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給食の殿堂 | ![]() |
給食・・・もう長い間食べていない。幼稚園から小学校卒業までお昼は決められた食事を与えられていた。みんな同じものを残さないように行儀よく食べる。言わば授業の一環でもあった。栄養士、調理師がさまざまな面から苦心して作りあげた給食のメニュー達も、幼い体では食べきれず、居残りに涙した日々もあった。無理にでも食べる事で苦手意識を克服した例もあるが、給食での嫌な思い出以後、アレルギー的に拒絶反応がでてしまい、今だに牛乳や酢の物等が食せない人がいるのも事実である。「世界では食べたくても食べられない人達がたくさんいる。」よくそんな事を言われた。
不登校、いじめに起因する事や自由とか児童の権利なのか知らないが、時代背景として今は無理に食べなくてもよくなったらしい。私は教育者でもないし評論家でもないしそんな事はどうでも良いんだが・・・・
私は貧しい食生活をしていたためか、給食によって初めてお目にかかるメニューばかりで、いつも献立表をみてはワクワクしていた。おそらく時間割以上に給食献立表を見ていたような気がする。かぜ気味の時は今日の献立も学校へ行くかどうかの重要参考資料となるのである。「おっデザートはプリンかよ・・・やっぱ行くか!」
しかし何を食べても「まずい」としか言わないクラスメートもいた。がそういうのは私は嫌いだった。否定的な発言がかっこいいと思っていたのか、またそう言うお年頃だったからなのかわからないが、あまり気分はよくない。
大人になった今でも研修所や社員食堂で決められた食事なんかをとるとき、いちいち味についていちゃもんをつける人がいるが、まずそんな人は不幸であり憐れむ。そして「給食ごときでグルメを気取るな大馬鹿者!」「貴様が一体なんぼのもんじゃい!」と喚きたくなる。
私は「給食御ひいき派」ではあるのだが、「嘆き」の部分もある。まずあの1回の献立の中に和洋中華、甘辛ごちゃ混ぜである事がつらい。 文中にも書いたがチョコマーガリン味の口の中に「酢の物」そして「牛乳」そして「さんまのかばやき」次にまた「チョコ味パン」そして「野菜の焚き物」なんてメチャクチャなミスマッチが口の中でせめぎあう。許せない。次にあの期待を持たせるネーミング。(後述)もだが、「中華風〜」「洋風〜」とか栄養士の‘逃げ道”みたいなすっきりしないネーミングもやたらと多かった。
給食をめぐる悲喜劇はたくさんある。今回はその辺りを書いてみたくなった。(地方により献立内容や給食のスタイルが違う為、さっぱり不明な話題がでる可能性あり。)
それでは、あの鯨肉が自由に食べる事が出来た頃へ一緒に戻ろう!
献立年代記学校給食の献立の内容は社会経済と連動している。給食も高度成長と共に発展しているのである。
昭和20年代 戦後給食が始まった頃は物資の中で大変な状況であり、給食も毎日あるとは限らなかった。汁物が中心でまきで炊かれていた。20年代後半からは限られた予算、材料の中でカレーや味噌汁、サツマイモの五目あんかけ、鯵フライやから揚げ、かき揚げ、さつま揚げの煮付け等と学期末におしるこ(ぜんざい)が出される。ちなみにカレーの肉はクジラ肉で酢豚も酢鯨だった。もちろん主食はコッペパンと配給品の脱脂粉乳である。
昭和30年代 世の中も落ち着きだし給食も安くて栄養があるものを求め調理法も工夫された。ポテトサラダ・鯨とネギの串カツ・鯨の竜田あげ・さんまの蒲焼風・揚げやきそば・竹輪の磯辺揚げ・さんまの姿煮・おでん(関西では関東炊き)・肉じゃが・すきやき風煮・筑前煮・親子もどき・豆腐の中華風煮・五目豆・大豆の磯煮・まぐろの角煮・酢豚・大学芋・炒めそば・フレンチサラダ・卵サラダ・マカロニまたはスパゲティサラダ・中華サラダ・ゴマ酢あえ・ワンタンスープ・中華風スープ・コーンスープ・ボルシチ等が続々と登場。我々はカレー味にさえすれば喜んで食べた。カレーシチュー・カレーうどん・カレーソテー
