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イラク国境に立つ筆者

 フセイン政権、風雲急を告げる2002年11月8日。私達が泊まったホテルはヨルダン、アンマンのインターコンチネンタルホテルだった。日本人旅行者は私達以外殆どいなかった。そのアンマンのホテルから拉致された三人の若者がイラクにタクシーで侵入したらしい。アメリカ軍の封鎖でイラクの港からの貿易は停止されていた。そのときヨルダンのアカバの港から陸上ルートでイラクに軍需物資が続々と、トラックの長い行列が続いていた。
 シリアから陸路レバノンのベイルートの港を経て、イラクの石油は世界に輸出されていた。イラク戦争が始まっても、ヨルダン、シリア、トルコ、イラン、はアメリカ軍の通過を認めなかった。同じ宗教、同じ民族と言葉を持つイラク周辺のイスラーム世界を知らず、軍事力で叩いても、一時的に勝利しても、テロは全世界に広がるだろう?と、私は度々このホームページで訴えていた。

 フアルージャでの停戦合意、と、新聞は伝えている。イラク統治評議会とイスラム、スンニ派幹部と、部族長との合意らしい ? 結局、アメリカ軍がイラクから全面撤退し?、主権をイラクに渡さない限り紛争は収まらないだろうか?。難しい選択である。では、日本の自衛隊撤退はどうするのか?否である。と、私は考える。

 戦争の戦略として、私が司令官なら、ここでは引かないだろう、戦争は始めた以上勝たねばならない。
戦いは勝ってこそすべての道が開かれるのである。我が日本の景気回復は漸くその芽が見えてきた、アメリカの景気回復と中国の好景気、高い経済成長にあるといわれている。

 石油問題を無視しての今後の日本経済の展開は無いだろう。イラクへの無謀な若者の侵入が日本の政治や経済、軍事情勢を混乱に陥れている。この問題を冷静に見つめよう。イラクに侵入した3人の問題がすべてであるようなマスコミの報道に踊らされてはならない。わが国の国益とは何か ? 何をどう、判断すればよいのか?報道されている裏にあるものはなんであるのだろうか ? 世界の情勢はそう単純なものではない。水戸黄門

シリア
 対シリア非難決議が否決された。中国とロシアの拒否権発動である。シリアとはどんな国だろうか?
私たちがシリアを訪れてから10年の歳月がたっている。

 国家の元首は大統領で任期は7年。現アサド大統領は1971年以来4選。シリアの議会は一院制。250議席、4年ごとの普通選挙で選ばれる。18歳から45歳の男子に兵役義務があり、期間は30ヶ月。兵力は陸軍31万5000人空軍4万人。海軍6000人。防空軍6万人。言葉はアラビア語。数千年の歴史がある。
エジプトや、バビロニアの支配を受け、ペルシアの支配、ローマ帝国の一地方となった時代もある。後1世紀の頃には隊商都市パルミラが発展、アナトリアからナイル川まで勢力を伸ばした。イスラム帝国の本拠となって発展、イスラム化が進み、ヘレニズムを基礎とした高度な文化を築いた。12世紀の終わり頃十字軍、モンゴルの侵略でシリアは大打撃を受けた。1516年オスマン帝国がシリアを支配下に置き、4世紀にわたり支配した。
シリアはスエズ運河が開通するまで陸上交通の要衝として発展した。20世紀始めオスマン帝国はドイツと同盟し、イギリス、フランスと戦った。戦後、フランスの委任統治下に置かれ、シリアからレバノンを分離独立させた。イギリス、フランスの介入など様様な影響をうけながら1945年独立を達成した。48年シリア軍はアラブと共にイスラエルとの戦いに参加した。これが第一次中東戦争である。1950年代は西側諸国と距離を置き、ソ連よりの傾向を強めた。55年、政府はトルコ、イラク、イラン、パキスタン、イギリスで交わされた対ソバグダッド条約に激しく抗議した。1956年11月、イスラエル、イギリス、フランス、のエジプトえの攻撃にシリアは西側諸国に憤りを増大させることになった。

