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環   境

◎豊岡市はコウノトリの増殖に取り組み、一時絶滅したものの現在は、
 100羽を超えています。
 農薬、公害等から絶滅したコウノトリですがただ、コウノトリの保護だ
 けでなしに環境を考えた「コウノトリでも住める」という環境を作るため
 に日夜取り組まれています。

◎県立コウノトリの郷公園
 コウノトリの保護、増殖野生化に
 向けた研究に取り組むとともに、
 人と自然が共生できる環境の創造
 について学ぶ場として整備された
 施設です。(観光案内版より)

◎久久比神社(重要文化財)
 延喜神名式に記される但馬国城崎
 郡廿一座の内の小社で元胸形大名
 神と称される木の神久久遅命を奉祀
 した式内社。神社の創立年代は不明
 だが一説には、天湯河板挙命を祀る
 といわれ、別名こうのとり神社とも言
 われている。
 現在の建物は永正4年(1507年)に
 再建された。
 (説明板より)

◎玄武洞
 玄武岩は、1200度位の水飴上の
 地価マグマが地上に噴出してゆっくり
 冷え固まったもので、冷える途中で固
 まりの中心がほぼ等間隔に発生し、
 それぞれの中心に向かって収縮する
 際にその境に割れ目ができて六角形
 を作り出したもので玄武洞の見事な
 柱状節理の景観は、古くから有名で
 文化4年(1807年)儒学者柴野栗山に
 よって名付けられた。(観光案内板より)


日本書紀によれば垂仁天皇の御宇二十三年の冬十月、天皇が誉津別皇子(ほむつわけのおうじ)を伴い、宮殿の前に立たれたとき鵠(ククイ・こうのとりの古称)が大空を鳴きながら飛んでいった。そのとき皇子が「これは何という名の鳥だ」とお問いになったので天皇は大変に喜ばれ、家来のものに、「誰かあの鳥を捕まえて献上しなさい」とおっしゃいました。天湯河板誉(あめのゆかわのたな)が「私が必ず捕らえて献上します」と申し出て、この大鳥が飛び行く国々を追って廻り出雲の国で捕まえたといい、あるいは、但馬の国で捕らえたとも言われる。コウノトリを捕らえ献上したのである。そのとき皇子は三十歳であったがまだ言葉を話すことができず、まるで赤ん坊の泣き声のような声しか出なかったが、この日初めて人並みの言葉をお話になられたのである。
このようにこうのとりは霊長なので、その住んでいる土地を久々比と呼びその後この土地に神社を立て、木の神「久々遅命」(くくちのみこと)をお祭りした。これが久々比神社の始まりであった。(境内説明板より引用)

こうのとり・久々比神社伝説