昭和40年代以後 主菜・副菜・果物がパターン化し、複数料理による献立となっていく。40年に入って脱脂粉乳からビン入り牛乳に変わり、栄養バランスの変化も一因ある。景気の高揚とともにパンもバラエティ豊かになる。レーズンパン・デンマークロール(デニッシュ)・黒糖パン・等
昭和50年代以後 家庭料理に近づきにんじんのグラッセやブロッコリーを、肉や魚の焼き物にポテト料理を組み合わせる等、色彩や盛り合わせの形を楽しむものが増えてきた。米飯給食の導入に伴い食器・器具の改善も図られた。 サンドイッチ・ピザトースト等手作り調理パン等が登場家庭と給食の距離が狭くなる。
昭和60年代〜平成 麺料理を単独に用いることが多くなった。デザートに手作りむしパン・パンプディング・スイートポテトが登場。文部省の栄養所有量が基準値改訂となり脂肪の摂取量が抑えられる。(ダイエットメニュー)また輸入牛肉を材料に使用本格的なビーフシチュー・ボルシチ等が登場する。
牛乳
○牛乳早のみ対決がよくおこなわれた。しっかりとした記録まで覚えていないが、とにかく早かった。途中で飲みかけた牛乳を吹き出してしまいリタイア、ギャラリーに迷惑をかけるやつもいた。なぜか男らしさを誇示する場でもあったような気がする。
○一気飲みして鼻から牛乳がでた。鼻から牛乳がでると脳みそから刺激がツーンときて痛いのである。
○あこがれの女の子が牛乳を飲んだ後、口のまわりのウブ毛が白いヒゲ状態になるのは見ていて辛かった。また彼女が飲み終えた牛乳ビンは、運ばれてきたケースに戻されても他のとは違いなぜか輝いていた気がした。
○ごはん食にはまったく合わない。
○一時期三角のテトラパックが出回った。四角の紙パックは踏んづけて「パーン」と音を出させて遊んだ。
○ビン牛乳はフタをあけるのに苦労した。押し込んでしまったり牛乳をこぼしたりと大変であった。「俺たちは天使だ」の番組オープニングシーンのショーケンように、ビンをフタごと口に入れ歯と舌であける器用なヤツもいた。爪が伸びている人はよかったが、「衛生検査」でそういう人はひっかかった。牛乳専用のオープナー・・栓抜きがあったが、いつのまにか無くなってしまった。
かぶせてある薄黄、薄紫のビニールがなぜか好きで、シャーペンでプチプチ穴を開けたり、親指でムニューと伸ばしたり、誰にも理解できない暗い楽しみがあった。
パンの耳を牛乳につけて食べたが、うっかり中にパンを落としてしまい。とれずに苦労した。
○牛乳ビンのふたをコレクションしたり、メンコがわりにして遊んだ。
○よく牛乳を飲んでるヤツを笑わせて遊んだ。みんなの給食の上にふき出し、教室がパニック状態になった事もある。
ある日また誰かを笑わせようと、ギャグを言って遊んでいたがターゲットはなかなか辛抱強い。こちらも持ちネタのオンパレードで攻撃を続けたら、そのうち予期しない方向からプーッと吹き出す音がした。 誰が吹いた? とみればナントあこがれの彼女だった。清楚なマドンナのイメージをすっかりつぶされた彼女は二度と口をきいてくれなかった。
○牛乳が床にこぼれたのを教室の雑巾でふくと、床ワックスと牛乳をミックスした奇妙な臭いがした。雑巾はよく洗わないととても臭い。
○飲み終えた牛乳びんにお茶を入れてのむヤツがいた。薄茶色の液体をゴクゴクと飲んでいた。おえー気持ちわるぅ!!ちなみにハト麦茶と脱脂粉乳を混ぜた「ハト茶ミルク」というのも正規品としてあった。
○牛乳に粉末ココア「ミルメーク」を入れる。監獄に俗世間から慰問に来たみたいにお楽しみなひとときであった。
○先生に「牛乳はよく噛んでから飲め」と言われた。根拠はあるのだが(忘れた)口の中で生温くなった牛乳のどこがおいしいというのか!気持ち悪い!