 全人口の90%をアラブ人が占めている。宗教はイスラム教が圧倒的多数を占める。
初等教育は6年間は義務教育で無料、15歳以上の識字率71%。就学率95%。中学42%。
シリアの経済基盤は農業である。約500万haの耕地と830万haの草原と牧草地がある。シリア経済はアラブ産油国を中心とする外国からの援助に依存するところが大きい。貿易は原油、石油製品、リン鉱石、綿や絹織物、タバコ、果物野菜など輸出している。石油純輸出国になってからは貿易収支は黒字が続いている。輸出相手国は、ルーマニア、イタリア、フランス、ロシア、旧ソ連諸国。輸入相手国は、イラン、リビア、ドイツ、フランス、イタリア、ロシアなど旧ソ連諸国。外国の石油パイプラインの使用料も大切な収入源となっている。観光収入も外貨獲得に寄与している。

 私がシリア旅行の最大の目的は、世界4大文明の一つ「メソポタミア文明」の調査だった。
メソポタミアは、キリスト教徒にとって精神的なふるさとであった。旧約聖書にはウルク、バビロン、ニネべェ、カルデアといった古代都市や、国の名前が登場し、「ノアの箱船」や「バベルの塔」 といった心誘う物語も綴られている。彼らが思い描くメソポタミアは神秘的な「エデンの園」そのものだった。
近年にいたりこのメソポタミアと言われる地方から多くの遺跡が発掘された。メソポタミアは現在のイラク、シリア、トルコにその源流を発するユーフラテス川の流域、チグリス川の流域に発達した文明であるが、今回のツアーにはイラクに入ることを許されなかった。何れ世界の平和が回復したら私もイラクにも行きたいと考えている。
イラク国境の町、シリアのマリでシュメール文明の世界遺産遺跡を見る。この地方で発見された遺跡には世界最初の楔型文字。粘土板文書。アルフアベット文字もシリアのウガリットで発見された。またシリア北部のバビロン第一王朝の6代目に、ハンムラビ王の登場により、有名な「ハンムラビ法典」が制定された。紀元前1760年代。いまから3700年前である。その頃の遺跡が完全な形で保存されている多くの世界遺産と遺跡をみた。11月12日バスがヨルダンから
シリアに入る。国境の検査官は夜の食事に近くの食堂に行き留守だった。


黙って通ることも出来るが、検印が無いと出国が出来なくなる。パスポートの審査は検査官がバスに乗りこみ座席に座った乗客一人一人丁寧に挨拶し検査して行く。大切な外国のお客様だとの表情が言外に出ている対応である。日本の官僚の対応とは違う。これが日本で「テロ」と云われる国の対応である。
レバノンで「テロ」を起こしたのは他ならぬ赤軍派、日本人である。
シリアもレバノンも入国審査が簡単である。
シリアからイラクの国境に近づくと広い広い農業地帯だった。ユーフラテス川沿いに広がる豊かな農業地域がシリア、イラク国境地域に広がっていた。同じアラブ民族であり、イスラム教を信奉している。シリアからイラクえの物資と人と、車も自由に交通がなされていた。関税も無い。自由にお互いの国えの旅行や買い物にでかけていた。学校への留学、スポーツの交流、文化の活動と交流は自由になされ、イラク人とシリアの若者の恋愛と結婚も自由であり、親族もお互いの国におり交際している。中東戦争、イラク戦争を経て、4、5年まえから自由に交流しているようであった。道路には多くのトラック、自動車がながれていた。然し、外国人、日本人は国境を越えることは許されない。国境の近くでの写真撮影も出来ない。然し、私はシリアからイラク国境の放送局の建物の写真撮影に成功した。「下の塔が放送局」


向うの標柱はイラクの建物。シュメール文明、マリ遺跡付近

世界で最も美しい遺跡と云われるパルミュラ遺跡。パルミュラのホテルでは日本人観光客を見かけた。昨夜もこのホテルで別の日本人観光客を見かけた。物好きな人達は私達だけではないことに安心した。相対的にはヨーロッパの観光客が多かった。然しアメリカが空爆の脅しが効いているせいか、ホテルの客は少なくガラガラである。こんなことでは赤字経営だろうと心配する。
ユーラシア大陸西部、地中海東岸にある共和国。正式国名はシリア、アラブ共和国。隣接するレバノンに大きな影響を与え、イスラエルに対しては強硬派として知られる。面積、18万5050km2。人口1419万人。首都ダマスクス144万人は国内最大の都市。イスラエル、ヨルダン、レバノン、サウジアラビア、イラク、トルコに隣接しゴラン高原は現在イスラエルに占領されている。


