を樹立した初代大統領の慰霊が祭られています。多くのトルコの学生や民間人、世界中からの観光客が訪れていました。トルコに来て、こんなに平和な国に何故日本人は来ないのだろうか ?と、不思議です。
 民間の旅行は世界に情報網を持つ民間の旅行事業者の自主判断に任せたらどうでしょうか。「戦争が始まった、さあ、日本人は海外旅行は一切危ないから禁止だ」など、馬鹿げた外交です。今まで民間の事業者が苦心して築き上げた信用も台無しです。外交は外務省一人がやる時代ではありません。海外えの旅行の事は旅行社に任せてはどうでしょうか。税金をばら撒かずとも、民間の私達がこうした時こそトルコに出かけ、世界に出かけ、世界の人たちと仲良くすることが日本の立場を世界にアッピールできる機会だと思います。
この文は小泉総理から送られたメールマガジンです。
トルコ、欧州とアジアが交差する親日国・前編  (イスタンブール日本人会会長 菅野洋一)(編集部注)筆者は商社勤務、約2年前からイスタンブールに駐在。トルコの日本びいきは有名ですが、日本人にはあまり馴染みのない国です。そのトルコの今を紹介するため寄稿をいただきました。

 本年1月に小泉首相がトルコをご訪問されトルコ国民から熱烈な歓迎を受けましたが、トルコは世界随一の親日国だと言っても過言ではありません。アンケートを行えばトルコ国民の最も好きな国の一つに必ず日本が挙げられます。 明治時代に和歌山沖で遭難したトルコのエルトゥールル号の乗組員を和歌山の人が手厚く看護した話はこちらでは有名です。トルコの人たちはこの時に日本人から受けた恩義を忘れず、イラン・イラク戦争の際には危険を顧みず、アリ機長が操縦する特別機を飛ばして孤立したイラン在留邦人の脱出に手を貸してくれました。

 今回小泉首相はアリ元機長と面談、お礼をされましたが、これがトルコ人の間で大きな話題になり、益々日本びいきになっているようです。トルコ人の日本に対する思いはハイテク製品に対する憧憬といったものではなく、両国が共有した歴史と文化に根ざしたものです。 ところでイスタンブールにユダヤ教やギリシャ正教の教会がある事をご存知でしょうか。宗教の自由を認めたオスマントルコの伝統は今もこの地に生きています。そういえばトルコでは断食月にも客にはお茶でもてなしてくれます。イスラム教を信じる彼らは飲み物を口にしませんが、他宗教への寛容な態度には驚かされます。

 今から約80年前に近代トルコ建国の父、アタチュルク大統領が政教分離を断行しましたが、この地ではイスラム教と民主主義が両立していると思います。現在世界では宗教の対立から深刻な問題が生じていますが、この国は上手にこの問題を解決しているように思われます。世界最大級の帝国を400年以上も維持し続けたオスマントルコの統治の秘密はこんなところにあるのかもしれません。 トルコは地政学的に重要な位置にあると良く言われますが、ここに住んで
初めて実感しました。ボスポラス海峡は黒海とエーゲ海を繋ぐ唯一の海路です。

 トルコは現在EU加盟を申請中ですが、この国は欧州だけではなく、黒海経済圏、そしてカスピ海沿岸の中央アジア、バルカン、中東の国々と文化的にそして経済的に太く繋がっています。ボスポラス海峡はロシアやカザフスタンのエネルギーの重要な通路であり、今後中央アジアなどで開発される大量のエネルギー資源がトルコを通じて消費地に流れていくことでしょう。 トルコはまさにこの地域のおへそに位置する国です。イラク、シリアそしてイランとも国境を接する極めて重要な場所に日本の貴重な友人が居ることを忘れてならないと思います。

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