○牛乳が全然ダメで給食の最後まで残り、みんなに注目されるなか、鼻をつまんで飲む涙ぐましい人がいた。かわいそうに。
スプレッド(ジャムとマーガリン)パンという無味乾燥なシロモノを食べ易くする助っ人だが・・・。
○イチゴジャム、りんごジャム、マーマレードなどがあり、パンに塗る配分を間違えると後は空しかった。
○初のママレードで、、みかんの皮を食べる事に少し抵抗があった。皮は少し苦かった。
○机なんかにくっつくと異常に粘ったような記憶がある。
○手でモミモミして遊んだ。そのうち袋が破れてピューと飛び出した。
○独特な匂いがする給食のマーガリン。美味しいと思った事はほとんどない。しかしそれが無いとパンは食べられないのだ。
○冬になるとカチカチになっているので、温かいおかずの下で温めてやわらかくした。
○マーガリンは四角の固形のものとビニール袋入りのものがあった。チョコ味やピーナッツバター味のときは嬉しかった。そして包装紙には豆知識が書いてあった。それでは心の片隅でおぼえているか?豆知識よもう一度!
ゆでたまごをつくえ
やさらの上でまわす
と立ってまわりますトビウオがひととび
でとぶきょりは100
メートル400メートル一番はやくはしる
けものはチーターで
一分間に約2000
メートルだちょうのたまごの
大きさはニワトリの
たまごの30倍オリンピックの走り巾
跳の選手は身長の
およそ5倍とぶがノミ
は200倍もとべるアリは目が見えない
が20メートルも先か
らすにかえるミツバチはなかまに
ダンスでみつのあ
りかをおしえるコイやフナの年令は
うろこのわをかぞえ
るとだいたいわかるコイは1メートルサケ
は2メートルうなぎは
10メートルのたきを
のぼれる。ラクダのこぶの中に
あるものはえいよう
ぶんシマウマの毛をそっ
てもシマのもようは
ついている七夕の織女星がと
つなくなってもあと
27ねんはみること
ができる
小学館 「まぼろし小学校」 串間 務 著より
○いくら給食の「三角食べ」を強制されても、チョコレートを塗ったパンのおかずが「おでん」「うま煮」だとか、そして牛乳で流し込む。そんな和洋甘辛混在にはなんだか今思うと割り切れない。チョコレートの味がしている口の中にさつま揚げやちくわを放り込み、そして牛乳を混合・・・通常の食事でそんな取り合わせのメニューってない。
デザートメインになるメニューよりこっちの方が楽しみだった。熱が39度もあるのに献立表の「プリン」を見て登校を決意した事もある。(いやになる貧乏性)
○半分凍った状態のプリンは絶妙であった。同じくシャーベット状のゼリーも給食ならではの味である。休みの人の分があると大ジャンケン大会になるのである。
○当時ヨーグルトは出はじめであり好きなんだが、「牛乳を腐らせて・・・」「菌の力か・・・」と思うとなんだか納得がいかないものであった。しかし健康には良いからと自分に言い聞かせて食べた。(私だけ?)
○チーズというものも少し謎であった。あんな「乳くさい石鹸」のようなもののどこが美味しいのか、いやなぜ食べなければいけないのか?といいつつも私は食べたのだが、まったく口に出来ない人もいて残すのをバレないように欲する人にこっそり渡していた。
両端が金具で止まっていて、赤いビニールを引っ張るようになっている(魚肉ウインナーも同じ)んだが、私は成功した事がない。歯でネジネジしながら端を噛み切って、上歯と下歯でしごいて中身をだして食べた。逆に上手にムケる人はブルンブルンと振って食べた。
○バナナの半切りを切り口から先割れスプーンで丁寧にほじくりながら食べるやつがいた。バナナの皮でコケルいたずらを仕掛けたが、マンガのようには誰もコケない。
○肝油ドロップ。口に入れた時のザラザラ感。一転して今度はツルツル感が気持ちよかった。夏休みなんかに1缶もらった(買った)。1日2粒のおきてはとっくに無視。3日ほどで食べきった。おやつがわりである。食べ過ぎると鼻血がでるとよく言われたがホントなんだろうか?