シリアの学生たち。服装は綺麗だった。
 

シリアはエジプト合邦が決まり、アラブ連合共和国が発足した。エジプトのナセル大統領は独裁政治を強行、其のためシリア内の軍と人民党が反乱を起こしシリアは連合離脱、再独立した。
1966年、シリアとエジプトはイスラエルに対する防衛協定を結んだ。シリアとイスラエルの国境線での争いが67年の第三次中東戦争となる。イスラエル軍はシリアのゴラン高原を占領した。6月、国連の国境監視団がおかれた。シリアはイギリス、アメリカのイスラエルへの積極的支援に抗議、外交関係を断絶した。1970年、アサド将軍がシリア大統領になる。1973年第四次中東戦争始まる。
シリア軍はゴラン高原のイスラエル軍を攻撃したが戦いに負ける。シリアはゴラン高原をイスラエルに譲り停戦協定に同意、アメリカとの外交関係を修復した。シリアはレバノン内戦に介入し、その後も3万5000人の軍隊をレバノンに配置している。
シリアとイラクとの関係は複雑で、イラン、イラク戦争ではシリアはイランを支持した数少ないアラブの国の一つである。イラクがクエートに浸入した1990年8月以後、ソウジアラビアに軍隊を送り、湾岸戦争では多国籍軍に味方した

パレスチナ、ヨルダンなどがイスラエルと和平を進める中、ゴラン高原を占領されているシリアは今もイスラエルと敵対関係にある。
11月18日。後、4日でヨルダン、シリア、レバノンの旅が終わる。18日はアレッポ博物館、アレッポ城見学の予定である。アレッポの町はシリア第2の都市である、シリアの人々は落ち着いている。子供の通学する服装も、町行く人々の服装も綺麗である。安定したシリア経済を支えるのは石油開発である。パルミュラからマリ、デーレゾ−ル。アレッポ、に来る途中の道路沿いには石油開発の発動機が動き、石油コンビナート、油送管などの施設が多く見られた。国内を横断する国道も4斜線に整備され、アメリカのカリフオルニア州の横断道路と大差は無い整備状況だった。80kぐらいの速度で走っていた。ここはトルコ国境に近い地域だった。
広い砂漠地帯のあちこちに石油開発の基地が出来ていた。シリア経済を支える石油輸出はレバノンの首都、ベイルートの港が必要である。レバノンはシリア無くして成り立たないし、シリアの経済はレバノンなくして成り立たないだろう。


イラクへと続く道。


メソポタミア文明の歴史を知らず、イラクを訪れることは無謀だ。無謀な若者が個人でイラクの復興支援などと、無知蒙昧な行動をおこし、その尻拭いに日本の政府を挙げて、振り回されている。イラクをアメリカは侵略した。紛れも無い事実である。そのアメリカを支援した日本人がイラク人の敵国人と狙われることは、歴史をしるものには理解できる。イラク人が敵国人と思うイラクに無謀に侵入したら、命はないことは、戦争を経験したものには良く分かる。そんなところに侵入して、政府に助けを求めることは間違いである。あくまで自己責任で行動するべきである。水戸黄門

2002年11月7日から11月22日までシルクロードの旅中東。シリア、ヨルダンレバノンに行ってきました。シリア、ヨルダン、レバノン三国は、ともにイスラエルを一番恐れ、敵視しています。
イスラエルはシリア、ヨルダン、レバノンを侵略したからです。現在、シリアとイラクは国境の検問も関税も無く、トラックや自家用車が自由に走っていました。同じ民族、同じ宗教です。イラクの人達とスポーツの交流、恋愛、結婚、買い物などできます。遊びにも行けます。シリア、ヨルダン国境も自由に出入りできます。シリアからレバノンにも簡単に行けます。然し、イスラエルに一度行った人は厳しく審査されます。
ユーフラテス川
イスラエルと、アラブの人達は民族、宗教が違うからです。ヨルダンの水利権を握る株式会社はその株式の40%をフランスが持っています。ヨルダンには石油がありません。砂漠の国ですが比較的住宅は綺麗でした。シリアは今石油開発に努力しています。経済は発展しています。レバノンは地中海に面して雨も多く、豊かな生活を楽しんでいます。農業生産も盛んです。ヨーロッパや、アラブ地方、エジプトなどからの観光客も多いです。アメリカのイラク敵視政策で世界中からの観光客が減り、ホテルはガラガラです。対日感情は非常に友好的で親切です。ヨーロッパのような泥棒や、引ったくり、スリなどいません。物価はインドや、中央アジア、中国に比べると少し高いです。ヨーロッパより安いです。
日本人が安心して旅行出きる国です。世界遺産も多く、数千年前から栄えた国です。民族はアジア、アラブ、エジプト、ヨーロッパなど各国の混血で様様な民族から成り立つ国です。

シリア、ヨルダン、レバノン三国は、ともにイスラエルを一番恐れ、敵視しています。イスラエルはシリア、ヨルダン、レバノンを侵略したからです。現在、シリアとイラクは国境の検問も関税も無く、トラックや自家用車が自由に走っていました。同じ民族、同じ宗教です。イラクの人達とスポーツの交流、恋愛、結婚、買い物などできます。遊びにも行けます。シリア、ヨルダン国境も自由に出入りできます。
シリアからレバノンにも簡単に行けます。然し、イスラエルに一度行った人は厳しく審査されます。
ユーフラテス川
イスラエルと、アラブの人達は民族、宗教が違うからです。ヨルダンの水利権を握る株式会社はその株式の40%をフランスが持っています。ヨルダンには石油がありません。砂漠の国ですが比較的住宅は綺麗でした。シリアは今石油開発に努力しています。経済は発展しています。レバノンは地中海に面して雨も多く、豊かな生活を楽しんでいます。農業生産も盛んです。ヨーロッパや、アラブ地方、エジプトなどからの観光客も多いです。アメリカのイラク敵視政策で世界中からの観光客が減り、ホテルはガラガラです。対日感情は非常に友好的で親切です。ヨーロッパのような泥棒や、引ったくり、スリなどいません。物価はインドや、中央アジア、中国に比べると少し高いです。ヨーロッパより安いです。
日本人が安心して旅行出きる国です。世界遺産も多く、数千年前から栄えた国です。民族はアジア、アラブ、エジプト、ヨーロッパなど各国の混血で様様な民族から成り立つ国です。


イスラエルの都市。ヨルダン、アカバ港から撮影。左はエジプト。11月10日。
ヨルダン
 11月12日朝5時起床、6時朝食、7時出発。外国旅行は規則正しい行動が要求される。
何よりも自分の健康管理は自分がしなければならない。出発の前、「うらら」で血圧測定を3ヶ月間続けていた。最高血圧185.最低90の日もあったが私は医者の薬は飲まない。若者の収める保険税のお世話にはなりたくない。然し今回は外国旅行だ。出会い診療所で21日間の血圧の薬を準備していた。

 イスラムの国はラマダンだった。ビールも小ビン一本に減らした。毎日2時間、3時間は歩く。夜はホテルに着くのが6時、7時はザラである。遅いときは午後9時、10時の時もある。昨日、11日はアラビア湾に面したアカバの港で船に乗りイスラエル領海に近づいた。エジプトもすぐ其処に見えた。イスラエルとエジプトの都市を写真撮影した。イスラエルの都市を見たのは感動だった。
現在ヨルダンからイスラエルに一般観光客が入ることは面倒な手続きが必要なようです。イスラエルの高層建築の林立する力の源泉はどこにあるのだろうか。それにしても、イラク、ソウジアラビア、シリアや、エジプトに近いヨルダンは列強の国にはさまれてしたたかに生きている。アカバ港には、数万トンの船が寄港し、ヒツジの大群が陸揚げされていた。アカバ港からヨルダンの首都アンマンに向けて数十台のトラックが高速道路をヒツジを積んで走っていた。アンマンの人口は130万人。砂漠の国ヨルダンはヒツジも育たない。石油もイラクから購入している数少ない国だ。同乗のガイドはキリスト教徒だった。ヨルダンは95%がイスラム教徒である。
今日はアンマンに戻り市内観光、昨日は死海で水泳、浮上を楽しんだ。写真参照。死海は海面下350m
流れ込む川が水上気となり砂漠の中に蒸発しているが、ヨルダン全土は殆ど砂漠の中の国である。農業生産の宝庫のゴラン高原がイスラエルに占領されている。ジエラシのローマ遺跡を見学の後、国境を超えてシリアに入った。