○あんみつやフルーツポンチは給食当番のさじかげんで多い少ないがあり、気前よく最初に多くすると後の方で「俺の白玉みんなより1個少ない!」と問題が発生するのである。食い物の恨みは恐ろしい。
給食当番白衣の天使に役得もたしかにあったけど、役損の方が圧倒的に多かった。
○盛り付けにみんなの不満が集中、だからみんな嫌がった。やはり前半と後半の盛り付けが違ってくるのである。たとえばシチューなんかは前半スープが多く後半は具たくさんになる。
○きらいなおかずだと気が弱い子の皿にどんどん盛られ、好きなおかずだと「うるさ型の男子」がニラミをきかせ主張をした。友達や好きな子のお皿には量を融通できた。
おかわりは早いもの順だった。
○誰よりも先に今日の給食を拝める喜びがあった。この良い匂いの発生源にたどり着けるうれしさは1日のうちで一番の喜びであった。給食室からクラス分の給食を運ぶ、シチューを入れたバケツのような入れ物、お盆、クラス分の牛乳はすごく重かったので二人で持った。女の子と持つと冷やかされて嫌だった。
○運搬途中でメインのおかずをぶちまけてしまいおかずなしの日があった。A級戦犯者を責める者、慰めるもの色々である。
○後片付けやお盆洗いをしなければいけないので、昼休みが減って嫌だった。そして残飯を集めるのが気持ち悪かった。
○白衣は持ってくるのを忘れたり、学校から持って帰るのをよく忘れた。袋にぶち込むもんだから、しわだらけ、さらに忘れたままにしておくと黒カビがはえてきた。汗をかくわけではないから体操服のような「酸っぱい匂い」ではなかったけど。
○フケだらけの子やトイレで用をたした後手を洗わない子、衛生検査で爪が伸びて黒いあかたまっているような不衛生な子が給食当番だと嫌だった。
指導された事
○「残してはいけない!!」給食の時間がとっくに終りみんな遊びに行っているのにまだ給食を食べなければいけない。いつも大抵同じメンバーである。とにかく牛乳がダメなあいつ、好き嫌いが多く特に人参がダメなあいつ、パン2枚がどうしても食べられないあいつ。あ〜情けない。いくら世界中に難民がいて飢餓に苦しんでいても、食えんもんはどうしても食えん!いつまでこうしているのか。
先生から命じられた居残りの刑はエスカレートして午後の授業時間にまで食い込んだ。そして挙句、給食のおばさんに謝り残飯入れに入れた。おばさんはあたたかく「よくがんばったネ」と笑顔で迎えてくれた。
○「ヒジをついて食べてはいけない」、「おしゃべりをしてはいけない」、「よくかんで食べる」、「好き嫌いをしない」、等食事のマナーを教えてもらったが、箸の持ち方はみんなマチマチだった。そしていつからか悪名高き「先割れスプーン」が登場した。これで持ち方はほぼ統一された?が正しいお箸の持ち方を習得しないまま大人になった人もいる。 うどんやラーメンもこれで食べたのだとするとどうしてたべたのか謎である。
○給食の時「石鹸で手を洗おう〜」と言う歌詞の音楽が流れていた。音楽の時間に習った歌はさっぱり覚えていないのに毎日流れるこんな歌だけはよく覚えている。
給食の思い出
○席をグループにして食べ、そこに日替わりで先生がやってきた。先生はいつも給食を残さず食べていたようだがガマンして食べていたのか、大人には合う味覚だったのか?