アジア南西部にある立憲君主国。
1988年、ヨルダン川西岸地区をイスラエルに統治権を譲り戦争状態を終えた。
面積、8万8947km2。人口544万人。
ヨルダンの地理的特徴はヨルダン川と死海。アカバ港を結ぶリフトバレー「大地溝帯」がある。死海は海面下395mと世界で最も低い場所にある。ヨルダンは、イスラエル、エジプト、ソウジアラビア、イラク、シリアに隣接している。アカバ港が紅海に面している。ヨルダンは非産油国である。首都はアンマン、64万人。第三次中東戦争の結果、ヨルダン川西岸地区から難民が流入した、其のため1994年の推計人口は130万人。大多数はイスラム教スンナ派。国教はイスラム、言語はアラビア語。教育水準はここ10年間で飛躍的に向上、識字率は80%である。


死海での海水浮上。11月10日
ヨルダンの経済は非産油国のため、外国に依存するところが大きい。アカバ港に入港するイラク向け商品の陸上輸送や、湾岸諸国で働く労働者からの送金に依存している。ヨルダン川西岸地区をイスラエルに占領されたヨルダン経済は苦しい。
ヨルダンの国家元首は国王である。国会は二院制、イスラム教が司法に及ぼす影響は強い。
それぞれの村や町の地方には議会は無いが村や町の所有地はあり、土地の売買や登記なども行われている。福祉施設は親は家族で面倒を見るため日本のような制度は出来ていないようであった。
所得税、住民税など日本と似ていた。何分人口の少ない国なので国王を中心とした王政が行われ易い。ヨルダン、シリア共に国王や大統領の写真が町都市の至るところに貼られていた。食堂にも大統領の写真が掲示されていた。ヨルダンは古くから王朝が立てられたが、これらの王朝は周辺のエジプト、アッシリア、バビロニア、ペルシア、ローマに絶えず支配下に置かれた。その後、ビザンテイン帝国の領土となり、633年アラブ人に征服されイスラム国家となった。

   
           アカバ湾。           
十字軍の時代を経て、エジプトのマムルーク王朝に支配され、1517年ー1918年間の400年間はシリア、パレスチナを含む大シリアの一部として、オスマン帝国に支配された。
第一次世界大戦後イギリスの委任統治領となる。イギリスの統治下でトランス、ヨルダン首長国が誕生した。
第2次世界大戦後イギリスからヨルダンは独立、合同軍を設立、相互援助同盟を結ぶ。
第一次中東戦争。1948年5月、ヨルダン軍は独立を宣言したイスラエルに対し、アラブ諸国連合でパレスチナ進攻をおこなった。その結果イスラエルが勝利、ヨルダン川西岸はイスラエルに取られた。160万人のパレスチナ難民となる。
1951年国王は暗殺され、17歳の王子が後を継ぐ、フサイン1世となる。
1955年、ヨルダン國際連合に加盟。エジプト、シリア、サウジアラビアは毎年3600万ドルをヨルダンに援助することに合意。


第2次中東戦争。第三次中東戦争。第四次中東戦争が引き続き起こる。
ヨルダンと、シリアの対立、ヨルダンとイスラエルとの対立、ploパレスチナ解放機構との複雑な関係。アラブ諸国とイスラエルとの第三次中東戦争の勃発と其の結果、ヨルダンと、パレスチナ各派との反感など複雑である。イラクが1990年クエート進攻した後、イラクと友好関係にあったヨルダンは経済制裁の影響で大きな損失を蒙った。
ペルシア湾岸地域からの大量の難民が流入し、イラクよりの姿勢をとったヨルダンは孤立し、アメリカや、ソウジアラビアなど他のアラブ諸国との関係が悪化した。1994年7月、国王フサインは イスラエル首相ラビンと46年間にわたる両国間の戦争状態に終止符を打つ平和協定「ワシントン宣言」に署名した。これによりヨルダンは対米債務の解消を実現した。ヨルダンとイスラエルの平和条約の締結により関係改善が進んだ。