○放送係による昼の放送は今日の献立を発表、読み間違えるとウシロでクスクス笑いをかみ殺す声がよく放送に入っていた。後はマンネリな歌や劇だった。レコードによるものでよく音がとんだり、先にいかず同じセリフをくりかえし続けていた。それがよく笑えた。
○休んだ子のところへ近所の人がパンを届けた。包み紙に先生からのメッセージが書いてあったりして、ホロッときそうだった。休んでいる身の上、パンを届けてくれた子に「ありがとう」もろくに言えず、カーテンの隙間から小さくなる友達のランドセルを見送るだけであった。
「明日は学校行けるかなぁ・・・・」
ウンザリしているいつもと同じパンなのに、家で包みを開けるとすごくいい匂いがしたような気がする。
○おかずもだが、毎日毎日のパンがなにしろすべて食べきる事が辛かった。でも腹はいっぱいだし早く遊びにも行きたいし、かっこ悪いし。ジャムは使いはたしたし、途方に暮れパンをギュッと握り、圧縮してダンゴ状にして食べる試みをしたり、わざと落としてゴミ箱へ捨てたりした。先生の目を盗んでさっと机の中にパンの残りを隠したりもした。よく後々になってカチンコチンになったパンがコロッとでてきたり、青かびが発生していたり、(こんなのを悪友に見られたら一生語り継がれると当時そう思ったが) パンからウジ虫を沸かせたヤツもいた。(やはり、彼は一生酒の肴になっている。)
そっと給食袋に入れて持ち帰った事もある。帰り道 野良犬がやってきて、パンの入った給食袋を何度も何度も匂いを嗅いでいる。さすがの嗅覚である。給食ふくろを開け野良犬にパンの残りをプレゼントしてやる。ハグハグととても美味そうに食べる。食べ終わった後、もうないのかと言う目でこちらを見ている。おまえが食べれば一瞬だ。 まだ見ている。 もうないよ。
○3時間目のころから給食の良い匂いが漂ってきて、ウキウキしていた。だが今はセンター方式なのでそれもないのかな?
○給食のおばさんは近所のおばさん達がパートでやっていた。なぜかみんな小太りで湯気がモウモウとたちこめる部屋でデカイしゃもじ(船のオールのような)でやはりでかい鍋をたくましくかき混ぜていた。重かったケースに入った牛乳や鍋を軽々と持ち上げていた。 おばさん達は仕事が終れば畳の部屋で足をくずして楽しそうにお菓子なんかをたべていた。「ええよなあーあんたら勉強しなくて・・・」と勝手な事を思っていた。 先生とは違う優しさがあり、おばさんのところへ行くとホッとした。入り浸るヤツもいた。
○思わせぶりな献立名と現物とのギャップでがっかりした。
例えば
献立名 私の想像 現実 クールーロー なんかしらんけど、洋風料理? ゲッ!酢豚(古老肉)がでてきた!紛らわしい中国語で書くな! メルルーサーフライ メルルーサーって何? 白身ざかなのフライ!ほんでメルルサーはどこにあるの? 洋風てんぷらうどん てんぷらうどんと洋風って不思議? かきあげにチーズとハムがまざってたけどこれ?を洋風と言うのか・・・ くじらのこはく揚げ くじらをどう揚げるのかな? うえ!酢鯨やんけ!(酢豚の肉が鯨) たいやきチーズ 給食にたいやき?餡がチーズかな? たいやきの形のチーカマやんか! 酪農煮 なんやこれ!不気味 野菜の牛乳煮、想像がはずれた方がよかった・・・。 インデアンサラダ インデアン・・・謎や・・ カレー風味のスパ・サラやんこれ、おいしい! くじらのノルウェー煮 くじらとノルウェー? くじらの竜田揚げにケチャップの味をつけたもの。 くじらのオーロラ煮 オーロラってあのオーロラ? ケチャップとマヨネーズの混ざった「オーロラソース」がかかってるだけやん!