レバノン

 シリア国境を通過したのは、11月19日午後3時10分前だった。国境の検印は10分くらいで終わり、検査官の検査も無くパスポートに検印してくれたようであった。国境でレバノンのバスに乗り換えた。ここで美人ガイドのシルビアさんにかわった。
 バスの中は途端にヨーロッパ文明の明るい雰囲気に包まれた。人口350万人のレバノン。首都ベイルートは人口100万人。シリアとレバノンの間には、レバノン山脈が標高3000メートルの山脈が続き、山々には白く雪が積もっていた。気温も低くスキーリゾートもあり、首都ベイルートの海で午前中海水浴、午後は山でのスキーが楽しめると宣伝文にはかいてあった。国境を超えレバノン山脈をひた走り、山々を越えて下るとベイルートの町が山の上まで広がり建てられていた。
 ベイルートの町は内戦終結から19年過ぎている。戦後の住宅の復興はかなり進んでいたが、内戦までに建築中だった廃屋が建設途中に放棄され、人気の無い家々が不気味に建築放棄されていた。山々の別荘地帯に放棄された建物が多く見られた。山を下りベイルートの中心部にベイルート空港があった。ここが赤軍派で名高いベイルート空港なのかと改めて見た。町々は復興が進んでいたがまだまだ砲弾で破壊された家が不気味に町の中心部にあちこちに見られた。レバノンの国の戦後の経済発展は目覚しく、戦後19年、「レバノンを訪れる日本人は一人も事故が無く、楽しく旅行が出来ます」とは、ベイルートで旅行事業社の責任者日本人国籍の人の話しであった。是非日本に帰ったら一人でも多くの人達にお伝え下さいとの言葉であった。



レバノンは地中海東岸にある共和国。アラブ諸国のなかで唯一キリスト教徒の多い国として知られ、中東の商業金融の中心として発展したが、1975年の内戦で経済は大きな打撃を蒙った。政治も近隣諸国の動向もからんで混迷している。東はシリア、南はイスラエルに国境を接する。首都はベイルート。人口301万人。面積、T万400km2。国土の長さは217km。幅、40kmから、80km。地中海沿岸に細長い平地が広がる。首都ベイルートに150万人暮らしている。港湾都市である。トリポリ20万人、サイダー10万人。何れも港湾都市、ソウジアラビアやイラクからの石油パイプラインのターミナルがある。
   
宗教はキリスト教が25%を占めている。他はイスラム教である。公用語はアラビア語である。初等教育は無償だが義務ではない。識字率は90%を超えている。アラブ諸国のなかでもっとも高い。アラブの文化に加え、アメリカや、フランスを中心とした西洋の新しい文化の影響で、自由な雰囲気もきわめて高い。
レバノンの経済の中心は銀行業と各種商業サービスである。1970年代の内戦以前は、ベイルートは中東金融の一大中心地だった。内戦とイスラエルの進攻で打撃を受けたが徐々に回復している。
農業は国土の29%が耕作できる土地である。ベーカー高原では一部に灌漑がほどこされ、穀物や野菜が栽培されている。商業と観光がレバノン経済の中心である。貿易相手国は中東諸国、フランス、ドイツ、アメリカなどである。



大統領は6年毎に議会によって選出されるが、再選は認められない。128名の議会議員で一院制。任期4年である。
1980年だいからシリア軍の支配下におかれ、多くの村では土地の長老や、権力者が大きな影響力を持っている。
兵力は4万8000人。内、陸軍、4万5000人、海軍600人。空軍800人。歴史は古いが南と北の交通路として栄えた。
シリアとともに歩んだ。ローマ、ビザンチン帝国支配の時代。イスラム支配の時代。オスマン帝国支配の時代。後期オスマン帝国支配の時代などあり、1861年、フランスを中心とする外国勢力がレバノンにマロン派の自治権を認めた。

 

第一次世界大戦でオスマン帝国は敗北、フランス支配の時代をむかえた。1946年フランス撤退してレバノンは独立した。1975年レバノン内戦が起こった。
イスラム諸派とパレスチナploのレバノン国内での活動でイスラエル軍が攻撃し、戦闘が続いたが国連平和維持軍がベイルートに駐留した。ヒずボラがイスラエルを攻撃し戦闘が繰り返された。現在、レバノン国内にはパレスチナ難民が多く解決の糸口すらつかめていない。1996年内戦終結。総選挙、ハリリ政権が継続されている。

12月8日

ユーフラテス川
イラクとはどんな国なのか。「メソポタミア文明」はイラクのチグリス川、ユーフラテス川に挟まれたシリア北部一帯の三日月地帯を指す。古くから文明が発達し幾多の民族の攻防が繰り広げられてきた。雨量も年間250ミリを超す。トルコの山岳地帯に源を発し、シリア北部の砂漠地帯を削りながらユーフラテス川は、チグリス川と合流し2800kイラクの中央部を流れてペルシア湾に流れ込む。紀元前12000年前頃からこのメソポタミア地方、現在のシリア北部、イラク地方には人々が住み、文明が発達していった。人々か生活出きる条件、それは麦作の発見であったと云われている。狩猟生活から農耕技術の進歩が文明が飛躍的に発展する条件となっていった。そして何よりもその歴史を記録できたのは文字を作り、それを記録する粘土板文書の製作であろう、そして更に青銅器の出現と、鉄を発明し、車の車輪の発明が強力な戦車を作り出した。メソポタミアに興ったシュメール文明、それを引き継いだアッシリア文明。当時のアッシリアは強大な軍事国家であった。シリア砂漠や、イラクの山岳砂漠地帯の遊牧の民が麦作などで定住した農耕生活を興し、メソポタミア地方に穀倉地帯ができた。今から3700年前、イラクのバグダッド地方を制圧し、バビロン第一王朝を築いた。ハンムラビは法典を制定した。「ハンムラビ法典」は一般的には世界最古の成文法律であると云われている。今回のシリア歴訪の旅の目的は、メソポタミア文明の探訪であった。イラクに入れなかったのが残念であったがアメリカの空爆を控えた危険地帯を、イラク国境のすぐ其処まで近づくことができた。

そして、ユーフラテス川に広がるイラク、シリア北部地方の広大な農業地域をこの目で確認し、現在のイラクが何故強いのか、古くから文明が発達する豊かな農業地域と、其処に住む先進的な人々の生活、それがアメリカに対抗する強大なイラクを形成しているのだと言う実感。そして、シリア、ヨルダン、ソウジアラビアなど周辺のイスラム国家と、同じ民族の広がる中東アラブの国々。このイラクを攻撃してもアメリカは勝てないだろう。軍事力で一時的に攻撃できても、アラブ諸国の反発を買い、弱小国は益々テロに訴え、テロは世界に広がるだろう。私は10年前、黄河文明の始まる西安を訪れた。インダス文明に行って見ようと、数年前インド北部のチベット国境。インダス川に行った。そして次ぎの年パキスタンから中国国境のインダス川源流まで遡った。あれだけの濁流のインダスの流れも、中国国境付近は清流だった。今年は遂にメソポタミア文明の源流に行けた。今度はエジプト文明が残されている。然しメソポタミアはトルコ、イランなど広範囲の国々に行かぬと本当のイスラームや、アラブの国々の考えは解らないだろう。アラブ世界を知り、理解することが今後の世界の平和を模索することが出来る原点である。

12月6日
生涯学習のページから抜粋し転記しました

中近東、ヨルダン、シリア、レバノンの旅から帰ってきました。
16日間、日本を留守にしていると、外国の方が良くなります。
生活レベルは比較的高く、民族も、ヨーロッパや、アジア、エジプト、モンゴル族などが混血し、優秀な人達が多い国です。ヨーロッパより治安はよろしい、イスラームの人達は宗教心が厚く、日本人に対しても親切で親日的です。特にレバノンは地中海に面してヨーロッパ文明の影響を受け、程度が高く、教育水準も日本以上です。
中東戦争終結後、19年を経過し、経済も順調に回復し、戦後の日本の復興以上に住宅、町並みも整備されています。
 日本のマスコミは中東地域に対する誤解があります。アラブの人達は日本で伝えられているような危険な人種ではありません。テロや暴動など現在ありません。日本以上に平和を求める人達です。他の民族に迫害され続けた数千年の歴史的事実をよく認識しなければなりません。ヨルダンや、シリア、レバノンの民族が他の国を襲撃し、侵略し、征服した歴史は殆どありません。世界遺産の旅は数千年の昔から自分の国を守るために造られた城壁や、防備のための軍備に費やした石造の文化遺産を見る旅でした。
 イスラーム世界に対する仏教やキリスト世界の誤解が、今日の世界の対立を生む原因になっています。
イラクとシリアは仲良く一般の庶民は自由に車で往来し、買い物や、遊びに行っています。結婚も自由で、お互いの国に親戚もいます。ヨルダンからシリアの国境を超えるときにも簡単なパスポートの検査でした。
日本人の私達はバスの座席に座ったままで、検査官が一人一人に挨拶しパスポートの確認をしてくれました。パスポートの検印はガイドが纏めて国境の検査所で押してくれました。
地元の住民はどの国の人達も自由に出入りしています。
 イスラエルだけはアラブ各国から敵視され、イスラエルに行ったパスポートの所有者は、厳重な審査を受けます。イスラエルはヨルダンのゴラン
高原を侵略し、レバノンには多くのパレスチナ難民が避難しています。