とにかく、『11PM』のタイトルと給食献立表にはよく騙された。
給食・出会いと別れ
○脱脂粉乳(生乳から乳脂肪分を除去して粉末にしたもの。牛乳からクリーム分を抜いた絞りかすを乾燥させたもの) 君は脱脂粉乳を飲んだか?あの強烈な味と匂いは忘れられない。薄いマクがはったりしてうわっ最悪!ゲロゲロ!鼻つまんで飲もう!と文字どうり鼻つまみものだったが当時余りに脱脂粉乳を残した人が多くて洗い場から流れる水が真っ白になったという逸話が残るほどみんな嫌った。
しかし、「家畜の餌を飲まされた」という被害者意識は一旦おいといて、脱脂粉乳のルーツを探ると第2時大戦後深刻な食料難ーGHQの政策までさかのぼり、栄養不足の子供達の救済のためのアメリカ、ユニセフ等からの救援物資なのである。しかも経済的で栄養価も優れていたのである。そんな事も知らず私たちは・・・・食生活が豊かになると完全に給食の悪役である。一生懸命好かれようとコーヒー味になったり、オレンジ味になったり、ハト麦茶とまぜたり努力もした。だけど昭和40年代次々と「牛乳」に切り替えられていく。
さぞかし恨んでいるだろう。今、彼(脱脂粉乳)はどこに?私は何気なく文を書きながら缶コーヒーを飲んだ。「ん!」彼は意外に我々の近くにいた!「原材料:コーヒー、砂糖、脱脂粉乳」よかったよ、君にこんな形で再会できて、でも昔の君はやっぱりハードだったよ。
○鯨メニューなつかしの鯨肉は今ではほとんど食べられない。料亭や鯨専門店にでも行くと口にする事は可能な事であろうし、少し大きなスーパー、デパート、専門店でも販売されているがかなり高い。牛肉ほど美味しいものでは無い事を知っているので(懐かしさの為だけに買うのは贅沢かな)といつも踏みとどまってしまう。それにひょっとして思い出の味というのは、長い年月を経てかなり美化されているような気も実はしているのだ。あこがれていた女の子に同窓会で再会して嬉しい反面ちょっとさみしいような・・・。
鯨の立田あげ、鯨のしょうが焼き、鯨カツ、なんかはすごくいいイメージだけが残っている。鯨のオーロラソース、鯨の香味焼き、酢鯨、鯨のみそ煮、鯨こはく揚げ、ボルシチ・・・・・等年代によると大げさな話でなく週3回鯨料理が出た頃もあったようだ。鯨は本来、牛肉、豚肉が果たすべき役割に代わる、とても重要なポジションであった。
昭和40年がピークであり、乱獲しすぎたためにクジラの頭数が減り始め、環境保護運動の気運も高まり昭和45年からは捕獲制限されるようになった。昭和50年代になると捕獲制限のため市場での値段が高騰し、とても給食で使える食材ではなくなり献立から除々に姿を消していく。そして昭和60年捕鯨は全面禁止となり、給食からも姿を消す。もちろん代用品でごまかしつづけたメニューは本来の牛・豚の食材が使われる事になり、おいしく食べられるようになった。その代わり給食費はドーンとアップしたのである。
IWC(国際捕鯨委員会)では総会に出席したメンバーに赤いペンキ(クジラの血のイメージ)を投げつけたり、日本国旗を焼かれた、総会で徹底的に叩かれ「倫理観の欠如した国民」と言われ、オリビアニュートンジョンにも「クジラを食べる日本なんかでコンサートなんかしてやるもんか!」とまで言われた。「上等じゃ!貴様のような恩しらず来ていらんわボケ!二度と日本の敷居をまたぐな、全部返品じゃい!」と今さらながら言い返してやりたいくらいだ。 そして日本も抵抗はしたが国際世論には勝てずとうとう全面捕獲禁止となった。
私は一番好きな給食としていつも「くじらの立田揚げ」をあげる。無敵である。あんな美味しいものを食べられない今の世代には「ザマーミロ」と思っている。 だけど、ふと思う。これ本当においしかったのだろうか?やっぱり思い出として心に残っている方が「おいしい」んじゃないだろうか?そう思うのである。貧乏くさいったら早く食べ終わっておかわりに走る。しかし先を越され「席が前の人は有利だ!」と、たかがそんな事で真剣に怒った日々もあった。