 
 中東諸国や、中央アジア、パキスタン、インド、中国のウイグル治自区など旅行しますと、数千年前から他の民族の襲撃を受け、男は皆殺し、女は強姦と拉致、家ゃ集落は焼かれ、城も町も徹底的に破壊し尽くされ、食料は全て奪われ、収奪と破壊、民族は滅亡している。
平和な生活が犯され、其のため殆どの民族が混血しています。平和を守るためには、自分達の国の軍備が無ければ平和な生活は誰も保障してくれないことが、世界の国々を旅して嫌と云うほど思い知らされてきました。

 永世中立、再軍備反対、平和を守るため世界の良識に訴える。など、無知、無謀、世界の歴史を知らないものの浅わかな考えであった自分を、世界の旅をする度に思い知らされてきます。 戦争に負けた私達日本人は、戦後、戦勝国の宣伝と、国内の誤った平和主義者の理論に多くの若者が共鳴し、「私もその一人だったが」軍備は必要無いと考えていた。数年前スイスにスキーに行き、その考えが誤りであることに気づいた。
スイス全土が軍事要塞のように軍備が整っていた。飛行機は地下に隠し、若者は徴兵制度があり、兵役に服する。中立を維持する為には他国の良識だけを頼っていても決して守ってはくれない、自分の体は自分が守る。自分の家は家族で守る。自分の地域や集落は自分達で相互扶助する。自分たちの村や町は自分達で成り立つようにしなければならない。これが地方自治の精神である。



世界遺産の旅。ヨルダン、シリア、レバノンの旅では有難うございました。写真が出来ましたのでお送り致します。生井さん。鈴木さん。斎藤さん。磯見さん。安藤さん。服部さん。にはお送りできますが、それ以外の方の住所わかりません。写真が出来ていますのでお送りしたいのですが、住所、お分かりの方はお知らせ下さい。尚私のホームページには発表しています。又見て下さい。

今回の旅行は株。西遊旅行。東京都千代田区、神田神保町2-3-1岩波書店アネックス5階。tel03-3237-1391のご好意により企画、立案、実行されたものです。ガイドの安藤敦子さんには旅行中大変お世話になりました。その安藤さんから旅行中お世話になった向うの旅行社とスタッフ名メールがありました。こんにちは、メールをいただきありがとうございます。さっそく、ヨルダン、シリアのガイド名、レバノンの旅行会社のスタッフ名をお知らせします。
ヨルダン: Mr. Amjad Dabis (アムジャッド・デイビス)
シリア: Mr. Walid Al Aswad (ワリッド・アル・アスワッド)

レバノン(旅行会社): Mr. 鶴田ハニ (ツルタ・ハニ)レバノンの鶴田氏に関しては、彼がくれた冊子「なるほど・ザ・レバノン」にも書いてありましたので、そちらも合せてご覧下さい。鶴田さんは、母が日本人、父がレバノン人です。レバノンで日本との友好のため頑張っておられます。

私が今回、旅行の計画を発表してから多くの方々から、「何故そんなところにゆくの?」と、不安がられていました。旅行中、行く先々の、国々の旅行社のご案内により、楽しい旅行が成功しました。感謝申し上げます。
参考文献
この文はマイクロソフト社エンカルタ。
地球の歩き方ヨルダン、シリア、レバノン。
芸術と歴史の国、ヨルダン。日本語版。
なるほど ザ。レバノン98.
四大文明。「メソポタミア」nhk出版松本健偏著。
などを参照にしながら、実際に私が中東各地を歩いて書きました。これから更に訂正し正しい現地の報告書としたいと考えています。

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