○テトラパック牛乳 脱脂粉乳はコップで飲んでいたが牛乳に変わる時ほんの一時だけの登場だったので知っている人は少ないかもしれないが、三角形の紙パックの時代があった。結局市場の先どりしすぎた事もあり、テトラパックは廃止、地元のビン入り牛乳に変わった。現在は四角の紙パックが大半らしいが、リサイクルの問題を考えビン入りを依然続けている府県もある。そしてまたビンの時代が来るかも知れない。
私としては牛乳はビンで飲むほうが、気のせいだろうがおいしく感じる。歯にビンがガチッと当たっても、飲み終わった後、紙パックのように踏んづけて「パーン」と鳴らす楽しみがなくてもだ。
○先割れスプーン 献立内容のレベルアップに伴いでこれまでにない、刺す、切るという機能が求められるようになり、その後一世を風靡した先割れスプーンが登場する。しかし昭和52年頃から「犬食いの原因」とたたかれはじめる。確かに「うどん」や「中華そば」等の麺類なんかは食べにくい。ふさわしい食器を使って食べる事もマナー教育として大事な事らしい。 それならスパゲティを箸で食べるのもへんだよな。和食料理をフォークとスプーンで食べる女子もいるぜ、だったらカレーは手づかみかよ! なんてかみついても仕方ない。思い出はユリゲラーがTVで超能力を見せた次の日からはこの先割れスプーンを使ってよく超能力の練習した。マニアックだが「ウルトラマン」のハヤタ隊員がウルトラフラッシュ(変身の道具)を間違えてスプーンで変身しようとしたエピソードがあり、あの有名なシーンの再現とかにも使った。 みんなの思い出
○ミルメーク、大好きだった。
今でも時々売ってるのを見かけます。
私、給食で笹かまが出て丸呑みしちゃったのね。
そしたらね、案の定、喉に詰まって
もがいていたら鼻血出た。。。
何とも情けなくなった。それは小学4年の頃。 riepon@sp
○メルルーサフライ、あったよねー、何の魚かなぞだったけど、あれはあれでうまかった。
あと、今でも食べてみたいのが、フルーツサラダ。
貝殻みたいなマカロニの中に缶詰っぽいフルーツとレーズンがまじっているやつです。
あれは、チープでうまかったなあ。
家でもきどき作ってみるけど、なんかごーかな味になってしまうんだ。
あのチープな、マヨネーズがとんだような味がなつかしい noyuki@coara
○メルルーサフライは、そういう名前の魚だと思ってたけど、メルルーサのフライだと言うことがあとでわかりました。 一番きらいだったんは「スキヤキフーニ」 これはすき焼き風煮です。
ちっちゃい頃、こんにゃくを飲み込めなかったんだ。 noyuki@coara
○私の通っていた小学校は勿論札幌市内ですが、あれは4年生位だったでしょうか。。。。近くにはあの「雪印」の工場がありました。
夏休み直前の暑い日、学校に雪印のトラックがやってきました。
給食のメニューには「もなか」(笑)
私達は「アイス」だ!と大喜び!!
そして待望の給食時間に配られた「もなか」を私達は真っ先に口にしました。
「うげぇ〜〜〜いつからもなかの中身が糸を引くようになったんだぁ!!(爆)」
中身は「納豆」でした。(激爆)
それ以来「もなか」は「納豆もなか」と表示して欲しいと生徒からクレームが入り、表示されるようになりました。(爆) あぁ〜恐るべし給食メニュー表示! sarasarayuki@dreamcity
○私も、冬のマーガリンを温めてやわらかくした記憶がある。
私の好きなメニューは「鳥の甘辛煮」
今でも好きで、研究してそっくりに作れるようになったので
よく作って食べてるねん♪ ええやろー!! anak12@dreamcity
終りに
○いつ加筆するかわからないので時々確認に寄って下さい。
○情報があれば教えて下さい。
さあ今度は「給食の殿堂の投票」に行こう!あなたの好きなメニューは何位にランクインしているだろうか?
Back! 給食の殿堂へGO!
参考文献
「なつかしの給食献立表」 アスペクト編集部
「学校の食事」 学校食事研究会
「まぼろし小学校」 串間務 小学館
「学校に給食アリ」 給食当番OB会 同文書院